沖縄の機関誌/『民族』 『社会時報』

1997年ー『民族』日本民族思想普及会(儀武晋一)/1989年ー『社会時報』桜魂社護国塾(松田昌雄)

ヤクザ住所録
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○2015年4月、崇元寺橋近くに「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」という興味ある垂幕を見た。4月19日には沖縄県立博物館・美術館講堂で、「いよいよ、保守県民お待ちかねの会発足!さようなら 沖縄の左翼メディア。沖縄は私たちが守る!」、26日には公約破り市長が居る浦添市で中山成彬先生を招いて第1会総会が開かれるそうだ。「さようなら 沖縄の左翼メディア」と言うからには本人たちは右翼メディアだと強調したいのだろうが某新聞の拡大のための宣伝だ。その新聞の社長は元沖縄開発担当兼那覇支局長だ。右翼もどきが言うメイド・インチャイナ翁長県知事は少なくとも左翼ではなく沖縄の保守本流だ。右翼と同様に今の沖縄には左翼は居ても影響力は無いことは翁長知事を見ても分かる。19日には日本編集者学会の「今だからこそ、沖縄の出版とジャーナリズムについて語り合おう!」も開催され「満員御礼」の張り紙があった。



藤田 五郎(ふじた ごろう、1931年11月2日 - 1993年12月11日)は、極道出身の小説家。任侠小説を主に書いた。自伝的要素を含む「無頼 ある暴力団幹部のドキュメント 」は後に「無頼」シリーズとして渡哲也の主演で映画化された。 1975年に映画化された「仁義の墓場」でも知られる。1993年、東京都中央区内のホテルでビニール袋をかぶり窒息自殺した。→ウィキ


1980年10月 藤田 五郎『任侠百年史』笠倉出版社/1983年8月『月刊実話ニッポン』「人物クローズアップ ”人斬り五郎〟銀座に遊ぶ」
映画ー1965年11月 那覇 沖映本館「血と掟」(安藤昇)





2013.6.7 21:09 「産経」 日本維新の会の中山成彬代議士会長は7日の党代議士会で、韓国が慰安婦問題で旧日本軍の強制性を主張していることについて「自分の子や近所の娘が連れて行かれるのを黙って見ていたのか。そんなに朝鮮人の親は弱虫だったのか。このことは日本人をおとしめ、彼らの祖先もおとしめている。こういうのはやめようというのが私の率直な気持ちだ」と述べた。中山氏は、朝鮮半島の人口は当時2千万人余りとした上で「(一部で主張されている)20万人強制連行するということは100人に1人」とも指摘した。

□この中山成彬日本維新の会代議士会長は日本のヤクザのドンの大物が朝鮮人で占められていることを知らない無知な発言である。例えば橋下大阪市長の恩人・島田紳助 は2011年8月、暴力団関係者との交際を理由に芸能界を引退。橋本組長と親密な関係であったことが様々な報道で明らかになっているが、その橋本組長も朝鮮人である。また松山 眞一(まつやま しんいち、本名: 曺 圭化、チョ・ギュファ、조규화、1927年 - )は、指定暴力団・極東会会長、極東五代目や、沖縄にも支部があった東声会も朝鮮人が作り上げたもので、「そんなに朝鮮人の親は弱虫だったのか」とは朝鮮人の何処を見ての発言か。

 2015年12月28日、岸田文雄日本外相と尹炳世韓国外相が会談。日本側が軍の関与で多数の女性の尊厳と名誉を傷つけたとし、アベ首相の「心からのおわびと反省の気持ち」を表明した。右派の「日本会議」は従軍慰安婦強制連行を「事実関係を無視したいわれなき非難」と断定、「中韓両国の謝罪要求は一部のものが作り上げたもの」と強調していた。いずれにせよアベ首相は結果的にアジア各地の慰安婦も軍の関与だったと言明したようなものだ。これから中国、北朝鮮、アジアから謝罪を要求されることになる。

 2016年1月16日のタイムス社説に、14日、自民党本部で桜田義孝元文部科学副大臣①が従軍慰安婦について「職業売春婦。それを犠牲者だったかのようにしている宣伝工作に惑わされすぎだ」と発言した。

①桜田 義孝は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員、自民党千葉県連会長、文部科学副大臣。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事。 ウィキペディア

沖縄戦と日本軍「慰安婦」
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 那覇市歴史博物館に遊びに行き「2012年度・展覧会のご案内」を貰った。5月のところには「あれから40年~OKINAWAから沖縄へ~」がある。問題は次の「特別企画 沖縄戦と『慰安婦』展」である。あたかも沖縄県のカジノチジ周辺が「沖縄戦隠蔽」にピリピリ神経を尖らしているところに油をそそぐようなもので歴史博物館としては英断だと思ったが学芸員に聞くと、県の沖縄戦隠蔽問題が出る大分前、那覇市総務部平和交流・男女参画課と沖縄戦と日本軍「慰安婦」展実行委員会(高里鈴代代表)から博物館に展示場を申し込んだという。早速に沖縄戦隠蔽の県のほうから「どんな展示内容か」と問い合わせがあったが、学芸員は歴史的に意義があることなので貸したという。とにかく女性たちが動いていることが分かった。沖縄県は県内外から批判されると「慰安婦」「日本軍の住民虐殺」を削り専門家から批判された。下記のように県と同様ニコンサロンでも写真展がカルト右派により中止に追い込まれている。


「写真展ができなかった場合、東京でストリート写真展でも開きます」 日本、名古屋で制作活動をしている写真作家アン・セホン(41)氏は怒りが収まらないようだった。 彼は来月26日から7月9日まで東京、新宿の展示場「ニコンサロン」で写真展を開く予定だった。 展示される作品はアン氏が2001年から2005年まで7回にかけて中国を訪問し、撮影した朝鮮族元従軍慰安婦のおばあさんたちの写真38点だった。昨年12月、審査委員5人で構成された主催側選定委員会の審査で作品性を認められ展示が決定した。

だが、カメラメーカーであるニコンが運営する「ニコンサロン」側関係者は22日、アン氏に電話をかけてきて「展示が中止になった、理由は明かせない」と一方的に通知した。ニコン側は「名古屋に行って謝罪したい」と話しているが、アン氏は「単に謝罪のためになら来る必要はない。写真展を予定通り開催してほしい」と要求した。 ニコン側の突然の写真展中止は日本の右翼勢力による圧迫に屈服した結果だと思われる。アン氏の展示会が差し迫るとインターネット掲示板などには「歴史ねつ造に加担する売国行為だ」「外国の一方的な主張を代弁していいのか」などの非難コメントが相次いだ。 写真展中止に対してニコン側は「写真展開催と関連して(右翼勢力などから)抗議があったことは事実だが、中止は諸般事項を総合的に考慮して判断したこと」とだけ明らかにした。(中央日報)


□「ニコンサロン」は、ニコン創立50周年を記念して1968年1月に銀座三丁目に開設された、写真文化の普及・向上を目的とする写真展示場です。開設記念となる第1回写真展「木村伊兵衛の眼」を開催以来、写真の展示や講演会の開催など、多くの写真家・写真愛好家の方々に写真活動の場を提供してきました。その後1971年6月に「新宿ニコンサロン」、1974年3月には「大阪ニコンサロン」を開設、より幅広い写真活動の場として活用されています。プロ・アマの壁を取り払い、企業戦略に影響されず、あらゆる分野の優れた作品の展示場として写真展本来の姿を追求する「ニコンサロン」。(ニコンも企業だからカルト右派には弱い)

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「従軍慰安婦」資料
1984年12月 沖縄エッセイストクラブ『群星』山川泰邦「従軍慰安婦狩り出しの裏話」