1974年5月『琉球の文化』第五号 《沖縄戦と終戦直後の生活》
琉球文化社(編集発行人・大城精徳)本社〒那覇市牧志町1-944-6 編集局〒902那覇市安里425丸清ビル2階
関西連絡所ー大阪市東淀川区西中島町5-62青い海出版社内(新城栄徳)







大城精徳1957年「墓と家」/大城精徳1983年「貝がらとヤシの実」

大城精徳1983年「御願所幻想」


2020年2月28日 沖縄県立博物館・美術館「大城精徳の仕事」

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1990年6月 浜松昭『沖縄戦こぼれ話』月刊沖縄社○朝鮮から徴用されて来た女性たちの『花代』ー十・十空襲の前、三二軍は各部隊に慰安所をつくる手配をした。そこに連れられて来たのは、当時『朝鮮ピー』と呼ばれた独身の60名であった。/佐久田繁ー沖縄戦の写真、あなたでも買えます-琉球文化社の大城精徳君によると、『金さえ出せば、ペンタゴンでは誰でも買えるんだ』というのである。そして大城君が注文した写真が二か月後に、ペンタゴンから郵送されてきた。その写真をもとに私は、1977年8月『日本最後の戦い・沖縄戦記録写真集』を出版、沖縄三越で写真展もやった。


1997年4月30日 パレット久茂地9F「石垣博孝個展レセプション」




2020年2月15日 ~ 2020年6月28日 沖縄県立博物館・美術館「大城精徳の仕事」/2018年6月 日本民藝協会機関誌『民藝』第786号 大城精徳「琉球の屋根獅子」、西村貞雄「沖縄における獅子の歴史」


1984年4月 大塚清吾『写真集 沖縄の屋根獅子』「座談ー琉球文化と屋根獅子/大城精徳・大城立裕・西村貞雄・大塚清吾」葦書房(福岡市)


1977年2月『日本古書通信』復刊394号「全国古本屋地図ー鹿児島市・センバ書房、糸書店、文耕堂書店/那覇市・琉球書院、根元書房、上原書店、竹書院、龍潭図書、南島書院、遊古堂書店」


1969年6月 『琉球政府立博物館館報』第2号 大城精徳「琉球の唐獅子雌雄考」

1970年3月 『琉球政府立博物館館報』第3号 大城精徳「琉球の屋根獅子」→1972年 増補版「琉球の屋根獅子」発行・琉球文化社



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1973年10月『琉球の文化』第四号 福本泰男「きじむん・おそうれ・・・」/1990年4月12日八汐荘にて、左から福本泰男氏、大城精徳、星雅彦氏


2007年11月1日 沖縄県立博物館・美術館 OPEN

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 1973年3月ー『琉球の文化』第三号<特集・琉球の伝統玩具/琉球の塗物>□琉球文化社〒902那覇市安里425丸清ビル2階/コザ支社(城間喜宏)/関西支局(沖縄関係資料室・新城栄徳)/神奈川出張所(平良秀夫)


<50年前の琉球の玩具>我部政達が1930年1月20日~28日ー東京三越4階西館で「琉球展覧会」に出品したもの。
特集Ⅱ・琉球の漆器
  琉球漆器考(再録)ー石沢兵吾
  文献にみる琉球漆器の古さー山里永吉
  漆に魅せられてー前田孝允
  琉球独得の漆芸「堆錦」についてー編集部
  沖縄漆工芸の現状と将来を考えるー伊差川新
  沖縄の漆器素材と漆料の問題ー多和田眞淳
  琉球の漆工芸・郷土玩具に関する文献ー新城安善 
  現代沖縄の工芸家ー漆芸家・前田孝允さん

左のカラー図は、崎山嗣昌「闘鶏」/古倉保文「首振りトラ」、


1974年9月 『月刊 歴史手帖』名著出版「地方史雑誌・文献目録ー◇琉球の文化 第三号」
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1973年5月14日ー大阪『朝日新聞』「守れ!沖縄の心と自然ー埋もれた文化掘起す」
◇この頃は、京都の店の寮の他に、鳴滝の沖縄学生の一軒家、千里ヶ丘の沖縄学生寮、大阪港区の池島保育園、、嘉陽のアパート、都島の資料室によく泊まっていた。→新城栄徳

2011年12月19日 中山良彦『戦後沖縄をプロデュース ー文化としての「民主化」をめざしてー』「海洋博・沖縄館を演出して・・・・1973年8月ー総合プロデューサー事務局の事務局長には、宮里勢津子さんという女性を当てた。9月に入って竹林なおみさんという女性とアルバイトを採用した。後で安次嶺正子という学芸員が入った・・・/『展示物調達委員会』、委員は源武雄、比嘉政夫、大城精徳、上江洲均、宮城篤正、星雅彦の諸氏に、私(中山良彦)と公社の宮里一夫氏が加わった。」
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1973年、上の沖縄タイムスの記事をみて、京都駅近鉄名店街の「紅屋」に「仏桑花の会」事務局長、石川洋氏が訪ねてきた。後日、一燈園に石川氏を訪ねて歓談した。
1973年10月 季刊誌『琉球の文化』第四号<特集Ⅰ・琉球の芸能><特集Ⅱ・琉球の古武術>






1973年10月『琉球の文化』第四号 福本泰男「きじむん・おそうれ・・・」/1990年4月12日八汐荘にて、左から福本泰男氏、大城精徳、星雅彦氏

1974年3月23日~6月2日 大阪万博記念公園エキスポランド「大沖縄展」


会場内の沖縄文庫で沖縄本を販売する新城栄徳。いつも岡本太郎の太陽の塔を見ながら、民博はまだできていない。/このときの陶器コーナーではシーサー造りの名人・島常賀翁と、陶芸家で駆け出しの平良幸春氏とは一緒に陶芸の用具や釉薬などの材料の店、常賀翁のシーサー造りを2カ月以上観てきた。常賀翁の三線模合仲間の宮城美能留(宮城 稔)沖縄歌舞団団長の宿泊先のホテルに、一緒に見舞いに行ったこともある。

當銘敏男・絹枝ご夫婦の間の肖像画は名渡山愛順の作品。大城精徳の紹介で絹枝さんが名渡山のモデルをしたお礼にもらった/上の絵は大城精徳作品。

〇新城栄徳、大城精徳さん澄子さんと夜、西宮市のレストラン「キャッスル」に行く。/キャッスル前で當銘敏男氏、絹枝さん/大城精徳と絹枝さん(澄子さんの妹)
 押入れの奥から1974年5月発行の『週刊FM西版』が出てきた。中に文・平山弓月、写真・東島安信「ヤング・スパーク’74 初の本土公演・・・琉球八重山芸能研究会」が載っている。当時、大阪市博物館長の平山敏治郎さんから「息子が琉球大学八重山芸能研究会を取材したいといっているので根回しをお願いしたい」と電話だったか忘れたが言ってこられた。すぐ沖縄関係資料室主宰の西平守晴さんに相談し琉大の学生たちに連絡が行き、音楽雑誌の記事になった。/大城精徳さんと同行し大阪市立博物館に平山敏治郎さんを訪ねる。先客二人が居られたが、平山さんは「君らはいつでも会えるので、こちらは遠来の客だから」と、お二人に帰ってもらった。大城さんと平山さんは旧知の間がらで親しく歓談した。→新城栄徳


1974年2月 『染織と生活』№4「特集 琉球の伝統織物」 1975年6月『染織と生活』№9「特集 琉球紅型」


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1974年10月 京都国立近代美術館「沖縄の工芸」展



「琉球の古文化財―大嶺薫美術館蔵ー」発売元・琉球文化社