昨日、南風原文化センターで前館長の大城和喜氏の「収穫祭」があった。途次、民主党マークがある選挙事務所をみた。今、沖縄人にとってそのマークは怨嗟の対象でしかない。短い小鳩民主党政権はアメリカの属国体制は維持、赤字財政の出口は見えず、「密約問題」があっても現実は何にも変わらない、また年中行事化された慰霊の日が来るが「教科書問題」には何のクソの足しにもならないどころか自民党や民主党は沖縄人御霊をゴミ扱いしている。「負担軽減」といって「地位協定」にはだんまりを決め込む。自公政権と変わらない政党が民主党。現に社民党や社大党も距離を置くという。その反面、民主党沖縄県連の議員は何を考えているのかサッパリ分からない。テレビを見ると怪しげな政治評論家ですら重要テーマの2番目は普天間問題だと喋っている。昔から米軍基地に終始一貫反対しているのが共産党だが、これとてソ連、中国、北朝鮮の核攻撃を煽りたてているテレビには無視されている。テレビで大宅映子が、今度の新総理は前に年金未納問題でテレビと提携し坊主頭で寺巡りすることを平気で中継させる嫌いなタイプのオトコと言うていた。テレビの思惑通り国民には何ら期待されていない内閣が支持率をアップしているという(投票日前後には支持率が大幅に下降)。今や民主党マークはマゾ的国民以外の怨嗟の対象となりつつある。(妄言多謝)

null

私の手元には志多伯克進、静子が國吉眞哲、まり子に宛てた手紙などが6通ある。また静子が岡村吉右衛門から貰った『沖縄之民謡』、克進が刑務所時代に作った漆器もある。前に、戦後の新宿・酒禮門時代のことを記したので今回は戦前のことを記す。眞栄田三益の協力で親族の眞栄田勝朗が『大阪球陽新報』を創刊したのは前に記した。その新報の1939年1月15日付けに「オイル事件の志賀君/泡盛屋開業ー沖縄オイル事件で有名な志賀進君はその後、東京市政人社に勤務していたが同社を辞し小石川区坂下町154番地にモダン泡盛スタンドを開業しているが愛嬌者の君のサービス振りが評判になり大繁盛を極めている由である」と親しく報道している。ちなみに側の記事は南風原朝保(台北市)「郷土趣味講座は非常に有益」がある。

null

國吉眞哲翁は眞栄田三益、志多伯克進とも親しかった。で、琉球新報記者時代はよく検挙されブタ箱に入れられた。社に帰ってくると太田朝敷社長からは「帰ってきたか」と首里言葉の一言だけで別に咎めなかったという。眞哲翁は1932年2月の『琉球新報』にオイル事件で刑務所に収監されている志多伯克進、前田一郎、大城永繁、安里成忠、徳田球一らの「獄中通信ー沖縄共産党諸君の事件より」を掲載した。

□志多伯克進「世間では俺が弱っているとの風聞らしいが、それは自分が娑婆に居た当時弱っていたのから推してあんな所へ行くと猶更とへるもんだと想像したに違いない。しかしそれは間違いだ。当人の俺は娑婆とお別れの際に病という厄介千万な奴とも御サラバしてきたのでここへ来て以来大変健康だ」

» Read More