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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1981年6月 雑誌『青い海』104号 宮里朝光「沖縄の人名由来記」

ひやみかせー!しまくとぅば/宮里朝光「上之御庭之鐘(俗称・万国津梁の鐘)の銘」
首里城北殿の階段 大龍柱は正面を向いている。
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旧博物館玄関の万国津梁の鐘


宮里朝光「上之御庭之鐘(俗称 万国津梁の鐘)の銘 」沖縄語訳
琉球国は(りゅーちゅーくこー)、南(ふぇ)ぬ海(うみ)んかいある良景色(ゐーちしち)ぬ島(しま)やん。景色(ちしち)ぬ良(ゆ)たさしぇー北(にし)んかいある朝鮮(こーれー)とぅ比(くら)びらりーん。

中国(とー)とー上(うぃー)ぬ顎(あぐ)とぅ下(しちゃ)ぬ顎とぅぬ関係(かかわい)ぬぐとぅ日本(やまとぅ)とー唇(しば)とぅ歯(はー)とぅぬ関係ぬぐとぅ互(たげー)に助(たし)きてぃ栄(さか)ゆる国(くに)やん。くぬ二(たー)ちぬ国ぬ間(いぇーじゃ)んかいある水(みじ)ぬ湧(わ)ちゅるぐとぅ栄(さけー)てぃ行(い)ちゅる仙人(しんにん)ぬ御住所(うしめーじゅ)んかいないる優(すぐ)りとーる島やん。

国々(くにぐに)ぬ欲(ふ)さする物資(むぬ)船んかい載(ぬ)してぃ行(っん)じ満足(ちょーぢょー)しみてぃ戦争(いくさ)する心(くくる)止(とぅ)みらするぐとぅ平和(てーふぃー)ぬ仲立(なかだち)ちそーん。珍(みじら)しい物(むぬん)宝物(たからぬむん)御物城(うむぬぐしく)んかい蓄(たく)うぇーてぃ注文(あちれー)ぬあれー持(む)っち行ちゅるぐとぅそーん。土地(じー)ん人(っちゆ)ん優りとーくとぅ、遠(かー)まぬ中国日本ぬぐとぅ情(なさ)きっし国治(をぅさ)みとーん。

あんし、我王殿下(わーおーぬしーめー)大世主(うふゆぬぬし)、庚寅(かにーとぅら)ぬ年(とぅし)に御降誕(うしでぃり)みしょうち、唐名(からな)、尚泰久王(しょうたいきゅうおう)んち御名付(うなぢき)みしょうち、王位(をーぬぅくれー)、御天(うてぃん)ぬ御神(うかみ)から御授(うさじ)かみしょうち、国民(うまんちゅ)優りとーるくぬ土地をぅてぃ育(すだ)てぃみしぇーん。

仏教(ふとぅきぬうしー)広(ふぃ)るがらち、くぬ世(ゆー)をぅてぃ受(う)きたる御恩(ぐうん)、御恩返(ぐうんけーし)みしぇーるたみに新(みー)くに巨鐘(うふがに)造(ちゅく)みしょーち、くぬ国ぬ首里城(うぐしく)ぬ上之御庭(うぃーぬうなー)んかい掛(さ)ぎみしょーち日夜(ゆるふぃる)鳴(な)らしみしぇーん。

法(うちてぃ)中国ぬ夏(か)・殷(いん)・周(しゅう)・手本(てぃふん)にっし定(さだ)み、周ぬ国ぬ文王(ぶんのう)とぅ武王(ぶおう)ぬ御考(うかんげー)えーぬごとぅ武器(いくさどーぐ)あちみてぃ蔵(くら)んかい収(をぅさ)みてぃ戦争(いくさ)ぬねーん平和な世にっし、くりから生(つん)まりーる王ぬ達(ちゃー)んかい教(ならー)しみしぇーん。下は(しちゃー)、くぬ世(ゆー)をぅてぃ戦争ぬたみに苦(くる)しどーる国民(しむじむ)救(すく)てぃ。上は(うぃーや)永久(いちまでぃん)王位ぬ尊厳(うすりをぅがまりーる)ぐとぅ神願(かみぅにげー)みしぇーん。

勅(うぃーし)拝(をぅが)でぃ相国寺(しょーくくじ)ぬ住職(ちょーろー、長老)渓隠安潜(けいいんあんせん)、御銘(みがち)求(いら)でぃうさぎやびたん。

須弥山(しゅみせん)ぬ南表(ふぇーむてぃ)なかい、情(なさ)き深(ぶか)さる島ぬあん。我王殿下(わおぬしーめー)ぬ現(っんじ)みしょち、苦労(くろー)そーる衆生(っちゅ)助(たし)きんち、解脱(ふとぅきくくる)になみしょーち、くぬ華鐘(ちゅらがに)鳴(な)らしみしぇーん。国中(くにじゅー)んかい響(とぅどう)ちーねー、御主(うしゅ)ぬ御声(みくぃ)んち皆(んな)が聞(ち)ち、乱世(みだりゆ)ぬ夢(いみ)むる覚(さ)まち、神ぬ褒みゆる誠持ち、堯舜(ぎょうしゅん)天子(てぃんし)ぬ世(ゆー)ぬぐとぅに、平和(てーふぃー)な世になち続(ちぢ)かしゅん。

□宮里朝光(NPО沖縄語普及協議会会長)ー〒903-0803 那覇市首里平良町2丁目139番地 電話098-884-9698

宮里朝光(沖縄方言普及協議会会長)ー那覇市首里平良町2-139 ℡884-9698

『オキナワグラフ』2007年3月号「私の宝もの」


しまくとぅばプロジェクト
宮里朝光先生としまくとぅばで読む銘文「万国津梁の鐘」
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宮里朝光氏と平良知二氏

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Category: 02-関西の沖縄
Posted by: ryubun02
○天理市の天理図書館や天理参考館はよく行く好きな場所である。どちらも天理教の文化活動の拠点で、図書館の蔵書は150万冊以上で内国宝は6点もある。参考館は民博の先輩格で移民先の民族資料や沖縄コーナーもある。私はとくに「かんろだい」があるところでボーっと座るのが好い。

天理教教会本部



1979年9月『天地』反町茂雄「隻眼の蔵書家たち(下)B・H・チェンバレンの場合」




〇1984年4月 反町茂雄『日本の古典籍ーその面白さ その尊さ』八木書店


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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
  
○郷友会全体に、二世たちの参加状況が極端に悪くこのままの状態が続けば郷友会組織はどうなるのだろう、という危惧がある。(略)現状はどの郷友会も10年先の会の行方を心配している。(略)民俗芸能の継承、会誌、機関紙の発行を通じて郷友会と深く関わっている青年もおり、これら青年の夢を育て、郷友会を育成するのは、現在郷友会を背負っている一世会員の責任かもしれない。

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
1948年7月ーうるま新報社、那覇市三区に新築移転

1950年   仲地米子、うるま新報記者
1951年3月 外間政彰、琉球契約学生として上智大学入学→4月 外間政彰、早稲田大学新聞学科
         この年、『琉球学生新聞』、日月社『祖国なき沖縄』に関わる
     
1951年9月ー『うるま新報』を『琉球新報』と改題

1954年2月ー御成橋通りに社屋完成/6月ー琉球新報写真展、特選に山田實「光と影」
1955年9月ー比嘉春潮宅で「沖縄歴史研究会」がはじまり外間政彰も参加

1963年9月ー山形屋で琉球新報主催「私の愛蔵品展」/9月28日ー『琉球新報』「関西で活躍する沖縄の人たち」

1965年1月ー琉球新報社、那覇市下泉に新社屋
1965年5月ー『沖縄の婦人』第1号 発行所「沖縄の婦人」社/発行人・外間米子





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Category: 02-関西の沖縄
Posted by: ryubun02
1939年7月 沖縄日報、松村実記者を中支・漢口へ特派
1940年1月 石川正通夫妻、来阪

1940年7月29日『沖縄日報』

1940年8月2日『沖縄日報』

1940年8月 関西泡盛販売業組合結成。組合長・嘉手納順吉、副組合長・金城南邦
          金城南邦、戎座で真楽座(大宜見小太郎)興行

この頃  真喜志康忠、来阪
1940年11月 大阪高島屋で「尚順男爵家御所蔵品展観」
1940年12月 宮城桃幸、沖縄県大阪物産斡旋所所長
1941年5月 宮良高夫、毎日新聞大阪本社・社会部(宝塚詰)
1942年4月 仲井眞元楷、琉球歌舞団主宰、戎座で公演
1944年月 大阪港区の浪花劇場で金城南邦一座、仲井眞元楷の琉球歌舞団合同公演  
1945年3月 大阪夜間大空襲ーB29約90機が約7万個の油脂焼夷弾投下で19区の大部分焼失、死者3115人/3月 ニミッツ元帥、海軍軍政府布令第1号(日本政府の沖縄への権限停止)/井伊文子夫妻、彦根に疎開/山口國雄、京都帝国大学法学部卒業

「1945年5月25日、沖縄新報の私たち一行は豊平良顕君、具志堅政冶君(妻子同伴)、前田宗信君に牧港篤三、大山一雄、稲嶺盛国、仲本政基、島袋俊一、与儀清三君らが加わって首里城から脱出した。(略)捕虜になるー私の知人で首里第一国民小学校の教頭だった座波嘉永氏が米軍の命令を受けて学校を開いていたので、これさいわいと頼み込んで豊平君を始め牧港、島袋俊一君らを教員に引きとってもらった。(略)沖縄タイムス創刊ー発行日の二日前に上間正諭、牧港篤三、大山一雄、仲本政基、稲嶺盛国、島袋俊一君らは編集の作業をすませた」。高嶺朝光『新聞五十年』(沖縄タイムス社1973年)

1945年10月 比嘉正子、鴻池主婦の会発足させ、主婦の店をつくり消費者運動の草分けとなった
1945年11月 尼崎中学校で尼崎沖縄人連盟結成大会/11月11日、東京丸の内の沖縄県事務所で          沖縄人連盟創立総会/11月26日、中之島公会堂で関西沖縄人連盟創立大会。代表・豊川忠進、兼島景毅、井之口政雄

1946年1月26日、中央大学講堂で沖縄学生会発足、会長・山川武正、評議員・上地栄、神村朝堅、 金城和彦
      1月28日、関西沖縄人連盟大会(尼崎難波自由市場内)徳田球一を招く。
      2月24日、日本共産党第五回党大会「沖縄民族の独立を祝うメッセージ」
      3月、『関西沖縄新報』創刊
      4月1日、沖縄人連盟(沖縄大島人連盟)関西本部結成大会。会長・幸地長堅 副会長・翁長義隆、大江三子雄、大山朝繁、宮城清市、屋良朝陳
      4月、関西沖縄青年同盟結成大会。委員長・大湾宗英  顧問格・高安重正  執行部・屋良       朝光、山田義信、高良武勇
      8月4日、沖縄人連盟兵庫県本部結成大会。会長・大山朝繁  副会長・赤嶺嘉栄、安里嗣福、大城清蓮  書記長・上江洲久

空手の人物事典や上地流の本を見ると赤嶺嘉栄が出てくる。沖縄人連盟史関連にも名前が出てくる。その沖縄人連盟では赤嶺が中心となりヤクザ鴻池組系井上組に抗議している。また又吉世喜(1975年)や喜舎場朝信(1977年)の葬儀に、宮城嗣吉と共に友人代表のひとりに名をつらねている。また赤嶺の葬儀のとき友人代表のひとりとして東京の万年東一の名がある。万年は横井英樹銃撃事件で知られる安藤昇の親分である。
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写真ー赤嶺嘉栄
万年東一の名刺/安藤組組織図、上の方に万年東一の名がある。

1946年8月 沖縄人連盟兵庫県本部結成大会
1946年9月 大阪毎日会館で帰還惜別沖縄芸能公演ー真境名由康、金武良章、池宮城喜輝ら参加
1947年2月 大阪市文化会館で沖縄青年同盟結成大会

1951年8月 沖縄タイムス西部支局(松村実自宅)/琉球新報関西支局(塩浜政光の自宅)
 
1957年6月 『琉球新報』石野朝季「関西の沖縄地帯」/10月、『琉球新報』石野朝季「商都に生きる」(儀間比呂志、島晴美、宮城良浚、比嘉正子)
1959年2月 『琉球新報』石野朝季「大阪と那覇あまくま」(スケッチ・儀間比呂志)/沖縄タイムス鹿児島支局の」新川明記者、関西支社の島袋俊一記者と入れ替わり赴任。
1961年8月 津野創一、琉球新報関西支局に赴任



1960年1月『オキナワグラフ』「僕は特派員ー石野朝季(琉球新報東京総局記者)、植木清直(琉球放送東京支社)、宮城直温(沖縄テレビ放送東京支社編成部)、遠山一平(琉球新報関西支局記者)、新川明(沖縄タイムス関西支社記者)、島袋俊一(沖縄タイムス鹿児島支局記者)、新田卓磨(琉球新報福岡支局記者)
1960年1月 戦後初の大阪からの観光団52名、日航機をチャーターして来沖。団長・徳大寺実篤平安神宮宮司、蜷川虎三京都府知事から兼次那覇市長へのメッセージ朗読

1962年4月 石原昌家、入学で来阪
1966年12月8日『沖縄新報』創刊(編集発行・島袋俊一)

 1963年6月30日の『沖縄タイムス』に「関西の郷土地図」がある。3面にわたっての特集である。関西の住人大いに語るとして翁長良孝(淀川映画興行社長、羽地村出身)、比嘉正子(関西主婦蓮合会会長、首里出身)、宮城清市(大阪沖縄県人連合会会長、羽地村出身)、上江洲久(兵庫沖縄県人会会長、尼崎市会議会副議長、久米島出身)、伊差川寛(大正区沖縄県人会青年会長、大正区生まれ)が座談会に参加している。司会は沖縄タイムス関西支社長の松村実がつとめている。
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1963年6月30日『沖縄タイムス』「座談会・関西の住人 大いに語る」
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 1971年9月のある日、私たち「沖青友の会」会員は女性3人、男性4人で機関誌『石の声』八号のガリを徹夜で切っていた。変色した1963年6月3.0日の『沖縄タイムス』3面にわたっての特集「関西の郷土地図」を転載し、主張に「沖縄の禁断の書『さまよへる琉球人』の封を自ら、はがしたように、われわれは自らの心のヤミを見据えよう」と記した。そして偶然のことだが、ガリ切り作業をやっていた嘉陽宗博(沖青友の会会長)の間借り先の、その小さな部屋の番地は、大阪市港区市岡元町で、戦前の関西沖縄県人会本部の近くの番地であった。そして10月19日、佐藤首相が所信表明演説の最中の衆議院本会議場で、沖縄青年同盟3人が<沖縄返還協定粉砕>を叫びビラをまいた。これも「基地つき返還」にたいする当然の行為であったが、3人には裁判で前科がついた。今の沖縄の現状は青年たちの危惧したとおりアメリカ軍の無法状態が続いている。その後、沖縄青年たちは「ゆうなの会」を結成、1975年9月、川崎市鶴見区潮田公園で「第1会エイサーの夕べ」(真久田正のアイディア)を開催している。同月、大阪でも「がじゅまるの会」が大正区千島グラウンドで「第1回沖縄の青年の祭り エイサー」が開催された。


1972年5月15日 大阪沖縄県人会連合会主催「沖縄県日本復帰記念式典」大阪西区・厚生年金会館/当時の在阪新聞社の記事○『朝日新聞』「大阪 古典音楽など織り込み式典/兵庫 21日に身分証明書焼捨て」○『日本経済新聞』「黒田了一知事を突き飛ばすー反対叫ぶ 沖青友の会など」○「このあと黒田了一知事は『理想的な復帰ではなく(アメリカ基地付き)、私も複雑な気持ちだが、豊かで明るい平和な沖縄づくりに、みなさんと手をたずさえていきたい』と挨拶して引揚げた。若者たちは『デイゴの会』『沖青友の会』『関西沖縄差別問題研究会』の会員、『基地つきで、いつ戦争にまき込まれるか分からない復帰で行われた日を、歌や踊りで祝うべきではない』」□今のオキナワの現状を見通した青年(現・前期高齢者)たちの当然の行動であった。今はオキナワ現地でも「基地つき復帰」したことに不満を持つ若者も増え「独立」を唱えるものが増えている



 『石の声』10号を出して休刊した。この頃から、それぞれが結婚し、子育てに忙しく沖青友の会も役目を終える。1975年1月26日に、新たな関西沖縄青少年の集い「がじゅまるの会」(会長・玉城利則)発足。大阪沖縄会館での発会式には、青年会のOBということで私も参加した。9月には機関誌『がじゅまる』が創刊された。歴史はくりかえかえすという事であろうか。

1982年7月 川上三郎『人生至るところ青山あり』関西図書出版/1986年2月19日 大阪『毎日新聞』「サムじいさんー川上三郎」

1983年2月 大正区地域振興会 沖縄研修視察旅行 桐山克己大正区長も参加

1984年4月 大城真栄『私の役員生活五十年』あゆみ写植印刷

1989年6月ー宮城清市『回想録 八十余年の歩み』

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左・大正区平尾にあった山口組内嘉陽組事務所。後に難波に移る・右「嘉陽総業」

1991年3月 『大阪春秋』第63号<特集 港区・大正区> □西口忠「大阪と沖縄」

 1994年に出た国吉真永『沖縄・ヤマト人物往来録』の最初のところに守礼門の写真がある。それとシーサーと那覇の大綱引きの写真もある。1986年1月から「ヤマトに生きる・東京沖縄県人会」のタイトルで『沖縄タイムス』に連載したものを補筆加正したものが本書である。東京沖縄県人会の機関紙『おきなわの声』のところに「4面は投稿されてくるエッセー、詩、和歌・琉歌などが中心。新年号は珍しくそれが少なく、『県がこども未来館を計画』『西表開発友の会が記念誌発行』と自主取材もの。また大阪の沖縄関係資料室を支えた新城栄徳(在大阪)が『琉文手帖』を3号まで発行した、と近況を伝えている。月刊『おきなわの声』の創刊は1979(昭和54)年12月10日で、紙名も『東京沖縄の人』(城間得栄編集長)だった。いまの紙名に改称したのは1981年10月である」と記している。

 この沖縄タイムスの連載は大阪でも1987年から「ヤマトに生きるー関西沖縄人国記」として連載された。担当は沖縄タイムス関西支社の幸地建一記者で、私も島晴美さんを紹介、大正区などには同行した。連載の27回目が大正区①で沖縄そばやの小橋川豊正・幸子夫妻らが紹介されて「現在の大正区は那覇より風情があるのではないか」との感想も。

大正区②は本部出身の平岡行秀三味線製作の大湾政一、三味線弾きの名手の金城清範、仲村昇の諸氏が登場。大正区③はユタも健在と山下ヨシエ、仲里トミ子が紹介されている。琉舞の大城豊子(私の妻の師匠である)、野村流古典音楽保存会関西支部長の与那嶺福松、関西を代表する琉舞の金城康子、玉城義隆、空手の福元英吉の諸氏が紹介された。④には関西沖縄文庫、大正区沖縄会館が紹介されている。⑤は大城真栄、新城重光、渡慶次恒徳、仲尾清の諸氏が登場しているが、仲尾以外は私は皆会っている。

1999年12月 宇多滋樹『豚の神さまー渡慶次恒徳の半生』

2001年3月『けーし風』第30号「特集 大阪のなかの沖縄」

2001年10月11日『沖縄タイムス』垣花義盛「島(島袋俊一)先生ー27回を数える今年のエイサーは、9月16日、大正区平尾公園グラウンドで繰り広げられ、大盛況であった。近畿一円はもちろん、愛知から、東京からと多団体の参加に運営役員はうれしい悲鳴を上げた。いつものように、にこにこ笑顔をふりまいてくれたのに、5日後の永別となった。島先生は名護市羽地・稲嶺の出身、享年84歳であった。

玉城利則は関西でのエイサーやウチナー芸能には欠かせない人物である。
1974年7月ー『青い海』35号□玉城利則「誇れる沖縄文化の明日に向けて」
1975年9月ー関西沖縄青少年の集いがじゅまるの会『がじゅまる』
創刊号□玉城利則「第1回沖縄青年の祭りにあたって」
1976年2月ー関西沖縄青少年の集いがじゅまるの会『がじゅまる』第2号□「玉城利則会長あいさつ」、3月『青い海』51号□玉城利則「沖縄の舟・サバニ考ーとくに語源とデザインをめぐって」
1977年9月ー関西沖縄青少年の集いガジュマルの会『ガジュマル』第4号□玉城利則「『祭り』は団結への確かな道」
1978年6月ー『青い海』74号□長峰眞名「苦悩を乗り越える沖縄青年たちーIさん問題とがじゅまるの会」
1980年2月ー関西沖縄青少年の集いガジュマルの会『ガジュマル』第5号□玉城利則「古きがじゅまるたちより若きがじゅまるたちへ」
1981年6月ー『青い海』104号□玉城利則「ウチナー姓、ヤマトゥでなぜ変わった」、『ハイサイおきなわ』創刊号(発行人・嘉手川重義、編集人・玉城利則)
1993年11月ー新城栄徳、帰省中の玉城利則から仲間恵子を紹介される。

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(上)1996年12月7日/大阪・大正駅前「居酒屋ゆんた」で、左から金城勇(演劇「人類館」上演を実現させたい会)、息子、諸見里芳美(演劇「人類館」上演を実現させたい会)、仲間恵子(大阪人権博物館学芸員)、崎浜盛喜(奈良沖縄県人会副会長)、右端がゆんた主人の玉城利則(関西沖縄青少年の集い「がじゅまるの会」初代会長。1981年、『ハイサイおきなわ』編集人、発行人は嘉手川重義(現大阪沖縄県人会連合会長)と夫人、真ん中の女性はお客さん。撮影・新城栄徳/(下)1996年12月8日/大阪港区・池島保育園(近鉄の野茂英雄投手も同園出身)階上で、左より西平久子、西平守晴夫妻、娘、後に息子。撮影・新城栄徳

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Posted by: ryubun02



『和漢三才図会』「龍蛇部」
和漢三才図会 わかんさんさいずえ
江戸時代中期の図説百科事典。『倭漢三才図会略』ともいう。寺島良安編纂。 105巻。正徳2 (1712) 年成立。中国の『三才図会』に範をとり,和漢古今の事物を天文,人物,器物,地理などに分類し,図入り漢文体で解説している。 →コトバンク


1951年5月『南方熊楠全集』1 十二支考(1)乾元社
○龍の起源と発達ー1867年版ゴルトチッヘルの希伯拉鬼神誌に、聖書に所謂龍は雲雨暴風を蛇とし、畏敬せしより起こると解た。亜喇伯人マスーヂー等の書に見る海蛇(聖書の龍と同根)は、其記載旋風が海水を捲上る顕象たる事明白で、其を我国でも龍巻と云ひ、八雲の立つ同様下から立ち上がるから龍をタツと訓み、乃ち旋風や龍巻を龍と云たと誰かから聞いた。・・・・

1979年12月 吉野裕子『ものと人間の歴史 32 蛇』法政大学出版局
○たとえば隣国中国の天地開闢の創世神は、伏犠・女媧の陰陽神であったが、この二神の神像は人間蛇身の兄弟神で、しかもその尾を互いにからませあっているから」夫婦関係を示している。要するに中国の祖神は蛇なのである。この蛇の夫婦神は劫初の洪水をのがれ、天の裂け目をつくろって平和をもたらし子孫をのこして栄え、人間の祖となったのである。このように蛇は人間の祖先にまでたかめられるのに対し、キリスト教では、性を人類の祖先に教えた蛇は諸悪の源、原罪をつくったものとして邪悪の権化と見なされ、多くの聖画の構図にみられるように天使の足は永劫に蛇を踏みつづけている。 出雲大社竜蛇神図


1982年7月号『遊』「龍の美術誌」




2002年4月 土屋禮一『龍の本』ビジョン企画出版社

2015年3月 秦恒平『湖(うみ)の本 123 繪とせとら日本』「龍蛇の問題ー『龍の研究』といった本があるかどうか、無くはあるまいが、まだ目にしたことがない。にもかかわらず、『龍』に関心をもってきた。干支の『辰』も、関心に含まれてはいる。しかし根ざした思いとしてはあくまで『龍』である。と同時に、龍頭蛇尾ともいう。根はひとつで、おもむくところ、必然『蛇』にも注意せざるをえない。現実問題として、『龍』の問題は余儀なくむしろ『蛇』を介して思案せざるをえない。・・・」

伝説の地(共興地区東小笹) 
 名主は、龍神(りゅうじん)を深く信仰していたので、毎日海岸に出てお祈りをしていた。ある日のこと、いつものようにお祈りをしていると龍神が現れ、「日頃、お前の信心深いのには実に感心している。今日は龍宮城(りゅうぐじょう)へ招待しよう。私の後について来なさい」と言った。信仰厚い名主は、招かれるままに龍神の後をついて行った。青い瓦、朱塗(しゅぬ)りの柱、美しい彫りもので飾った回廊(かいろう)、今まで見たことのない、宮殿であった。珍しい飲み物や食べ物、それにすばらしい音楽、美しい踊り。名主は、龍神から手厚い持て成しを受けた。何もかもが夢を見ているようで、いつの間にか、数日がたってしまった。→千葉県匝瑳市

2016年1月8日 若狭の龍神






1992年6月『新生美術』10号
山里永吉×浦崎永錫□古きよき美術放談ー浦崎「ぼくが絵が好きになったのは、小さいころ若狭町の漆器屋の大見謝さんという人が、ランとかタケだとかを実に美しく、どんどん描いているのをうっとり見とれていたもので、それが一つの刺激になったのだと思うネ。」 山里「若狭町といえばそのころ沖縄の芸術家の出身地で絵をかく人には若狭町出身者が実に多いんだ。比嘉華山、金城南海、親泊英繁、西銘生楽、渡嘉敷衣川、野津久保、渡嘉敷唯仁、それに浦崎永錫がそうだろう。古くは有名な彫刻家・田名宗経もそうだし、若狭町は芸術家の輩出する町だネ。これは若狭町、漆器の影響だと思うな。」  浦崎「そうか、田名宗経も若狭町出身か、初耳だ。漆器の刺激と、それに景色がいいことだろう。夕方になると、おとなも子供もいっぱい若狭町灣小に出て夕日に見とれていたものだ。・・・・・」 

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Posted by: ryubun02
 東京千代田区丸の内は、明治維新後に武家屋敷は取り壊されて官有地となり、陸軍の兵舎・練兵場などになった。陸軍兵営が移転した後の1890年、三菱の2代目当主・岩崎弥之助に150万円で払い下げられた。当時の丸の内は草の生い茂る原野と化しており、三菱ヶ原と呼ばれた。1894年に丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館が竣工、これを皮切りにロンドンのロンバード街に倣った赤煉瓦街が建設され、一丁倫敦(いっちょうろんどん)といわれるようになった。三菱の手でオフィス街が築かれたこの地区は、現在に至るも三菱グループ各社の本社や三菱地所所有のオフィスビルが集中する。→ウィキ


三菱広報委員会『マンスリー”みつびし〟』
三菱グループ - 三菱財閥を前身とするグループ。 三菱商事/三菱UFJフィナンシャル・グループ 三菱東京UFJ銀行/三菱重工業 - 下記はその関連会社。 三菱自動車工業/三菱ふそうトラック・バス - 現在はドイツ・ダイムラーの子会社であるが、三菱各社も出資している。/三菱電機

三菱商事○貿易仲介を中心とした口銭を稼ぐビジネスが中心であったが、藤野忠次郎が社長に就任した1970年代より資源開発への直接投資(天然ガスや原料炭)を手掛けるようになり、1980年代には菱食(現 三菱食品)などの食料流通などのバリューチェーンの構築を展開、1990年代に入り、コンビニエンスチェーンローソンを通じた消費者マーケットの開拓など、川上から川下までの領域にわたっての投資や経営参画を通じて収益を上げる体質変化を遂げ、収益拡大を続けている。三菱金曜会及び三菱広報委員会の会員企業である。→ウィキ

三菱電機株式会社(みつびしでんき、英: Mitsubishi Electric Corporation)は、日本の総合電機メーカーである。重電8社(日立製作所、東芝、三菱電機、富士電機、明電舎、日新電機、ダイヘン、東光高岳)の一角。また、大手重電3社(日立製作所、東芝、三菱電機)の一角でもある。

1951年4月1日 - 戦争により中断していたウェスティングハウス・エレクトリックとの技術提携が復活。8月にはWABCO社との提携も再開。/1958年 - 三菱電機が中核となり三菱グループ25社で三菱原子力工業を設立。/1960年 - トランジスタ式コンピュータMELCOM 1101を発表。

防衛機器○誘導機器 - 鎌倉製作所:防衛省関連の製品としてミサイルを製造している。戦闘機用の中距離空対空ミサイルで、ライセンス生産ではレイセオンのスパローミサイル (AIM-7F) 、自社開発では99式空対空誘導弾 (AAM-4) 、地対空ミサイルでは03式中距離地対空誘導弾 (SAM-4) がある。他にパトリオットミサイルやイージス艦に搭載されるシステムやJ/FPS-5(通称「ガメラレーダー)等、TMD関連の業務も行っている。

防衛省は三菱電機が電子システム事業がミサイル設計や衛星関連などの契約料金を水増し請求したことに関して、2012年1月27日に指名停止処分とした。なお、同省以外にも内閣衛星情報センター、独立行政法人 宇宙航空研究開発機構、独立行政法人 情報通信研究機構、総務省のそれぞれから指名停止、または競争参加資格停止の措置を受けていたが、返納金を納め2016年現在全て解除されている。→ウィキ

株式会社三菱総合研究所(みつびしそうごうけんきゅうしょ)○東京都千代田区永田町二丁目10番3号に本社を置く、日本のシンクタンク、システム開発会社でシステムインテグレーター(ユーザー系)。略称は、MRIまたは三菱総研。市場規模が大きいITソリューション事業の拡大方針を明確にしており、ITソリューション事業部門の拡大、システム開発会社であるダイヤモンドコンピューターサービス(2016年現在の三菱総研DCS)の連結子会社化、三菱UFJフィナンシャル・グループとの業務提携などの施策をとっている。連結売上高・純利益の半分以上を、三菱総研DCSが占める。。→ウィキ

○コンピュータ博物館は,日本の歴史的コンピュータとその開発に携わった人々に関する史料を集めたバーチャル博物館です.1956年にわが国最初の電子計算機FUJICとETL Mark IIIが作られてから半世紀が過ぎましたが,この間に作られた多くのコンピュータの写真と解説を始めとして関連史料多数が掲載されています.「温故知新」といいますが,これらの史料から将来へのヒントを得ていただければ幸いです.→情報処理学会
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 運玉森は71年前、沖縄戦で焼き尽くされました。 運玉森は(北海道の部隊が守備をしていましたが多くの人が戦死しました。 「北海道の塔」は西原町字翁長にあります。沖縄戦で首里の32軍の司令部を中心に北に向かい西のウイング(翼)がシュガーローフ(新都心)であり、東のウイング(翼)が吾が運玉森だったのです。

 20年前、山火事で戦後何度目かの火事がありました。僕が38歳の頃でした。「かわいそうにな~」 と思うならばもう一度、木を植えよう! という、 平凡、且つ非凡な考えが芽生えました。沖縄の在来の木々7~8種を植えました。5年計画で1200本の植樹を敢行しました。 西原と与那原の少年・少女達と・・・ 僕の力強い友人達・・・。最終年には「運玉植林隊」は120人にもなりました子ども達の父母が参加したからです・・・


右ー左が石川和男氏

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右ー左から玉寄貞一郎副会長、与那城昭広・前会長、山内宏幸副会長



左ー末吉良治粟国村教育長「挨拶」

左ー仲里好孝郷友会会長/与那城昭広・前会長



左ー浜川政敏「ギター曲」


右ー濱川栄優・粟国小中学校校長「挨拶」


右ー濱川栄優・粟国小中学校校長飛び入りでカチャーシー

右ー玉寄盛和郷友会副会長「閉会の言葉」


母と、我が恩師/お土産「粟国の黒糖」「粟国特産もちきび」
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会場のJAおきなわ真和志/会場受付


玉寄貞一郎郷友会副会長「開会の言葉」/仲里好孝郷友会会長「会長挨拶」


新城静喜粟国村長「来賓祝辞」







左ー糸数清・隆清群座長「遊びちじゅや」


写真右から糸数清氏、真喜志康徳氏、新城栄徳

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1991年5月 『地理』「特集・アジア系アメリカ人」古今書院

1991年4月 ディビッド・E・カプラン/アレック・デュブロ 松井道男『ヤクザ』第三書館
2006年7月 『ヤクザが消滅しない理由 江戸時代から今日までヤクザビジネスの正体』デイビッド・E.カプラン/著 アレック・デュブロ/著 松井道男/訳 坂井純子/訳
内容説明
米国「ノンフィクション書籍調査報道者&編集者賞」の前作から17年。江戸時代から現代までのヤクザをタテ糸とし、アメリカと日本の政・官・業のヨコ糸が織りなす一大絵巻。
目次
第1部 ヤクザはいつ、なぜ、どのようにして生まれたのか(高貴なるヤクザイメージはどこから来たのか)
第2部 児玉誉士夫が暗躍した時代に何が起こったのか(ヤクザを元気づけたアメリカの占領時代;手を結ぶ右翼とヤクザ ほか)
第3部 ますます複雑化した「犯罪組織」は日本社会とどうからんでいったのか(発展し続ける犯罪組織;日本的構造腐敗の実態を解明する ほか)
第4部 海外で何を起こしてきたのか…そして、いまは(拡大する「性貿易」、「麻薬取引」;世界の古い市場、新しい市場 ほか)
著者紹介
カプラン,デイビッド・E.[カプラン,デイビッドE.][Kaplan,David E.]
アメリカ人ジャーナリスト。アメリカ3大週刊誌の一つ『USニュース&ワールド・レポート』の記者。組織犯罪、テロ問題の第一人者
デュブロ,アレック[デュブロ,アレック][Dubro,Alec]
アメリカ人フリージャーナリスト。元全米作家組合会長。組織犯罪問題の権威者。日米戦後史の米機密文書アナリストとして日本の月刊誌、週刊誌にも日米戦後史の記事を多数寄稿している

松井道男[マツイミチオ]
国際ジャーナリスト、米機密文書アナリストとして月刊誌、週刊誌に国際情報の記事を書いている
坂井純子[サカイスミコ]

1999年1月 『映画秘宝・地獄のアメリカ』洋泉社

2000年2月 『Esquire』
2000年11月7日~19日 那覇市民ギャラリー「帰米二世画家 小橋川秀男ー永久少年の夢と生涯」(沖縄県主催)

2001年3月 琉球大学法文学部『アメリカ統治と戦後沖縄ー異文化の衝撃ー』
2001年9月11日朝(現地時間)、マサチューセッツ州ボストン、バージニア州ダレス(ワシントンD.C.近郊)、ニュージャージー州ニューアークを発った4機の旅客機が、モハメド・アタを中心とするアラブ系グループによってほぼ同時にハイジャックされた。彼らは操縦室に侵入し、パイロットを殺害した後、自ら操縦して、2機(アメリカン航空11便、ユナイテッド航空175便)をニューヨーク・マンハッタンへ、残り2機(アメリカン航空77便、ユナイテッド航空93便)をワシントンD.C.へ向かわせた。航空機が使用された史上最大規模のテロ事件であり、全世界に衝撃を与えた。その後、アメリカ軍は報復としてアフガニスタン紛争、イラク戦争を行った。→ウィキペディア

2002年11月 ブルーガイド海外版出版部『わがまま歩き⑫ニューヨーク』実業之日本社
 
2003年  21世紀沖縄公論刊行室『ペリー琉球6日間の旅物語と150年後の今物語』

2003年、米海軍は米領プエルトリコの本島東側に位置するビエケス島の爆撃演習場を閉鎖。1940年代以降、米国海軍は、爆撃演習場としてビエケス島の4分の3を使用し続けました。これにより、島は不発弾や様々な廃棄物によって高度に汚染されました。10年以上が経った現在でも、爆撃演習による汚染問題は深刻で多数の住民に重金属その他の有害物質の体内蓄積があることや、高い癌発生率が
報告されている。→「ビエケス島の米海軍基地閉鎖から学ぶ~基地返還と汚染除去~」2016年6月3日(金)午後6時半~9時 テンブスホール(那覇市牧志3-2-10)
小泉進次郎、2004年(平成16年)に関東学院大学経済学部を卒業後、アメリカ合衆国のコロンビア大学大学院に留学。コロンビア大ではジェラルド・カーティスに師事して、2006年(平成18年)に政治学の修士号を取得した。その後、アメリカ合衆国の戦略国際問題研究所非常勤研究員を経て2007年(平成19年)に帰国。→ウィキ
2004年2月  ハーバード大学の学生だったMark Zuckerberg(マーク・ザッカーバーグ)が、学生同士のコミュニティとしてFacebook設立。その後、スタンフォード大学、コロンビア大学、エール大学に拡大した。2006年以降に一般にも公開され利用者が拡大した。日本語版は2008年5月に公開されている。
2012年ナスダックに上場。
2004年8月 東京都・北硫黄島に夜間訓練中の米軍偵察機が墜落、乗員4人が死亡/沖縄県の沖縄国際大学構内に米軍ヘリコプターが墜落
2005年1月 神奈川県南東の海上で米軍戦闘攻撃機が空母への着艦訓練中に海中に転落
2005年2月15日   PayPalの従業員であったチャド・ハーリー、スティーブ・チェン、ジョード・カリムらがカリフォルニア州サンマテオでYouTube(ユーチューブ)を設立した。→ウィキペディア
2005年6月加藤・Á・圭子  『ニューヨーク イラスト徹底ガイド』メイツ出版
イラストー「エンパイア・ステート・ビルディング」「自由の女神」「メトロポリタン美術館」「ニューヨーク近代美術館」「アメリカ自然史博物館」「グッゲンハイム美術館」「チャイナタウン」「セントラルパーク」「グランドセントラル駅」
アルビン・トフラー/ハイジ・トフラー/山岡洋一訳『富の未来』(講談社2006年)に「『グローバル化』ほど、世界中で憎しみと議論の的になる言葉は少ない。そして、これほど偽善的に使われる言葉は少ない。これほど幼稚な使われ方をしている言葉も少ない。反グローバル化の論者の多くにとって、ほんとうの憎しみの対象は、世界全体の自由主義経済の総本山、アメリカである」とする。また、アメリカ元国際開発庁副長官の「悪徳が美徳よりもはるかにグローバル化が進んでいる」の言葉も紹介する。同書はインターネットについて「無害ではあっても、検証されておらず、真実でない知識が大量に蓄積している」とし、「生きている知識と死んだ知識(死知識)をあわせた人類の知識基盤全体のなかで、自然科学と呼ぶ小さな部分ほど、過去数世紀に人類の平均寿命、食物、健康、富の向上に大きく寄与したものはない」と強調。そして、宗教(狂信的環境保護運動)や、ニューエイジ運動などの神秘主義を売り物にする連中、ポストモダン思想を批判する。一方で自己批判は自然科学の核心部分である、とする。本書は末尾をヘレン・ケラー「悲観論者が天体の神秘を解明したことはないし、地図にない土地を発見したことはないし、人間の精神に新しい地平を切り開いたこともない」の言葉でむすんでいる。
2006年1月6日『しんぶん赤旗』横須賀 周辺住民「またか」/米空母キティホーク乗組員による日本人女性殺害事件が起きた現場は、神奈川県横須賀市の京浜急行・横須賀中央駅に近い商店街「米が浜通」の雑居ビルでした。周辺の住民からは「またか」「米兵であっても日本で起こした犯罪なんだから、早く容疑者を日本に渡し、国内法で対処してほしい」という声があがっています。現場は横須賀中央駅から徒歩五分。飲食店などが並ぶ駅前商店街と並行する裏通りに面した雑居ビル入り口の踊り場でした。踊り場は縦横それぞれ二・五メートルにも満たない狭さ。住民によると、被害者の女性は、顔面などをかなり殴られた状態で倒れ、血が流れていました。現場周辺では、数年から十数年前にも男性が米兵に殴られけがを負う暴行事件があったといいます。
2006年11月 朝日新聞社『戦争責任と追悼ー歴史と向き合う1』海外からみる目
○ジョン・ダワー氏に聞くー『戦争』は総括できたのですか「東京裁判が『勝者の裁き』であったのは、事実です。日本もドイツも、空襲で民間人を殺した罪を問われませんでした。それは、連合国側も空襲をしていたからです。また、米国の原爆投下は裁かれませんでした。・・・」「戦争責任は、東京裁判の問題よりも、もっと大きな問題なのです。しかし、東京裁判の問題は、そうした責任をあいまいにしてしまったことです。米国は占領を円滑に進めるために昭和天皇を利用しようとして、追訴しなかった。当時の日本の保守派の間ですら、天皇免責はおかしいとする意見がありました。天皇の名の下に行われた戦争で、天皇が免責されたら、戦争責任をどう考えたらよいのかわからなくなります」

Hulu 設立:2007年3月
Huluは、アメリカカリフォルニア州ロサンゼルスに本拠地を置く動画配信サービス。Huluとは中国語で大事なものを入れる入れ物であるひょうたんを意味する「葫芦」とインタラクティブに記録することを意味する「互录」とにちなむ。Wikipedia
2007年4月16日、米バージニア(Virginia)州ブラックスバーグ(Blacksburg)のバージニア工科大学(Virginia Tech)で、韓国出身の学生(23)が銃を乱射し、32人を殺害。容疑者は自殺。【翻訳編集】 AFPBB News
アメリカ合衆国のミネソタ州セントポールとミネアポリス間のミシシッピ川にかかっていた州間高速道路35W号線のミシシッピ川橋は、 2007年8月1日に崩落し車両60台以上が巻き込まれ、9名が死亡、4名が行方不明、100名以上の負傷者を出しました 。(いちらん屋)

2009年1月 『移動と表現ー変容する身体・言語・文化』沖縄県立博物館・美術館 
有馬哲夫『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』平凡社→アメリカ公文書館から発掘された新資料を交え、昭和史の知らざれる一面に光をあてた」意欲作
2009年10月『エコノミスト』石川幸憲「米国メディア危機ーリストラ、廃刊、破綻 新聞は生き残れるか」/津山恵子「テレビ局の逆襲ー全番組をインターネットで流せ 台風の目となる『HuIu』①(略)これは、テレビというメディアにこだわる時代の終焉を物語っているともいえる。米視聴者はむしろ、HuIuなどインターネットによる配信が、テレビに『革新』をもたらしていると感じている。」
 2009年1月26日『朝日新聞』小原篤□「パトリック・マッグーハン①が死んだ!」 16日の朝、新聞を開いて思わず声を上げました。ダレソレ?というのが大方の反応かもしれません。弊紙に短く載った訃報では「刑事コロンボ」の出演・演出歴に触れたのみでしたが、伝説のカルトドラマ「プリズナーNo.6」を作り、主演した人であります。(略) 全体主義対自由の闘い、東西冷戦下の強迫観念の反映、官僚主義や管理社会への批判といった見方をされるようですが、主人公の素性や辞職理由や敵の正体など核心部分を「空白」にした寓話なので、いかようにも解釈が可能で古びることはありません。「村」に満足し「外」に出ようとも思わない呆けた顔の住人に目を転じれば、現代に生きる我々の似姿に思えます。ネットや携帯といった万能感を満たすものに囲まれ、あらゆる欲望に対応して先回りした商品が用意され、自由に振る舞っているようで特定の選択肢に誘導されている、そんな生活は王様のようで実は奴隷なのではないか?個人の手に負えないほど複雑で巨大なシステムの「外」へ出ることは可能なのか?それは果たして「自由」と言えるのか?なあんてことをモヤモヤと考えさせるのですー。(略)
①1928.3.19 - 生まれ: アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク アストリア。2009.1.13, アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンタモニカで死去.両親がアイルランド人で、7歳の時帰国。ライトクリフ大学に学ぶ。アマチュア演劇に興味を持ち、舞台監督としてシェフィールド・レパートリー劇団に参加。その後、俳優に転じ、同劇団に4年在籍。1955年ロンドンのガーリック劇場で注目され、同年「The Vise」でテレビデビュー。「颱風圏」で映画デビューを果たす。’65年からのテレビ・シリーズ「秘密諜報員ジョン・ドレーク」の主役と’67年からの「プリズナー」のNo.6役で知られ、カルト・テレビ的な人気を得ている役者で、演出も務める。その後も悪役が多い。→コトバンク
 2009年11月発行の政論雑誌『沖縄世論』(閣文社・那覇市首里末吉町3-72-12電話098-886-0777)に新城栄徳が「沖縄美術運動の黎明ー『大アメリカ展』の実現を」を書いている。曰く「筆者は中学時代、地元紙によって反米(嫌米)意識が植えられた結果、関西に住着くようになった。そしてアメリカに対する知識は英語も含めて無知に等しい。最近はアメリカを知りたいという欲求も芽生えた。1950年西宮市で「アメリカ博覧会」が開かれ、野外パノラマなどが設置され産業や生活が紹介された。千葉のディズニーランドを例に採るまでもなく、基地などを通じてアメリカ消費文明は沖縄・日本文化に染み付いている。沖縄県立博物館・美術館で総合的な『大アメリカ展』の開催を実現してほしい」とする。
2009年11月5日、米テキサス(Texas)州フォートフッド(Fort Hood)の陸軍基地で、軍に所属する精神科医のニダル・マリク・ハサン(Nidal Malik Hasan)死刑囚が銃を乱射。13人が死亡、42人が負傷。同死刑囚は事件後、警察に身柄を拘束された。米国の軍事基地内で発生した同様の事件としては過去最悪となった。【翻訳編集】 AFPBB News
 アメリカは中国と何らかの密約があるのか知らないが、日中間で全面戦争が起きた場合を想定しても、アメリカは関知しないようだ。だから北朝鮮はともかくとして、尖閣諸島の問題にも何ら米軍は抑止力にもならないことは次の記事をみても分かる。  

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1968年7月『電通66年』チラシ「電通社史編集委員会委員長・坂本英男ー不備な社史配布に当たって」


2001年7月『電通100年史』

○株式会社電通は、東京都港区東新橋一丁目、「汐留シオサイト」に本社を置く、日本最大の売上高の広告代理店である。代表取締役社長は石井直。 ウィキペディア

『東京新聞』 2016年10月7日
 広告大手の電通に勤めていた高橋まつりさん=当時(24)=が昨年12月に自殺したのは、直前に残業時間が大幅に増えたのが原因だとして、三田労働基準監督署(東京)が労災認定していたことが7日、分かった。遺族代理人の弁護士が明らかにした。川人氏によると、高橋さんは東大卒業後の昨年4月、電通に入社し、インターネット広告などを担当した。本採用となった10月以降、業務が増加し、11月上旬にはうつ病を発症したとみられる。12月25日、東京都内の社宅から投身自殺した。労基署は発症前1カ月の残業時間は月約105時間に達したと認定。2カ月前の約40時間から倍増していた。

『毎日新聞 』9月24日<電通>業界トップでなぜ「不適切(不正)請求」は起きたのか
 国内広告代理店最大手の電通は23日、同社グループのデジタル広告サービスで、未掲載なのに広告主に料金を請求したり、広告主に送る実績リポートに事実と異なる虚偽の記載をしたりするなど、不正・不適切な取引があったと発表した。(略)

 同社が今回、不適切な請求を行った広告主にはトヨタ自動車なども含まれる。広告業界はデジタルシフトを急いでいるが、新しいデジタル広告は、広告主からみると、仕組みがわかりにくいところも多い。業界トップの電通でこうした問題事例が発覚したことで、企業のデジタル広告全体への不信感が広がる可能性もある。電通は同日、中本祥一副社長らが東京証券取引所で記者会見し、社内調査の詳細を明らかにした。それによると、今回、不適切な請求が行われたのは主に「運用型デジタル広告」と呼ばれる新しい分野。最新技術を使い、ポータルサイトや検索エンジン、SNS、アド(広告)ネットワーク向けに、性別、年齢、興味・関心を絞ったオーディエンス(読者)に配信できる。電通では2010年ごろから急増してきたという。(略)

 電通によると、成長分野のデジタル広告は目標設定が高い一方、社内に仕事の質的な変化への認識が足りず、担当する人員の「質・量が十分ではない」状況だった。また、専門性が高いため、担当外からの管理監督の目が届きにくいという面もあった。中本副社長は「(デジタル広告分野は)ミスが起こりやすい領域。管理体制の不十分さが問題を引き起こした一因」「現場へのプレッシャー含めて、十分な配慮をしなければならなかった」と述べた。今回の問題の責任については「人為的なミスを含めて特定個人というよりも業務を統括するマネジメント、経営の問題」と結論づけた。電通は今年7月、デジタル専門子会社「電通デジタル」を設立するなど積極的にデジタル化に乗り出している。だが、同子会社の母体となった「ネクステッジ電通」も今回の不適切な業務に関わっていた。


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 『毎日新聞』2016年9月23日□税金はバランス良く使われているのか。2017年度予算の概算要求で、防衛費が過去最高になった。(略)日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増しているのは分かる。けれども一方で、国内には貧困や格差拡大など克服すべき問題も山積しているのだが−−。

 まず、この10年間の防衛費の推移を見てほしい。12年12月に誕生した第2次安倍晋三政権が、予算を編成した13年度以降は増え続け、17年度の概算要求段階では過去最高の5兆1685億円(16年度当初予算比2・3%増)となった。 軍事問題や安全保障に詳しいジャーナリスト、前田哲男さんは防衛費の伸びをどう見ているのか。 「大型兵器の調達が増えています。米が開発した1機173億円の滞空型無人機『グローバルホーク』の取得が代表例。日米同盟の強化を掲げる安倍政権が誕生してから、制服組の意向が予算に反映されやすくなっているようです。まさに『防衛版アベノミクス』と言っていいでしょう」

 防衛装備品は13年12月に定めた「中期防衛力整備計画」に基づき導入され、14〜18年度の5年間で必要額は24兆6700億円程度とされている。そこで、17年度予算で購入予定の主な防衛装備品を一覧表にまとめた。目が飛び出しそうな金額が並ぶ。厳しい国際情勢を考えると、「防衛力の整備は待ったなし」とも思えるが、前田さんら有識者は、必ずしも優先順位の高い装備品ばかりではないと批判する。順番に見ていこう。 「グローバルホーク」はレーダーに映りにくい約1万8000メートルの上空から地上を偵察できる。防衛省は「事態が緊迫した際に継続的な警戒監視を行うことが可能」などと必要性を強調するが、前田さんは「日本の専守防衛の観点からは疑問。弾道ミサイル発射の兆候などを把握するのに有効だが、敵基地の先制攻撃が必要だとの議論になりかねない」と首をかしげる。

 沖縄県・尖閣諸島など離島が他国に占領される場合に備え、防衛省は米国製の水陸両用車(AAV7)11両を84億円で購入する予定だ。だが、「どのような場面で使うのでしょうか」と、前田さんの査定は相変わらず厳しい。 現実問題として、中国の正規軍が尖閣諸島を占領することは「日米同盟を相手にした最悪の愚策」で考えにくいという。仮に正規軍が占領した後、日本がAAV7などを使って奪還しようとすると、米国を巻き込んだ日中の全面戦争に突入するリスクが高まる。武装状況にもよるが、漁師や民兵などが離島に上陸しようとするケースは、原則として海上保安庁の出番だ。

 軍事ジャーナリストの世良光弘さんは、AAV7の性能面を疑問視する。「水上での最高速度が時速13キロと遅く、上陸時に敵から狙い撃ちされます。サンゴ礁を乗り越える機能もついておらず、米海兵隊も使いたがりません」。同省は米海兵隊をモデルに「水陸機動団」(仮称)を新編する方針だ。その柱のAAV7について同省は「諸外国の類似品と比較して速度が遅いということはない。サンゴ礁が状況によって障害になりうると認識しているが、サンゴ礁を避けた運用は可能だ」と反論する。

 
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2016年9月 来間泰男『それからの琉球王国 日本の戦国・織豊期と琉球中世後期』(シリーズ 沖縄史を読み解く)上・下 日本経済評論社(〒101-0051 千代田区神田神保町3-2 ☎03-3230-1661 FAX03-3265-2993)

2016年9月 来間泰男『それからの琉球王国 日本の戦国・織豊期と琉球中世後期』(シリーズ 沖縄史を読み解く)上 日本経済評論社
○はじめに シリーズの完結
1 稲作の起源・伝来と”海上の道〟上・下
2 <流求国><南島>ー古代の日本史と沖縄史 
3 グスクと按司ー日本の中世前期と琉球古代 上・下
4 琉球王国の成立ー日本の中世後期と琉球中世前期 上・下
5 それからの琉球王国 日本の戦国・織豊期と琉球中世後期 上・下

沖縄史についていえば、かなり積極的に検討し、私見を提起してきた。
①日本列島への稲作の伝来は、沖縄を通る「海上の道」などではけっしてなく、明らかに朝鮮半島を経由している。
②関連して、「照葉樹林」の欺瞞性にも思い至った。
③八世紀の隋書に出てくる「流求国」で当時の琉球を語ることはできない。
④古代日本の律令国家が「南島」と位置づけた南島の島々には、沖縄諸島は含まれていない。
⑤琉球王国が成立する以前、あるいはそのころ現れてくるグスクは、戦いのための城郭・城砦ではない。
⑥そのグスクと対応して、按司を武士と取り違えてはならない。沖縄史には、その後も武士は生まれなかった。
⑦琉球王国は、沖縄史の成熟の延長線上に生まれたのではなく、むしろほとんどまったく成熟することのなかった状況で、ようやく原始社会から脱出し始めた段階で、中国で建国されたばかりの「明」が、自らの必要から琉球を国家に仕立て上げたのである。それは倭寇の跳梁する時代の落とし子であった。
⑧沖縄への稲作の伝来・定着はこのころのことで、それまでも繰り返し伝来してきてはいただろうが、それが温帯系の品種であったために、亜熱帯の沖縄諸島には定着できなかった。定着できる南方系の品種は、九州からではなく、むしろ中国大陸から伝わったであろう。
⑨こうして成立した琉球王国は、人によって「大交易時代」と称されるような局面があったものの、その時代は長く続くことはなかった。


2013年12月19日 『基地で働く』出版と「平和・協同ジャーナリスト基金賞」奨励賞受賞祝賀会 写真・会場の沖縄タイムス本社ー左が来間泰男氏、元琉球新報社長・高嶺朝一氏

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広瀬 隆「ナチス」

 

広瀬 隆『持丸長者[幕末・維新篇]―日本を動かした怪物たち』

広瀬隆の本
広瀬隆 ひろせ-たかし
1943- 昭和後期-平成時代のノンフィクション作家。
昭和18年1月24日生まれ。医学書の翻訳にたずさわりながら,反原発運動にとりくむ。昭和56年「東京に原発を!」で注目される。つづいて「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」「危険な話」など,資料を駆使して事実にせまる作品を発表し,原発論争をまきおこした。東京出身。早大卒。著作はほかに『赤い楯』など。→コトバンク

1987年11月 アーマンド ハマー① (著), 広瀬 隆 (翻訳) 『ドクター・ハマー―私はなぜ米ソ首脳を動かすのか 』 ①美術品収集家としても世界的に知られており、ソ連との貿易をしていたころより本格的に収集を始め、主にロマノフ王朝時代のロシアをはじめとするヨーロッパの絵画や彫刻などを収集する傍ら、1930年代にはニューヨーク州マンハッタンに画廊をオープンするなど、趣味と実益を兼ねたビジネスを行っていた。また、後にオクシデンタル・ペトロリウムの本社があるカリフォルニア州ロサンゼルスにアーマンド・ハマー美術館を設立している。→Wikipedia

1991年11月 広瀬隆『赤い楯 ロスチャイルドの謎㊤』集英社□ペリー提督が今日の沖縄、当時の琉球那覇に姿を現わしたのは、この結婚からわずか四年後のことであった。ペリーはそこから小笠原諸島を経て浦賀までやってくると、軍艦”たった四隻で夜も眠れぬ”恐怖を日本人に与え、和親条約の調印にこぎつけたのである。(オーガスト・)ベルモントの結婚相手キャロラインこそ、このペリー提督の娘であった。しかもペリー提督の兄オリヴァー・ハザード・ペリーは、イギリスを敵として戦ったアメリカ海軍の英雄誉高く、アメリカでは、”わが国のペリー提督”と言えばこの兄を指すほどの存在であった。ロスチャイルド家はこの英雄一族をパートナーに取りこむと、さらに閨閥を広げるよう、ベルモントに強く指示を与えた。

2011年6月 広瀬隆『象の背中で焚火をすれば』NHK出版□あらゆる経済通が、「日本の財政赤字を解消しないと、大変な事態になる。もはや限界だ」と叫んでいる中で起こっている出来事が、”公的資金の導入”による金融界の救済である。そも、公的資金とは、奇怪な言葉ではないか。「的」とは、「・・・・・らしい」の意だが、いま国民に無断で使用されている公的資金とは、税金やその予備軍の日銀特別融資のことであるから、公的ではない。まぎれもなく「公金」であるのだから、はっきり公金と言いたまえ、税金などを盗めば、公金着服と言うではないか。



1993年12月 大薗友和『アジアを読む地図』講談社/2002年11月 大薗友和『世界のタブーが解る本』小学館 大薗友和ージャーナリスト。1952年生まれ。同志社大学経済学部卒。『週刊文春』『選択』記者を経て独立、大薗事務所設立。経済・産業と中国・アジアが専門。91年に著わした『一目でわかる企業系列と業界地図』が内外の反響を呼ぶベストセラーに(英語、中国語、ハングル語に翻訳)。93年の『アジアを読む地図』(講談社)は全国学校図書館選定図書に指定される。


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○(略)和田清博士の説に拠りますと明の洪武5年(1372)に琉球(流求)招撫を命ぜられた楊載なるものが、その琉球は台湾であることを意識してをりながら、この慓悍な蛮人の拠ってゐる危険な島を避けて故らに人情温雅な今の琉球(即ち中山國)に到り、その王を誘って明廷に入朝せしめ、之を琉球王なりとしてその使命を果たしたやうに見せかけたのに拠るのであらうといふことであります。・・・

石田幹之助 生年明治24(1891)年12月28日 没年昭和49(1974)年5月25日
出生地千葉県千葉市
主な受賞名〔年〕フランス政府アカデミー勲章〔昭和35年〕,紫綬褒章〔昭和39年〕
経歴大正5年東京帝大卒業後、中国に留学。留学中、東洋学関係の文献蒐集家モリソンを知り、その日本誘致を行ない(岩崎家が購入)、その文献整理に当って、モリソン文庫(現・東洋文庫)の基礎を築く。6年〜昭和9年同文庫主事。傍ら日大教授、国学院大学教授を歴任。20年東方学会設立にあたって理事となり、機関誌「東方学」の編集に従事した。48年同学会会長。著書に「長安の春」(昭16)をはじめ、「欧人の支那研究」「南海に関する支那史料」「唐史叢鈔」「東亜文化史叢考」、「石田幹之助著作集」(六興出版)などがある。→コトバンク

1974年7月15日『日本古書通信』第363号「石田幹之助氏・岩佐東一郎氏の死」
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 「日本にとって沖縄とは何か」
 一見、他愛もない問いを、たびたび浴びせられると、はたと考え込んでしまう。突きつめると「軍事基地の島」としか思い浮かばない。しかも、70余年にわたり、他国の軍隊が鎮座し、島中に立入禁止の金網を張りめぐらせた日常風景。これも「日本」なのかと。

 日本政府が沖縄を「軍事の要塞」「戦略拠点」と位置づけていることは、8月2日に閣議報告された『2016年版・防衛白書』に明記された。
 軍事的に沖縄の地理的優位性を強調し、曰く「朝鮮半島や台湾海峡といった潜在的紛争地域に近い位置にあり、戦略的に重要性を有す」と説く。
 さらに中国との位置関係からも「戦略的に重要な目標」とし、尖閣諸島の領有権をめぐる有事事態を想定している。
 8月4日に就任した稲田朋美防衛大臣は、防衛白書を踏まえた上で「地理的な優位性を有する沖縄に優れた機動性、即応性を持ち、幅広い任務に対応可能な海兵隊を駐留することは日米同盟の抑止力を構成する上で大変重要な要素」と、具体的に言及した。
 では、政府が金科玉条とする「地理的優位性と抑止力」は、果たして正当性があり、理屈にかなったものなのか。安倍政権の唱える日米同盟を疑うこともなく支持する国民層には「沖縄に基地があって当然」又は「よそ事」と無関心を決め込んでいるように見える。

 かつて「太平洋のキーストーン」として、米軍が沖縄基地を自由使用し、地理的優位性を謳歌した時代があった。これは冷戦時代の遺物であって、ソ連崩壊に伴い、戦略的役割は終わっているはず。日本政府はそんなことにお構いなく、日米同盟の下に、復帰後も無理矢理、この路線を踏襲し続けた。
 しかも、新たに北朝鮮、中国を名指しして、脅威論を振りかざし、沖縄基地の地理的優位性と抑止力を「延命」させようと目論んでいるのだ。妖怪の如く実態はつかみどころがない。
 日米の元政府高官や軍事専門家筋からは、早くから沖縄基地の「地理的優位性」には疑問符が投げかけられてきた。近年の軍事技術の変革によって、戦略拠点であったはずの沖縄が、敵国からのミサイルの射程内に入ったこと、基地を集中させるリスクがあまりにも大きいとし、地理的優位どころか、ぜい弱性、危険性でさえ指摘する。
 しかも、海兵隊が抑止力として、沖縄に居座らなければならない理由は無い—ということが常識にさえなっているのだ。

 殆どの沖縄県民は。沖縄が「軍事の要塞」として、有事に戦渦に巻き込まれることを最も恐れる。70余年前の沖縄戦の教訓として「軍隊は住民を守らない」「二度と戦争はいやだ」「捨て石にされたくない」が骨身にしみている。
 辺野古や高江の新基地建設に反対し、絶えず基地整理縮小を叫ぶ人々の心根はそこにある。「辺野古が唯一」「地理的優位性」「抑止力」とは相容れられないのだ。

 国は今、一気に強権を発動し、「アメとムチ」の植民地的手段を講じながら、圧倒的な沖縄県民の民意を押し潰しにかかっている。
 辺野古新基地について、国と県は和解策に基づく協議を重ねてきた。ところが7月22日、国は一方的に翁長県知事を相手に「違法確認訴訟」を福岡高裁那覇支部に起こした。協議よりも裁判で早目に決着をつけ、辺野古の工事に着手しようとの意図が見え隠れする。「裁判では国が勝つ」との皮算用があってのこと。しかも、同時に陸上部分の工事再開も通告したのである。
 国の強権ぶりは、同日に名護市辺野古と東村高江のヘリパット工事再開の「二面作戦」に出たことで頂点に達した。何と山原(ヤンバル)の山林地帯に、全国から動員された屈強な警察機動隊員500人が出現し、工事反対の区民や支援団体の人たちを、問答無用で強制排除した。
 二年間も阻止されてきた6カ所(うち2カ所は完成済み)の工事は、またたく間に機動隊や防衛局に見守られ再開された。その際、県道への金網の設置、テント小屋の撤去、木の伐採、検問など、法的な手続きも示さぬまま、暴力的に強行された。「まるで戒厳令だ」「国の暴力」と抗議団から悲鳴が出るほど、異様な光景だった。

 「県民に寄り添う」と、安倍首相、菅官房長官はじめ政府サイドは絶えず繰り返してきたが、ついに180度転換し「基地と振興策はリンクする」と、本音を露呈した。
 県民の民意がどこにあろうと「国には従え」を強要する姿勢である。リンク論とは、言葉をかえれば「辺野古を認めなければ、振興予算を削る」ということだ。翁長県政からの保守勢力の離反、アメとムチによる世論の分断を狙った巧妙な手との見方がある。
 たて続けの政府の強硬手段には、さすがの翁長知事も「これでは自治が死ぬ」と、せいいっぱいの抵抗を示した。
 全国から見れば、沖縄は絶対的少数者である。県民の民意は圧倒的に辺野古新基地反対だが、どこまで全国の人々に共鳴してもらえるか。基地・安保が沖縄だけの問題でないことは言うまでもない。
「沖縄のような少数者の意見を尊重し、吸い上げることができなければ、真の民主主義国家とは言えない」20年も前に、ニュースキャスターの筑紫哲也さん(故人)が警鐘を鳴らし続けていたことを思い起こした。

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(上)1998年7月、琉球新報ホールで。左から宮里昭也氏(元琉球新報社長)、新城栄徳、高嶺朝一氏(現琉球新報社長)、新川明氏(元沖縄タイムス社長)/(中)2003年9月、琉球新報ホールで、左から船越義彰氏、山之口泉さん、大城立裕氏、石野朝季氏。撮影・新城栄徳。/(下)2003年6月、喜如嘉ゆかりの人たちと、左から平良次子さん、大山哲氏、伊佐眞一氏、福地曠昭氏、新城栄徳。

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高野山と比叡山
1975年10月26日ー親子で高野山参詣



写真ー高野山大門前のヨチヨチ歩きの息子

南方熊楠が土宜法竜高野山管長に再会するのも目的の一つで1920年8月23日に、粘菌研究家の小畔四郎、画家の川島草堂、坂口総一郎らと高野山に登った。熊楠と法竜との出会いは、1893年にさかのぼる。法竜が真言宗の代表としてシカゴの万国宗教大会に出席した。大会後、法竜はパリのギメー博物館の招きに応じ、同館の仏教資料調査にために渡仏の途中にロンドンで熊楠に会った。それ以来書簡の往復を重ねた。

南方熊楠が履歴書の中に法竜を「この法主は伊勢辺のよほどの貧人の子にて僧侶となりしのち、慶応義塾に入り、洋学をのぞき、僧中の改進派たりし。小生とロンドン正金銀行故中井芳楠氏の宅で初めて面会して、旧識のごとく一生文通を絶たざりし。弘法流の書をよくし、弘法以後の名筆といわれたり」と記した。熊楠の法竜宛の書簡でよく知られているのが次ぎの文言である。

南方熊楠「無尽無究の大宇宙のまだ大宇宙を包蔵する大宇宙を、たとえば顕微鏡一台買うてだに一生見て楽しむところ尽きず」「今日の科学、因果は分かるが(もしくは分かるべき見込みあるが)、縁が分からぬ。この縁を研究するがわれわれの任なり。しかして、縁は因果と因果の錯雑して生ずるものなれば、諸因果総体の一層上の因果を求むるがわれわれの任なり。ついでに申す。『傳子』という晋ごろの書に、宇は空間、宙は時間に恰当の解あり。わが邦の訳者、この二字を用いざりしは遺憾なり」


1977年1月ー親子で金城宏美の子守で銀閣寺前からバスで比叡山登山
池宮喜輝(73)は琉球音楽と仏教の声明(ショーミョウ。補助楽器を用いない声楽)念仏と琉球古典曲との関係を探求した。高野山大学で中山僧正に琉球古典曲「十七,八節」を歌三味線で紹介したら「これは比叡山の天台声明にちかい」との話で、さっそく同僧正の紹介状をもって比叡山に行き、比叡山音律研究所の教授・中川僧正に会い古典曲「十七、八節」を聞かせたら「この曲は、音律、節回しなど声明と密接な関係がある」といわれた。弘法大師時代にできた声明(浄土声明その他)が袋中上人の時代に琉球の風土に移植され、さらに湛水親方によって、古典曲としての面目があたえられたと、池宮は見ているのである。
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1977年1月6日ー比叡山で初めての積雪にビックリした金城宏次の孫、娘ひろみ
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1993年3月13日 比叡山で左から孫の新城、同じくヒデ、金城宏次


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写真ー1997年5月、小玉正任氏と新城栄徳。小玉正任『史料が語る琉球と沖縄』毎日新聞社にサインしてもらった後に撮る。


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写真ー京都(大石橋の東にある陶化小学校の校庭)・大阪(住吉大社)にある石敢當。右端のこの写真は旅館の前にあった石敢當、現在は御津八幡宮にある。心斎橋駅の南西、御堂筋と西横堀に挟まれた西心斎橋のうち、御津公園(通称、三角公園→グーグル画像「アメリカ村三角公園」)を中心にアメリカ村と言われる。近くの御津八幡宮(祭神・応神天皇、仲哀天皇、神功皇后)の左側狛犬の傍にソテツ、梅石筆「石敢當」(→画像グーグル・ヤフー)入り口付近に建っている。


2016年9月13日『琉球新報』
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1984年9月24日『琉球新報』「私の研究ー照屋榮一」(この人の一連の”仕事〟を指して「資料マニアの極致」と言った者<新城栄徳>がいる。)


1998年9月2日『沖縄タイムス』照屋榮一「文化県政か基地県政か」



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写真左から照屋榮一氏、新城栄徳

○「台風16号ー与那国島では17日10:06に東南東の風66.8m/s、波照間島では08:29に南の風41.2m/sの最大瞬間風速を観測しています。与那国島は台風の目の中に入ったとみられる」のニュースを聞きながら記す。

1984年8月ー照屋栄一『沖縄行政機構変遷史』
照屋栄一氏は1932年11月4日に南米ペルーで生まれている。1979年に『沖縄行政機構の変遷』<資料編>、82年に『沖縄行政機構変遷史料』(沖縄復帰10周年記念)を出している。後著は沖縄タイムス出版文化賞。私は首里の当間諭氏から、その友人である照屋氏の話を聞いて、沖縄県庁に照屋氏を訪ね『沖縄行政機構の変遷』<資料編>を頂いたのが最初の出逢いである。

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1959年10月 『琉球大学 経済研究』第一号 琉球大学文理学部経済学科
琉球に於ける租税問題に就いて・・・・・・・・・・・久場政彦①
琉球の生活水準・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・稲泉 薫
琉球の労働政策・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・砂川恵勝
琉球経済と貿易・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山城新好
B円下の琉球貨幣経済・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平 恒次
○B円制度は今や歴史となった。戦後琉球のあらゆる生活部門に、重要な足跡を残しながら、あらゆる歴史のるつぼである過去の中へ消えて行った。B円制度はは軍事占領の一つの道具としての軍票制度であったけれども、貨幣制度として機能する限り、貨幣経済の一般的法則を反映した筈であって、小論はこの様な機能的見地から、B円下の経済現象のもつ合法則性を探求しようと試るものである。
①久場政彦

1996年5月 久場政彦『20世紀の黄昏ー社会・経済評論/随筆集』
〇まえがきー自然及び社会秩序の破壊と混乱が加速してきている20世紀の黄昏の昨今、新世紀への明るい展望が見えにくくなり、斉藤茂吉の詠歌     なげかへばものみな暗し東に出づる星さえ明からなくに
の愁嘆の情が切実に感じられてならない。われわれは今人間活動の限界の基本理念に立ち帰って反省し行動すべきだと痛感する。
○新世紀へのアプローチー人類が地球の大気圏へのアクセスに成功した20世紀は科学技術の革新が驚異的なスピードで進ちょくし、コンピューターの演算速度はナノ秒(10億分の1秒)の域に達し、さらに多くの先端技術を応用すれば多くの未知が解析可能になり、過去のどの世紀よりも卓越した人知の成果を産出しているとおう歌されている。しかし世紀末の昨今、大気汚染や地球環境破壊の急速な拡大、人口の急増、先進諸国における景気後退、民族的宗教的対立による局地紛争の頻発と激化という暗い流れが土石流のような勢いで渦巻いている。

1995年8月 『戦後沖縄経済の軌跡ー脱基地・自立経済を求めてー」

元県振興開発審議会会長などを務めた元琉球大教授の久場政彦(くば・まさひこ)氏が26日午前4時25分、血胸のため那覇市内の病院で死去した。90歳。那覇市首里出身。自宅は那覇市楚辺1の1の45。告別式は28日午後2時半から4時、浦添市伊奈武瀬1の7の1、いなんせ会館(守礼)で。喪主は妻とよさん。久場氏は琉球大教授、沖縄振興開発金融公庫副理事長、沖縄国際大教授などを歴任。県振興開発審議会会長も務めた。沖縄経済学会顧問。著書に「琉球の財政・基地と沖縄経済」「戦後沖縄経済の軌跡」など多数ある。(2010年9月28日『琉球新報』)


1964年9月 『経済論集』第1号 琉球大学経済研究所(1962年1月設立)
発刊に際して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久場政彦・琉球大学経済研究所所長
沖縄における農業協同組合・・・・・・・・・・・・山里敏康  1-60
沖縄の所得分布について・・・・・・・・・・・・・・山内盛弘  62-102 
コレラの地域的(琉球)汚染による経済諸量の変化に関する一考察・・・・・・・・・・103

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大阪/1973年11月『大阪春秋』1号の特集は「大阪の災害いまむかし」であった
 1973年11月『大阪春秋』1号の特集は「大阪の災害いまむかし」であった。①寛文の大暴風雨と龍渓禅師②享保2年の大洪水③明治42年の北の大火④享保2年の大洪水④南の大火とその余聞⑤昭和の災害(米軍機の大阪大空襲)⑥天変地異・日本列島の危機ー今年の夏、近畿の水がめ、琵琶湖の水位がピンチになった。絶対危険水位、マイナス50センチを突破してしまった。この記録は昭和14年のマイナス71センチ、大正13年のマイナス51センチにつぐ史上3番目の記録を、更に更新しそうな気配のなかで、世界的異常気象がともなって、日本列島の危機感をこれほど身近に深め、予想される天変地異説が、今日ほど真剣に人々の話題の中心になったことも珍しい。(略)以上、今後起こり得るであろう天変地異に対処して、いまむかしの記録を記してみた。(藤原)

今の「悪夢内閣」(命名・佐高信)には何も期待出来ない。政府と東電は原発事故が起きたときの手順書は目次から黒塗りで国会に提出、また原発被害者に送りつけた損害賠償の請求書類は読むのも疲れる200余ページ、国民を愚弄するのも大概にしてほしい。『大阪春秋』のように歴史の中から問題点を見つけどう対処の糸口を探ろうかとしているとき、歴代の内閣は莫大な税金や学校教科書を使い「安保神話」「原発神話」のようなものの宣伝にはこれ勤しむ。が、クルマ社会のための「高速道路」はせっせと作る。肝心要の見えない国土の管理には見ての通り、台風や地震が来る度、無策が証明される。

□台風15号の日本列島縦断を受け、政府は21日、土砂災害などへの警戒を呼びかけるとともに情報収集に追われた。 とはいえ各省庁を機動的に運用するための関係省庁連絡会議は20日夜に初会合を開いたきり。 21日は夜までに死者・行方不明者が計13人確認されたにもかかわらず 「大きな被害が認められない」(内閣府)として連絡会議は開かれなかった。 紀伊半島を襲った台風12号に続き、政府の危機管理意識の希薄さがまた浮き彫りになった。
 
21日夕には台風が首都圏を直撃し、JRをはじめ交通網がマヒ状態に陥ったが、 首相官邸は関係閣僚らが出入りすることもなく閑散としたまま。 甚大な被害が生じた場合、政府は災害対策基本法に基づき、 連絡会議を非常災害対策本部に格上げすることになっているが、その動きもみられず、 平野達男防災担当相は政府の震災復興対策本部に籠もったままだった。( MSN産経 2011.9.22 )

過去の日本政府の危機管理意識の低さは自衛隊にも反映される。

全日空機雫石衝突事故
1971年7月30日。全日空58便ボーイング727-200(JA8329)が岩手県雫石町上空で、航空自衛隊松島基地(宮城県)所属のF-86F戦闘機と衝突し墜落した。乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。自衛隊機の乗員は脱出して無事であった。 刑事裁判では、双方に見張り不足があったが、自衛隊機側の責任がより重かったと判断された。事故現場は民間機進入禁止の自衛隊の訓練空域であり、戦闘機に全日空機が追突したとの考察もある。

2008年2月19日千葉県沖でー当時最新鋭であったイージス護衛艦「あたご」と千葉県勝浦市漁協所属の漁船「清徳丸(せいとくまる)」が衝突。清徳丸は船体が2つに裂け大破・沈没。乗員であった船主(58歳男性)と船主の長男(23歳男性)の2名が行方不明となった。数十日間におよぶ漁協関係者・海上保安庁・海上自衛隊3者が懸命の捜索をおこなったが発見できず、2人は同年5月20日に認定死亡とされた。

上記の自衛隊の戦闘機と護衛艦が民間の飛行機、船舶に衝突するということは万が一にもあってはならない。もし敵国の戦闘機や潜水艦であったら、気がつかなかったでは絶対に済まない。危機感を持たず訓練しているから守るべき国民も死に至らしめる。絶えず危機感(敵の攻撃)を持ってほしいものだ。同時に自衛隊は国民を守るのために存在しているので、下記のような国民無視な態度は国民に対する反逆罪に値する。

□航空自衛隊那覇基地 墜落後F15の訓練再開航空自衛隊那覇基地は、墜落事故で中断していたF15戦闘機の訓練を20日から再開しました。那覇基地所属のF15戦闘機が墜落事故を起こしたのは7月5日。尾翼の一部は回収されたものの、機体と操縦士はまだ見つかっていません。

訓練は事故後、中断されていましたが、基地司令は19日に機体の点検を終えたとして、20日からの訓練再開を発表していました。F15戦闘機の訓練は20日午前9時すぎに4機が離陸して再開されました。訓練は2週間ほどは基本訓練を行い、その後は通常訓練に移行するということです。しかし事故原因が判明されないままの訓練再開に、自治体や市民団体から反発の声が上がっています。

航空自衛隊那覇基地 あすからF15戦闘機の訓練を再開那覇基地所属のF15戦闘機が墜落事故を起こしたのは7月5日。尾翼の一部は回収されたものの、機体と操縦士はまだ見つかっていません。訓練は事故後、中断されていましたが、基地司令は19日に機体の点検を終えたとして、20日からの訓練再開を発表していました。

F15戦闘機の訓練は20日午前9時すぎに4機が離陸して再開されました。訓練は2週間ほどは基本訓練を行い、その後は通常訓練に移行するということです。しかし事故原因が判明されないままの訓練再開に、自治体や市民団体から反発の声が上がっています。(2011年2011年7月20日 「琉球朝日放送」)  <2011年9月記>

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2006年9月『比嘉春潮顕彰』/2006年2月『篤学の沖縄研究者 比嘉春潮』


我部政男教授から頂いた『沖縄文化』資料


2007年3月 沖縄県『史料編集室紀要』納富香織「比嘉春潮論への覚書」/我部政男「比嘉春潮先生著作ノート」

比嘉春潮と沖縄文化協会
1947年12月に柳宗悦氏がその駒場の民芸館で沖縄民芸展覧会を開催した時、宮良氏に連絡があって沖縄文化記念講演会を一緒に開くこととなり、「沖縄語と日本語の関係」(宮良当壮)、「沖縄の歴史と文化」(東恩納寛惇)の講演があった。この時柳氏から文化協会の講演会を定期的開く提唱があり、その斡旋を宮良氏がすることになった。1948年の4月から毎日第一土曜日に民芸館で講演会を開いた。9月、沖縄連盟から離れて独自の沖縄文化協会に改組。比嘉春潮、仲原善忠、島袋源七、金城朝永、宮良当壮の5人が運営委員となり、仮事務所を比嘉春潮の所に置いて発足した。

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この新しい沖縄文化協会が出来ると私(比嘉春潮)は自ら進んで、会報『沖縄文化』の編集、印刷、頒布を引受け、その第一号を1948年11月1日に出した。『沖縄文化』はタブロイド半截判4頁、誌名に「沖縄文化協会会報」の肩書を加え、毎月1日発行とした。内容は会の主張・研究ものに文化ニュース(又は文化だより)等を載せた。→沖縄文化協会『沖縄文化叢論』(法政大学出版局1970年5月)

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 ミニコミやチラシは印刷された情報を伝達する。一般に、大量に印刷し配布(まき散らす)されないと、その効果は薄い。が、今はネットで無限に拡散できる。40年前の私らのミニコミは筆記でも、ガリ版でも、絵でも残っておればネットで再現できるようになった。当時、『朝日ジャーナル』1971年3月26日号<特集・ミニコミ71ー奔流する地下水>を見て全国津々浦々にミニコミが権力への「紙つぶて」として登場したのには興奮したものだ。今、マスコミ・テレビは官製談合ならぬ、アベ政権の広報機関と化し、危険(毒ガス、細菌兵器、化学兵器など)な米軍基地(日本が無料で土地を提供し、思いやり予算まで提供)から国民の目を逸らし、盛んに中国や北朝鮮への危機だけを煽っている。これらの現実は裏返せば、「アメリカの核の傘」と云いながら何ら抑止(ゆくし)力にもなってない。70年代の『毛主席語録』の一節を思い出す、「帝国主義とすべての反動派はハリコの虎である」と。今のアベ政治にはこれがよく似合う。

日本中國友好協会(正統)沖縄県本部の大城さんから頂いた。
1966年ー全世界人民の精神的原子爆弾『毛主席語録』
□帝国主義と結託したすべての軍閥、官僚、買弁階級、大地主階級およびかれらに従属する一部の反動的な知識人は、われわれの敵である。工業プロレタリアートはわれわれの革命の指導力である。あらゆる半プロレタリアート、小ブルジョアジーは、われわれにもっとも近い友である。たえず動揺している中産階級は、その右派がわれわれの敵になるであろうし、その左派はわれわれの友になるであろう。しかし、われわれは、この左派にわれわれの陣営をかきみださせないよう、つねに警戒する必要がある。
□わが国と社会主義諸国は平和を必要としており、世界各国の人民も平和を必要としている。戦争を熱望し、平和を欲しないのは、少数の帝国主義国のなかの、侵略によってぼろもうけするいちぶの独占資本集団だけである。
□帝国主義国についていえば、われわれは、やはり、そこの人民と団結するとともに、それらの国ぐにと平和的に共存し、商売をやり、起こるかもしれない戦争を制止するようにつとめなければならない。しかし、われわれは、けっして、かれらについて実際にそぐわない考えをもつべきではない。

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『朝日ジャーナル』1971年3月26日号<特集・ミニコミ71ー奔流する地下水>

原爆ー1969年11月ー沖青友の会機関誌『石の声』第1号□真栄田義秀「日本国憲法第九条」/「沖縄にあるB52は24メガトンの水爆を積むことができる(広島の1,200倍) もしも沖縄で爆発したらこのようになる。!▲150~570キロ以内の住民半分が即死し、生き残った人も4カ月以内にはほとんど死亡する。▲爆発にともなう地震津波がおしよせてくる。▲水や食物も多量の放射能を浴びて生き残っても奇型児や発育不能な人間が生まれてくる。▲北は奄美大島、鹿児島迄も被害は及ぶ。-沖縄の住民は今日も原爆をかかえて生活をしている。」
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ミニコミ紙『週刊ピーナツ』
 最近の日本政府の対応はかつての田中金権内閣を思い出す。別に悪いとは言っていない。資本主義社会であるから利権を狙うのは仕方がない、ということである。「オスプレイ」「辺野古移設」「原発再稼働」の動きは自民党の「先祖返り」というべきか。かつての田中金権内閣の時代、『週刊ピーナツ』というミニコミ紙があった。1976年5月29日発行には「日韓利権構造」が図示されている。新聞にとって、今の「原発・辺野古再稼働内閣」は分かりやすい構造になっていて記事にしやすいだろう。もっとも「日米利権構造」には地元の企業グループも絡んでいるのはいうまでもない。


1978年9月 日本機関紙協会大阪本部『宣伝研究』/1979年1月 日本機関紙協会大阪本部『宣伝研究』

2013-4「高江の現状」」今年度のヘリパッド工事の業者が決定しました。北部(H24)着陸帯移設工事 契約業者  ㈱丸政工務店  契約金額 1億290万円 工期 2013.3.30~10.31  丸政は金武町の業者です。次点の業者は、国場組、大成建設でしたが丸政に決定されました。


2916年7月 『越境広場』2号□粟国恭子が「琉文21」も引用して「饒平名(永丘)智太郎の『遥かなる南洋』」を書いている。


2016年7月『けーし風』加藤宣子「『大成建設140年史』を読むー辺野古の海を埋立てるゼネコンの徹底的研究」□実際に大成建設に抗議運動を実践している著者の「戦う相手を知らないことには戦いようがない」ということで報告してくれたもの



2016-9-9『新基地建設反対名護共同センターニュ-ス』


戦争をさせない1000人 ... 講演会チラシ

『琉球新報』9-13 【ヘリパッド取材班】東村と国頭村に広がる米軍北部訓練場での新たなヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設で、沖縄防衛局は13日午前9時すぎから自衛隊のCH47輸送ヘリ2機による重機の輸送を始めた。午前11時現在、3回にわたって4トントラックやキャタピラのついた作業用車両などをG、H地区に運び込む様子が確認された。米軍施設建設のために自衛隊機が出動するのは異例。米軍北部訓練場のヘリパッド建設に絡む工事で自衛隊機による重機が輸送されるのは初めて。
 重機は新たにヘリパッドを建設するN1地区やG、H地区と県道70号を挟んだ場所にあるメインゲート内にあるヘリパッドから、重機などをつった状態で県道の上空を輸送している。県道では車両の通行もあり、安全上の観点から県民の批判が高まるのは必至だ。

 自衛隊機は13日午前6時すぎからN1付近の上空を旋回するのが確認された。その後、メインゲートそばのヘリパッドに着陸。同日午前9時前から重機の輸送準備が始まった。ヘリは陸自木更津駐屯地の中央即応集団第1ヘリコプター団に所属している。建設に反対する市民らはダンプカーによる砂利搬入の阻止行動を取ったが、午前11時30分現在、ダンプカーは確認されていない。

 メインゲートでは建設に反対する市民らが「県道の上空を飛ぶな」「自衛隊機まで使うのか」などと怒りの声を上げた。自衛隊機による重機搬入の様子を確認した沖縄平和運動センターの岸本喬事務局次長は「自衛隊機の使用だけでも考えられないが、県道70号を越えての輸送は許せない。まさに県民の頭越しで超法規的措置だ。これが法治国家と言えるのか」と憤っていた。


9月15日石川和男○先日の朝、2センチ足らずのカマキリの赤ちゃんを見付けた。僕がつかもうとすると、前脚を大きく振り上げ威嚇する・・・少し感動した。 自分に害を及ぼす敵に勇敢に立ち向かう姿に。自分(カマキリ)と人間(僕)とを対等に感じ立ち向かう剽悍さに。 今の『オキナワ』の姿を見た思いがした・・・

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2013年2月 『歴史評論』黒川みどり「大阪人権博物館と橋下市政」
 (略)木津川計「たこ焼き、吉本興業、タイガースだけで大阪が評価されるのは残念。誇るべき文化の蓄えがなくなれば、大阪の『格』はもっと低くなるだろう」。リバティの展示の対象は、橋下市長が構想するようなナショナリズムを背景とした歴史観のもとでは真っ先に捨象されてしまうであろうことは明らかだが、そのような歴史観に根ざさずとも、まさしくマイノリティであるがゆえに往々にして歴史認識から欠落してしまいがちである。しかも、リバティの原点でもあった部落問題が、一方で人権一般に解消され、差別はなくなっていないにもかかわらず問題は消し去られようとしているとき、リバティの存在はいっそう重要性を増す。差別はなくならければならない。しかし、差別を内包してきた社会の歴史は消し去れない。そればかりか、そのことを見据えることによって、明るい未来を切り開く糧としなければならない。


金城実の著作資料


2013年2月17日ー沖縄県立図書館で彫刻家・金城実さん/国際通りで金城さんを見かけるが、カバンにベレー帽、後姿は儀間比呂志さんとそっくりだ。見かけに騙されてはいけない、演説をさせたら獅子吼如しだ。

2016年10月23日『沖縄タイムス』「差別発言『許されへん』『土人』大阪府知事対応に関西の声」「『土人』発言 彫刻家・金城実さんー大阪知事は権力による事件という視点も見落としている。公務員と一般市民を対等に扱って『売り言葉に買い言葉』と言い、報道に『メディアが鬼畜生のようにたたく』と被害者のような表現を使う。・・・」


2016年10月23日『琉球新報』○沖縄防衛局、高江にレンタカー放置 2台2ヵ月半、79万円ー工事を監視している市民によると、レンタカーは当初、テントへの入り口をふさぐ格好で縦列に2台駐車していた。テントへの通路を確保するため市民らは1台をずらして移動した。(略)防衛局は「7月に工事用道路として沖縄森林管理署から使用許可を得た敷地や周辺で、工事用道路としての使用が可能となった後に速やかに道路として使用できるよう駐車した」と説明した。テントで座り込みに参加している市民らからは「全く動かさず置いているだけなのに、払い続けているレンタカー代もずっと税金で賄われている。名護署は市民の車を撤去するなら、防衛局の車も撤去すべきではないか」との声も上がっている。

2016年9月6日~11日 那覇市民ギャラリー「大西忠保写真展 沖縄ー裏街の記憶ー」

大西杏子さん


2016年9月6日~11日 那覇市民ギャラリー「大西忠保写真展 沖縄ー裏街の記憶ー」




彫刻家・金城実
2013年7月 大西忠保写真記録Ⅱ『金城実 100メートル彫刻 「戦争と人間」』PHOTOS舎

大西忠保(1947年3月 東京渋谷生まれー2012年5月25日 永眠)1965年 明治大学商学部入学。同大学カメラクラブへ入部。

写真で見る 迫力の反戦彫刻 明治大駿河台キャンパスで写真展(東京新聞2015-5)
沖縄戦の悲劇が描かれた巨大彫刻「戦争と人間」を題材にした写真展が、千代田区の明治大駿河台キャンパスで開かれている。撮影したのは、写真家の故・大西忠保(ただやす)さん。大西さんの妻で、展示を企画した杏子(きょうこ)さん(67)=渋谷区=は「夫が反戦平和への願いを込めた作品。今も米軍基地問題に揺れる沖縄を応援したい」と話している。「戦争と人間」は、反戦活動を続ける沖縄県在住の彫刻家金城実さんが、十年がかりで完成させた全長百メートルの連作。地上戦が展開された沖縄戦の悲劇や、銃剣とブルドーザーによる米軍の土地接収、抵抗する人々をレリーフや彫像で表現した。
 原爆が投下された広島や沖縄をテーマに撮影を重ねていた大西さんに、金城さんが撮影を依頼。二〇〇七年、大西さんは病を押して長時間の野外撮影に臨み、作品が持つ怒りや悲しみを浮き彫りにした。三年前に六十五歳で亡くなったが、戦後七十年を機に、母校の明治大カメラクラブや友人の協力で、今回の写真展が実現。アカデミーコモン一階の会場に五十点を展示した。福島と沖縄から日本を考える「おらがふるさとを返せ」と題した金城さん制作の木彫も出品されている。二十三日には金城さんも来場し、「自分の手を離れて大西さんの作品になった」と語って才能を惜しんだという。杏子さんは「沖縄の七十年は苦難の歴史だった。沖縄を愛した夫の写真を通じ、思いを寄せてもらえれば」と話している。

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鄭嘉訓・古波蔵親方爾方

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「鄭元偉 てい・げんい書」(崎間麗進蔵)

鄭元偉 てい・げんい 1792~?19世紀中期の沖縄の代表的な書家の一人。湖城親方。名は長烈。号は善橋。有名な書家鄭嘉訓古波蔵親方の3男として生 れたが、本家大嶺家の養子となる。大嶺里之子から伊計島の地頭になり伊計親雲上、さらに小禄間切湖城村の地頭になり、湖城親方と称される。父嘉訓同様、薩州で藩主の知遇を得て、多くの優れた書を残している。太宰府天満宮に奉納されていた、「徳高」の扁額(県立博物館所蔵)は、そのころ(1852)の作品である。中国への旅は1840年(尚育6)四年一貢を命ぜられた貢期を従来通り二年一貢に戻す為の陳情で北京へ行ったことが知られており、一方江戸へも42年将軍家慶の襲名慶賀使に儀衛正として随行した。のち紫金大夫に昇進し、久米村の長官である総理唐栄司(久米村総役)になったと伝えられている。書では、漢字の楷書にすぐれ、作品は、父嘉訓より少ないが、すぐれた物を残している。□→『沖縄大百科事典』


鄭基昌(鄭嘉訓、鄭元偉を出した家系。父・鄭紹業、祖父・鄭元覲)

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左から東風平汀鳥、麦門冬、國吉朝秀、末吉安慶、名護朝扶、不詳

清盛ー入道は襟かき合しかき合しなるやうにせよと清盛腹で云ひ
正行ー正行は其の時遺言思い出し怨敵の使者に正行禮を述べ
師直(四条畷)ー師直はたった一ど声名乗あげ
舜天王ー尊敦も外へ出づれば琉球語

道鏡ー三度まで目まぜをしたが感通寺


道鏡どうきょう[生]? [没]宝亀3(772).下野
奈良時代末期の法相宗の僧。義淵の弟子。その本貫は河内国志紀郡弓削 (ゆげ) 。そのためか弓削道鏡と呼ばれる。初め葛木山で修業,のち東大寺に入り,天平宝字5 (761) 年保良宮 (ほらのみや) で孝謙上皇の病気を癒やして以来信任され,少僧都となり,同8年恵美押勝 (藤原仲麻呂 ) 失脚後は仏教政治をしき,翌年太政大臣禅師,天平神護2 (766) 年法王となった。 →コトバンク

養老ー孝行な子が酔ざめの水を汲み一杯は息子も呑んで顔赤め
大公望ー文王が来るとあはてて釣る真似し
竹林七賢ー七賢のどの先生と薮医が来
白楽天ー門前の婆も到頭うるさがり


伯夷叔斉ー周の天下采邑の民二人ありしばらくと伯夷叔斉右左り冥途へば譲り合はぬで伴に行き

伯夷・叔斉はくい・しゅくせいBo Yi Shu Qi
中国,殷周交代期 (前 1100頃) に現れた賢人の兄弟。孤竹国 (河北省?) の公子。父が弟の叔斉を世継ぎにしたが,叔斉は兄の伯夷に譲ろうとし,ついに2人とも位を捨て去った。彼らは周の文王を慕って,その地に行ったところ,武王の伐殷の役にあい,これを不仁な行いとして武王に諫言した。 →コトバンク
浦島ー浦島は尻まくりしてヒヨイと乗り

李太白ー出来が悪い詩白ふでふと詠じ
○李白りはくLi Bo
[生]長安1(701) [没]宝応1(762).当塗
中国,盛唐の詩人。字,太白。号,青蓮居士。若い頃は任侠を好み,四川を振出しに,江南,山東,山西を遊歴。 42歳のとき長安に出て賀知章らに推挙されて翰林供奉 (ぐぶ) となったが,高力士に憎まれてまもなく追われ,また放浪生活に入り,その間,杜甫とともに旅をしたこともある。 →コトバンク

頼朝ー頼朝は生まれながらに大頭
俊寛ー泣きやん 俊寛砂に文字を書き
熊谷ー熊谷は涙片手に首抱へ
羽衣ー天人のモデル口では話されず
謙信ー謙信のピカピカやんで夕立し
信玄ー信玄は膏薬張って出陣し
牛若ー牛若は母の乳房に歯形入れ
寒山拾得ー拾得が掃けば寒山尻を据え
竹取の翁ー胞桶に翁は火吹竹を入れ人形が這入って居ると初手思ひ
桃太郎ー黍団子鬼も一つと頂戴し犬猿雉の人員検査三ですみ土産物配られるやうなものもなし


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 きょうは71年前にアジア・太平洋戦争が終結した日である。いや、8月15日だろうとの指摘もあるかもしれない。日本では8・15がお決まりだが、国際標準では大日本帝国が戦艦ミズーリ号で連合国に降伏調印をした9月2日が終戦の日だ

▼米・仏など旧連合国の対日戦勝記念日(VJデー)は9月2日。旧ソ連や中国は9月3日。例外的に韓国、北朝鮮、英国が8月15日だ
▼なぜ8・15が表に出てきたか。佐藤卓己著「八月十五日の神話」に詳しい。1945年8月10日未明の御前会議でポツダム宣言受諾が決まり、日本放送協会と同盟通信社が海外に伝えた。国際的に重要な正式受諾は14日。15日は天皇が国民向けにラジオ放送した日でしかない
▼戦後数年間は全国紙で「9・2降伏記念日」が報じられていたが、55年ごろから「8・15終戦の日」報道が定着したという
▼8月15日が公式に終戦記念日となったのは、戦後18年たった63年5月、池田内閣での閣議決定だ。この年から毎年8月15日に全国戦没者追悼式が行われるようになった。「降伏」の屈辱から目を背け、記憶の選択と忘却が進んだ。「敗戦」を「終戦」にすり替えた意識とも重なる
▼8・15は国民にとって都合よく後付けでつくられた日と言えようか。自国中心主義から離れて、歴史を冷静に多角的に見直す。それが、いつか来た道を防ぐことにもつながる。

沖縄タイムス 2016年9月2日<米軍ヘリパッド>警察車両で作業員輸送 市民反発
 沖縄県東村高江周辺の米軍北部訓練場ヘリパッド(ヘリ着陸帯)建設工事に関連して2日午前、警察車両が作業員約20人を同基地N1ゲート前まで輸送した。建設工事に反対する複数の市民が確認した。市民は「警察の業務は警備であり、作業員の輸送ではないはずだ」と反発している。市民らによると、警察車両での輸送は初めて。県道70号沿いで東村高江のN1ゲートから北側に4キロほど、国頭村安波の県営農地開発事業整備地入り口周辺で、市民らが道路に車両を止め、作業員の車での移動を阻止。機動隊員に守られながら市民の間を通り抜けた後、乗車したとみられる。

琉球新報 2016年9月2日<社説>辺野古IUCN勧告 日本政府は従うべきだ
 国際自然保護連合(IUCN)が日本自然保護協会など国内の非政府組織6団体が共同提出した辺野古新基地建設に伴う外来生物対策を求める勧告案を賛成多数で採択した。勧告は、辺野古新基地建設が「埋め立て資材に混入して運ばれる外来種に対し経路をつくることになる」と指摘。日本政府に埋め立て土砂に混入する外来種の早期発見方法の確立などを求め、米政府には外来種を防ぐ適切な方法を取ることを要請している。辺野古新基地建設に伴う埋め立てに高いハードルを課すことで、事実上、建設断念を日米両政府に迫ったと言っていい。(略)

 勧告に強制力はないにしても、外務省と環境省がIUCNメンバーに名を連ねる日本政府には勧告に従う義務と責任がある。IUCNが日本政府に対し、過去3度行ったジュゴン保護勧告のように、意に沿わないからといって無視するようでは、国際社会から信用を失うことになる。日本は2010年の生物多様性条約第10回締約国会議で議長国を務め、生物多様性保全に関する国際的な目標「愛知ターゲット」を取りまとめた。20年までに少なくとも陸地の17%、海の10%を保護区にすることや、絶滅危惧種の絶滅がなくなることなどが「愛知ターゲット」には盛り込まれている。政府は本来、保護区となるべき新基地建設予定海域を埋め立てる愚を犯してはならない。環境省は、辺野古沖を含む沖縄本島中北部沿岸を生物多様性の観点から重要度の高い海域に指定している。

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コクヨ株式会社は、文房具やオフィス家具、事務機器を製造・販売する会社。ブランドメッセージは「ひらめき はかどり ここちよさ」。またCMなどで「コクヨのヨコク」も用いられる。代表的な商品には、1975年(昭和50年)から2014年(平成26年)の39年間で累計約26億冊を出荷した「Campus(キャンパス)ノート」などがある。IT化の昨今でも広く使われているものに会計帳簿がある。独立系の企業だが、株主として三井住友銀行の資本が入っている。→ウィキ

○地下鉄を利用するときは何時も新深江駅から乗る。その駅に隣接しているのがコクヨ本社である。その隣には「大阪ショ―ルーム」があって、いろんなコクヨ製品が展示してある。

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