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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
2013年7月28日~8月31日 平和通り三越側入口「平和通りアーカイブス展」
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山田實 写真コーナー


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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

左から俳人・東風平汀鳥、麦門冬、國吉朝秀、末吉安慶、名護朝扶、最後の女の子は不詳。


汀鳥 □1909年7月 『ホトトギス』「湿り池の乾く匂ひや風薫る」
         □1910年3月『ホトトギス』「一樹又一石僧送る枯野かな」
        □1910年4月『ホトトギス』「笹啼や飛々石の潦/ほかほかと日の照る岡や花薊」
        □1910年6月『ホトトギス』「鶯に日の照る磯や汐干狩」
        □1910年7月『ホトトギス』「春月や垣外に丸き三笠山」
       

名護朝扶□1913年12月『文章世界』「風の落葉咲き残る菊埋めけり」

1920年8月4日『沖縄朝日新聞』


末吉麦門冬


1909年5月 宮地貞頴『現今俳家人名辞書』紫芳社□「麥門冬 末吉安恭  沖縄県首里区儀保729。別号南天居、襄哉。明治19年5月生。出生地同住所   院々の晝静なり鳥交る/月の方へ蔭の方へと踊りけり」



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1910年5月15日ー『日本及日本人』第573号 碧悟桐「那覇での社会問題として第一に指を屈せられるべきものは辻遊郭である」

1910年6月 『ホトトギス』岡本月村「琉球スケッチ」







□岡本月村(1876年9月10日~1912年11月11日)
上道郡西大寺(現、岡山市)の人。名は詮。幼くして画技を好み、13歳で徳島県の天蓋芝堂、次いで京都の今尾景年に、また洋画を浅井忠に学んだ。神戸新聞、大阪朝日新聞に俳味ある漫画を載せて異彩を放つ。旅行を好み俳句にも長ず。

麦門冬と河東碧梧桐
1984年12月発行の『琉文手帖』「文人・末吉麦門冬」で1921年以降の『ホトトギス』の俳句も末吉作として収録した。これは別人で熊本の土生麦門冬の作品であるという。土生麦門冬には『麦門冬句集』(1940年9月)があった。1910年5月、河東碧梧桐、岡本月村が来沖したとき、沖縄毎日新聞記者が碧梧桐に「沖縄の俳句界に見るべき句ありや」と問うと「若き人には比較的に見るべきものあり其の中にも麦門冬の如きは将来発展の望みあり」と答えたという。

河東碧梧桐 かわひがし-へきごとう
1873-1937 明治-昭和時代前期の俳人。
明治6年2月26日生まれ。高浜虚子とともに正岡子規にまなび,新聞「日本」の俳句欄の選者をひきつぐ。のち新傾向俳句運動をおこし,中塚一碧楼(いっぺきろう)らと「海紅」を創刊,季題と定型にとらわれない自由律俳句にすすむ。大正12年「碧(へき)」,14年「三昧(さんまい)」を創刊。昭和12年2月1日死去。65歳。愛媛県出身。本名は秉五郎(へいごろう)。作品に「碧梧桐句集」,紀行文に「三千里」など。(コトバンク)

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Posted by: ryubun02
1958年11月15日~17日 ナハカラーフオトクラブ主催/沖縄タイムス社後援「第一回カラーフォト展」琉米文化会館



2007年1月ー『CORALWAY』「写真家・山田實の世界―童こそ宝」

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2013年7月23日ー沖縄県立博物館・美術館で、写真左が渡名喜明氏、新城栄徳

〒901-1412 沖縄・南城市佐敷字新里174番地
[明王窯 渡名喜 明]Tel・Fax 098-947-0224

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新里恵二・関連資料

私は復帰前よく新里恵二氏の父・実俊さんとは沖縄青年会のことなどで親しく指導してもらった。息子・恵二さんの話もしていた。恵二氏とは、球陽書房の西平守良さんが東京から来られた際、一緒に新里恵二弁護士事務所を訪ねた時と、何処かの会場で2,3回会っただけである。
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中央が新城栄徳、その右手側から来間泰男氏、新里恵二氏。新城の向が安仁屋政昭氏

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2013年6月30日 ブログ「沖縄文化工芸研究所 2」□歴史家・新里恵二氏(84歳) 訃報
2013年7月9日  『琉球新報』金城正篤「新里恵二さんを悼む」
2013年7月15日『沖縄タイムス』来間泰男「歴史家・故 新里恵二さんの足跡ー成果を見直し継承を」


□」新里実俊
1969年
9月ー本土と沖縄を結ぶ『月刊沖縄ジャーナル』創刊号□新里実俊「謝花昇を語る」。
1970年
1月ー『月刊沖縄ジャーナル』5号□新里実俊「謝花昇を語る」。/4月ー『沖縄差別』第1号□新里実俊「沖縄差別①農業規模②落差の増幅」。
1974年
3月ー『青い海』31号□新里実俊「誤てる認識『日清両国の帰属』」。

大浜千代
2012年3月、那覇市歴史博物館に、東京在住の大浜千代さんから沖縄関係資料が寄贈された。主なものを記すと、1932年の島袋源一郎『伝説補遺沖縄歴史』(沖縄県教育会の印がある)、『新版沖縄案内』(源一郎の署名入り)、親泊朝擢の『沖縄県写真貼』(補修本)、柳宗悦『民藝』1939年から1944年までがある。千代さんは那覇の外間政暉の2女。戦時中は父政暉の東風平時代の教え子の新里実俊(川内中学校で教師)を頼って鹿児島に疎開した。戦後は那覇高校入学、1952年、文化女子大学入学、このとき外間政彰と渋谷区代々木上原に住む。帰沖し1955年、琉大助手。1958年、御茶ノ水女子大に編入。帰沖し琉大につとめる。1961年に大浜信昭氏(開業医)と結婚。
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あきたうじゃく【秋田雨雀】 1883‐1962(明治16‐昭和37)
劇作家,小説家,童話作家。本名徳三。青森県生れ。1907年早稲田大学英文科卒業。小説家として出発し,小山内薫の《新思潮》記者となり,《紀念会前夜》(1909),《第一の暁》などで劇作家として認められた。13年島村抱月の芸術座創立に参画,翌年沢田正二郎らと脱退して美術劇場を組織したが経営に失敗。失意の時期エスペラント,インド哲学に打ち込み,童話創作を試みつつ社会主義に傾く。20年には戯曲《国境の夜》を発表し,21年日本社会主義同盟に加入,翌年先駆座を結成。 (コトバンク)