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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

左から俳人・東風平汀鳥、麦門冬、國吉朝秀、末吉安慶、名護朝扶、最後の女の子は不詳。


汀鳥 □1909年7月 『ホトトギス』「湿り池の乾く匂ひや風薫る」
         □1910年3月『ホトトギス』「一樹又一石僧送る枯野かな」
        □1910年4月『ホトトギス』「笹啼や飛々石の潦/ほかほかと日の照る岡や花薊」
        □1910年6月『ホトトギス』「鶯に日の照る磯や汐干狩」
        □1910年7月『ホトトギス』「春月や垣外に丸き三笠山」
      
名護朝扶□1913年12月『文章世界』「風の落葉咲き残る菊埋めけり」

1920年8月4日『沖縄朝日新聞』


末吉麦門冬


1909年5月 宮地貞頴『現今俳家人名辞書』紫芳社□「麥門冬 末吉安恭  沖縄県首里区儀保729。別号南天居、襄哉。明治19年5月生。出生地同住所   院々の晝静なり鳥交る/月の方へ蔭の方へと踊りけり」















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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

新里恵二・関連資料

私は復帰前よく新里恵二氏の父・実俊さんとは沖縄青年会のことなどで親しく指導してもらった。息子・恵二さんの話もしていた。恵二氏とは、球陽書房の西平守良さんが東京から来られた際、一緒に新里恵二弁護士事務所を訪ねた時と、何処かの会場で2,3回会っただけである。
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中央が新城栄徳、その右手側から来間泰男氏、新里恵二氏。新城の向が安仁屋政昭氏

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2013年6月30日 ブログ「沖縄文化工芸研究所 2」□歴史家・新里恵二氏(84歳) 訃報
2013年7月9日  『琉球新報』金城正篤「新里恵二さんを悼む」
2013年7月15日『沖縄タイムス』来間泰男「歴史家・故 新里恵二さんの足跡ー成果を見直し継承を」


□」新里実俊
1969年
9月ー本土と沖縄を結ぶ『月刊沖縄ジャーナル』創刊号□新里実俊「謝花昇を語る」。
1970年
1月ー『月刊沖縄ジャーナル』5号□新里実俊「謝花昇を語る」。/4月ー『沖縄差別』第1号□新里実俊「沖縄差別①農業規模②落差の増幅」。
1974年
3月ー『青い海』31号□新里実俊「誤てる認識『日清両国の帰属』」。

大浜千代
2012年3月、那覇市歴史博物館に、東京在住の大浜千代さんから沖縄関係資料が寄贈された。主なものを記すと、1932年の島袋源一郎『伝説補遺沖縄歴史』(沖縄県教育会の印がある)、『新版沖縄案内』(源一郎の署名入り)、親泊朝擢の『沖縄県写真貼』(補修本)、柳宗悦『民藝』1939年から1944年までがある。千代さんは那覇の外間政暉の2女。戦時中は父政暉の東風平時代の教え子の新里実俊(川内中学校で教師)を頼って鹿児島に疎開した。戦後は那覇高校入学、1952年、文化女子大学入学、このとき外間政彰と渋谷区代々木上原に住む。帰沖し1955年、琉大助手。1958年、御茶ノ水女子大に編入。帰沖し琉大につとめる。1961年に大浜信昭氏(開業医)と結婚。
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Posted by: ryubun02
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あきたうじゃく【秋田雨雀】 1883‐1962(明治16‐昭和37)
劇作家,小説家,童話作家。本名徳三。青森県生れ。1907年早稲田大学英文科卒業。小説家として出発し,小山内薫の《新思潮》記者となり,《紀念会前夜》(1909),《第一の暁》などで劇作家として認められた。13年島村抱月の芸術座創立に参画,翌年沢田正二郎らと脱退して美術劇場を組織したが経営に失敗。失意の時期エスペラント,インド哲学に打ち込み,童話創作を試みつつ社会主義に傾く。20年には戯曲《国境の夜》を発表し,21年日本社会主義同盟に加入,翌年先駆座を結成。 (コトバンク)