08/04: 芸能/1955年11月 沖縄文化協会「琉球の舞踊」日本青年館、学習院、早稲田大学
宮平敏子
(翁長良明コレクション)
1955年12月11日『沖縄タイムス』佐藤春夫「沖縄舞踊団についてーみやらびは常若」/11月27日『沖縄タイムス』「芸能祭」
12月15日『沖縄タイムス』「文部省主催の芸術祭ー沖縄舞踊が団体入賞」
1933年1月 佐藤春夫作「世はさまざまの話」
青山恵昭 2021-8-31 佐藤春夫は山之口貘がお世話になった等々、沖縄通としても知られていますね。1929年28歳の時、台湾基隆社寮島(現和平島)の琉球人集落を訪ねたことを記した短編随筆「社寮島旅情記」があります。友人2人して舢舨(サンパン)で島へ渡り、琉球料亭で一席をもうけて泡盛を嗜み、三線、琉舞に興じた様子が軽妙に描かれています。湾生として興味深々読みました。
森 桂一モリ ケイイチ
昭和期の洋画家 千葉大学名誉教授;明徳短期大学名誉学長。
生年明治37(1904)年8月10日没年昭和63(1988)年3月16日
出身地岐阜県恵那市 別名号=林人子
学歴〔年〕東京美術学校〔昭和3年〕卒
主な受賞名〔年〕勲三等旭日中綬章〔昭和49年〕
経歴昭和3年帝展初入選。27年から45年まで千葉大教授。50年から56年まで明徳短大学長。美術教育を研究するかたわら、日展委嘱洋画家としても活躍。著書に「美術教育概説」など。→コトバンク
小糸源太郎 こいと-げんたろう
1887-1978 大正-昭和時代の洋画家。
明治20年7月13日生まれ。東京美術学校(現東京芸大)在学中に文展入選,昭和5年,6年に帝展で連続特選となる。官展の審査員,光風会会員として活躍し,29年「春雪」などで芸術院賞。40年文化勲章。昭和53年2月6日死去。90歳。東京出身。作品はほかに「山粧ふ」「繚乱(りょうらん)」など。 →コトバンク
佐藤は『世はさまざまの話』に山之口貘をモデルに「放浪三昧ーある詩人の話」を書いているが、戦前に来沖し豊平良顕らに会っている。その時の作品であろう。
佐藤春夫「伊都満譚詩」
糸満は琉球南方の一海村なり。その民は勇敢にして甚だ海洋を愛し好んで扁舟をもて遠洋に泛ぶと也。われ故郷に帰りて南海の浜に居し、一夕、怒涛を聴きて興趣を覚ゆ。ふとリヒャルト・デエメルに「海の鐘」の歌ありしを思ひ出で筆をとりて試みにこの譚詩をつくる。
なんぢ童たち/朝夕の目ざめに/潮騒の音を/海とや思ふらん。
わたつ海の底に/深く鳴りいづる/世にもいみじかる/鐘のひびきは
漕ぎ出でて水の/心臓に触るる時/選ばれし舟子ぞ/命を賭けて聞く。
波ぞ美しき。波ぞ/勇ましき。波ぞ/恐ろしき。恐ろしき/美しき、可愛しき。
恐ろしき時いとど/可愛しや、波。命。/我は勇魚となりぬ/波のまにまに。
友や、七人/この日波に呑まれつ、/勇魚なる我が真上に/星一つ見えてきて、
雲裂けて、月はだら/聞け、鳴り出でぬ、鐘/海の鐘、生きて我/美しき身ぶるひす、
言ひよりて囁く/海の胸の鐘ぞも。/まごころを明しぬ/底なき底より。
佐藤春夫 さとう-はるお
1892-1964 大正-昭和時代の詩人,小説家。
明治25年4月9日生まれ。生田長江(ちょうこう),与謝野(よさの)鉄幹らに師事。「スバル」「三田文学」などに詩を発表,小説「田園の憂鬱(ゆううつ)」で注目される。大正10年「殉情詩集」を刊行。また評論随筆集「退屈読本」,中国詩を訳した「車塵(しゃじん)集」などがある。昭和35年文化勲章。昭和39年5月6日死去。72歳。和歌山県出身。慶応義塾中退。作品はほかに「都会の憂鬱」「晶子曼陀羅(まんだら)」など。(→コトバンク)
上原栄子 うえはら-えいこ 1915-1990 昭和時代の経営者。
大正4年6月22日生まれ。4歳のとき那覇の辻遊郭にうられたが,昭和15年には娼妓(しょうぎ)数名をもつ抱え親となる。戦後の沖縄でいちはやく料亭を経営し,料亭はアメリカ映画「八月十五夜の茶屋」の舞台になった。平成2年12月9日死去。75歳。沖縄県出身。著作に「辻の華」など。(コトバンク)
1956年11月 日本青年会館「第七回全国郷土芸能大会・沖縄八重山郡 あんがま その他」
11月15日『琉球新報』「八重山芸能団を囲んでー東京料亭なはの女将が上江洲文子さんが一行をねぎらうため招待」
11月18日『沖縄タイムス』「東京でうけた八重山芸能ー2・3日は日本青年館、6日は早稲田大学大隈講堂」
11月27日『琉球新報』「絶賛浴びた八重山芸能ー本社で東京公演を語る」