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粟国島の実家隣りの與那太郎さんの遺族を門真市に訪ねた。子息も故人になったようである。門真市立歴史資料館を見学すると、常設展に「『幣原家』の足跡を訪ねて」があった。幣原喜重郎は第44代内閣総理大臣で「日本国憲法改正草案要綱」を発表し現代日本の礎を築いた。兄の坦は1899年に『南島沿革史論』という沖縄通史を発表。28年、台北帝国大学総長。晩年は門真で過ごした。東恩納寛惇とも親交があった。駅近くに松下電器歴史館も見学。先日、東成区大成を歩いていたら「松下幸之助起業の地」の表示があったので見学した。福島区大開には松下電器創業の家跡がある。守口市にはSANYO MUSEUMがある。

幣原坦(1870年9月18日~1953年6月29日)
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 明治・昭和期の文部官僚。教育者。東大卒。東京教育大教授、文部省視学官、広島高師校長、文部省図書局長歴任。台北帝大総長・名誉教授。敗戦後枢密顧問官。幣原喜重郎は弟。昭和28年(1953)歿、84才。 →コトバンク

 古在由重は農芸化学者・古在由直と、作家・清水紫琴の次男として東京府(現・東京都)に生まれる。兄・由正は東洋史学者・幣原坦の次女・澄江と結婚している。農芸化学者・古在豊樹は由重の息子であり、天文学者・古在由秀は由重の甥(由正・澄江夫妻の長男)にあたる。東京帝国大学卒。1932年、戸坂潤らと唯物論研究会を設立し、1933年および1938年の二度、治安維持法違反で検挙される。出獄後は上智大学でカトリック文献の翻訳や、四王天延孝の回教協会に勤務して、戦時下を過ごした。
1984年、原水爆禁止運動において原水協と日本共産党の意に反する行動を取った吉田嘉清が除名された事件があった。古在由重は吉田を擁護し、翻意を促す党の使者との面会を拒否したため、反党行動を正当化して居直ったとして、党から除籍された。そのため、死去時に日本共産党中央機関紙『赤旗』には古在の死亡記事が掲載されず、また党員に古在の葬儀への参列を禁じた。(→ウィキ)


1972年12月第21刷 古在由重『哲学史』青木書店/1968年7月 『現代の眼』<特集・沖縄ー奪還の思想的拠点> 古在由重「”働くもの〟から”見るもの〟へ?」




粟国の実家を新築した家でくつろぐ與那太郎さん(右)
 粟国島の実家隣りの與那太郎さんの遺族を門真市に訪ねた。子息も故人になったようである。門真市立歴史資料館を見学すると、常設展に「『幣原家』の足跡を訪ねて」があった。

2002年夏 竹内 勉(日本の民謡研究家)あぐに来島
 本阿弥書店の竹内勉氏①の著を買ったら、氏からお礼の手紙がきた。大塚正彦編集長からもきた。その後、大塚氏も沖縄に来た時に、竹内氏を是非粟国を見てほしいと仲里氏が提案。2002年夏、朝の飛行機で竹内、仲里、大塚の諸氏が粟国へ。与那城、安里氏が迎えた。昼食は与那城夫妻の手づくりであった。島の彼方此方を見て、船で4時に帰覇。夕食は「味の店・三郎」でとった。翌日は今帰仁城、名護を見物。

2011年9月 竹内 勉『民謡地図⑧恋の歌垣 ヨサコイ・おばこ節』本阿弥書店

 ○『日本語の起源』によると、「奈良時代以前には、母音は四個であったと推定される」すなわち、「アイウ オ」の四つの母音からなっていて、「エ」が加わって、今日のように「アイウエオ」の五つになるのは奈良時代(和同3年<UTAGAKI>)の「き(KI)」が、「け(KE)〕にと変化するのは、奈良時代以降となるから、「歌懸け」や「歌掛け」は、「歌垣」から発音の変化の中で生まれてきた言葉で、あとは歌垣の現象から、先の漢字をあてるようになったと思われる。(略)私が2歳であった昭和14年(1939)に、写音機という手製の録音機で民謡採集をしていた町田嘉章が、九州の西海岸や島々を廻った折の取材手帖をみると、歌詞の部分に、×と「伏せ字」にして、そのあとに「くだらん」と書き込みをした箇所があちこちにあった。そうした旅から戻って、その報告をするため、町田嘉章は民俗学者・柳田国男宅を訪ねた。そして手帖の件も話をした。すると柳田国男は、「町田君、惜しいことをしたね。君はそれを採集してくればよかったにに・・・」と言ったそうである。

①竹内 勉(たけうち つとむ、1937年5月30日 - 2015年3月24日間質性肺炎で死去、77歳)は、日本の民謡研究家。東京都生まれ。民謡研究の第一人者。10代から民謡採集を始め、のち町田佳声に師事。1965年、第20回文化庁芸術祭・奨励賞(レコード部門)を監修「民謡源流考」(コロムビアレコード)で受賞。NHKラジオで長年に渡り民謡番組を担当し、2000年3月、NHK75周年感謝状。1999年には、民謡採集50周年記念として「生きる之碑」を京都・大原三千院境内に建立。民謡研究家の故・町田佳聲に師事。日本各地の民謡の収集、分類、保存に取り組んだ。NHKラジオの民謡番組のパーソナリティーも担当した。著書に「日本の民謡」「民謡地図」。→ウィキペディア