鄭嘉訓・古波蔵親方爾方

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「鄭元偉 てい・げんい書」(崎間麗進蔵)

鄭元偉 てい・げんい 1792~?19世紀中期の沖縄の代表的な書家の一人。湖城親方。名は長烈。号は善橋。有名な書家鄭嘉訓古波蔵親方の3男として生 れたが、本家大嶺家の養子となる。大嶺里之子から伊計島の地頭になり伊計親雲上、さらに小禄間切湖城村の地頭になり、湖城親方と称される。父嘉訓同様、薩州で藩主の知遇を得て、多くの優れた書を残している。太宰府天満宮に奉納されていた、「徳高」の扁額(県立博物館所蔵)は、そのころ(1852)の作品である。中国への旅は1840年(尚育6)四年一貢を命ぜられた貢期を従来通り二年一貢に戻す為の陳情で北京へ行ったことが知られており、一方江戸へも42年将軍家慶の襲名慶賀使に儀衛正として随行した。のち紫金大夫に昇進し、久米村の長官である総理唐栄司(久米村総役)になったと伝えられている。書では、漢字の楷書にすぐれ、作品は、父嘉訓より少ないが、すぐれた物を残している。□→『沖縄大百科事典』


鄭基昌(鄭嘉訓、鄭元偉を出した家系。父・鄭紹業、祖父・鄭元覲)