福岡在住の頃(1965年~69年)、太宰府の観世音寺にはよく出かけました。同寺は天台宗の寺院。山号は清水山。本尊は聖観音。開基は天智天皇である。九州西国三十三箇所第三十三番札所。 九州を代表する古寺。→ウィキ。有名な十一面観音や馬頭観音に惹かれていたからです。ともに5メートル余の巨体で、色彩が鮮やかに残っているのです。この仏像を見て思うことは、太宰府そのものと、その存在価値は私たちの評価以上の大きさをしめされるのです。
 当時、ライカとローライフレックスの二台を持っていた私、この二体の佛像は無二の被写体です。隠し撮りに最高のローライフレックスで撮影に成功したのですが、何時の間にか、この写真とネガを無くして仕舞いました。

城谷一草「春秋庵雑筆」⑩<小山冨士夫先生のこと >
 小山冨士夫先生は、九州の古陶に関心が高く、九州にはよく出かけてこられました。当時、私は福岡在住でしたので、小山先生にはよくお目にかかりました。当時、先生の作品を扱っていたのですが、不思議と売れませんでした。先生は講演会や食席、酒席をともにされると必ず茶碗やぐい呑みを「どうぞ」と与えるのが当然の如くでしたので、茶人の多くは茶碗を貰い、酒飲みはぐい呑みを頂いていたのです。唐津では必ず作陶されていましたので唐津焼の秀作が多く残りました。
 小山冨士夫展の話が決まりましたので、在庫分で宮崎の橘デパートで開催しました。完売したときに先生が急逝されましたので展示会は雲散霧消したのです。小山冨士夫先生は、加藤唐九郎さんの「永仁の壺事件」の被害者だと思っていますが、先生からこの事件の愚痴は一度も聞いたことがありませんでした。先生は陶磁研究の第一人者で、文部技官・文化財専門審議会委員であったが同事件で引責辞任。しかし結果的に先生は一人の陶芸家に転生されたことは非常に良かったのではないでしようか。

2016年11月 城谷一草「春秋庵雑筆⑪<廃仏毀釈の遺産をもう一度>
 宮崎県の法華嶽薬師寺は、越後の米山薬師(新潟県)、三河の鳳来寺(愛知県)と並び日本三薬師のひとつとして、また、平安時代の歌人、和泉式部が三年にわたって参籠し、病を治したという伝承があることでも有名です。50年位前、その伝承に惹かれて訪ねたことがあります。ですが、驚くべき奇観が展開して居りました。首が切り落とされた佛像が10体位でしょうか参道に並んでいたのです。これは一見して、廃仏毀釈の盛んな幕末から明治の初めに行われたものだと分かりました。
 廃仏毀釈で損傷した佛教の寺院、佛像は甚大なものだったそうですが、奇蹟的に命拾いした寺の建物に奈良興福寺の五重塔があります。今は国宝のこの塔が、なんと50圓とか200圓で競売に出されましたが、解体費が高く入札する者が居なかったそうです。木造の佛像など簡単に叩き壊されたものです。法華嶽薬師寺の首が切り落とされた佛像は、そんな歴史的遺産なのです。


2016年12月4日 写真左からー城谷陽くん、城谷一草さん、末吉安允氏

2016年11月 城谷一草「春秋庵雑筆⑫<村落を守った 石の文化財 厄除け シーサー>




南風原の村獅子/豊見城市名嘉地


南城市当山

南城市当山 /北中城村和仁屋

北中城村喜舎場/沖縄市山里

2016年12月 城谷一草「春秋庵雑筆⑬<利休作の待庵>
 利休作の待庵は、にじり口が設けられた小間の茶室で数寄屋造りの原型で、犬山の如庵、大徳寺の密庵と共に三茶室と云うことになっているのだが、惜しいかな待庵は利休が作った当時の姿ではない。茶室の存在価値は、その庭造りにあると云えるのだが、待庵の庭は阪急電車の軌道に大きく削り取られている。極言すれば茶室としては参惨な姿である。
 阪急電車の軌道が出来た頃。明治維新を創ったのが下級武士達で茶道に無縁の上に、廃仏毀釈の影響で茶道界は最悪危機的な時代を迎えていた。今日の茶道界の隆盛からは想像も出来ない。世界遺産の話題が飛び交う昨今、利休創立に近い茶室の復旧を試みて好いのではないでしょうか。