又吉盛清作成
null

新城栄徳□1988年7月2日から8日まで沖縄県地域史協議会で台湾の沖縄関係史跡や、資料館など調査のための企画があった。総勢19人が2班に分かれ、1班が7日間、2班が4日間の日程であった。私は1班の7日コースに参加させてもらうこととなった。主な調査個所は石門古戦場、高雄市、阿里山、台南市、鹿港市、台中市、そして台北市では台湾大学研究図書館、国立中央研究院、国立中央図書館台湾分館、故宮博物院および同図書館などである。

1988年12月『那覇市史だより』第34号□大城康洋「台湾ー資料調査の旅」


2000年6月 那覇市歴史資料室『あしあと~大城康洋 調査・研究ノート~』








写真ー後列左から案内者の楊朝偉氏(佳冬農会代表)新城栄徳、漢那敬子さん、田名真之氏、島尻克美氏、、大城康洋氏。中列左から小渡清孝氏、久部良和子さん。下列左から上江洲安昌氏、真栄里泰山氏、平良勝保氏→阿里山森林鉄道

null
null
null

台湾愛書会
昭和8年結成、17年ごろまで活動した台湾の文化団体。書誌学研究と愛書趣味の普及を目的とした。須藤利一は台北図書館の機関誌「愛書」という。






1938年12月 台湾愛書会(①西川満)『愛書』須藤利一「琉球の算法書」
①西川満(にしかわ みつる、1908年2月12日 - 1999年2月24日)は日本の小説家、詩人。長男は経済学者の西川潤。
福島県会津若松市生まれ。父親の仕事の関係で、3歳で台湾に渡る。台北一中を経て、早稲田大学仏文科へ進学、吉江喬松に師事。卒論のテーマはアルチュール・ランボー。1933年に卒業して台湾日日新報に就職。『台湾風土記』(1939年)、『華麗島』(1939年)、『文芸台湾』(1940年)などを創刊。敗戦後の1946年、日本に引き揚げる。台湾の真理大学に蔵書2万冊余りを寄贈した。占星術もやった。→ウィキペディア 



1999年9月21日台湾中部の地震  
台湾中部で21日午前1時47分ごろ(現地時間)にM7.6の大地震が起こり,建物約3万棟が倒壊した.震源地は南投県集集鎮付近である.地震による被害は震源に近い南投県や周辺の台中市などの台湾中部に集中した.震央から約150km離れた台北市でも12階建てのビルなどが倒壊した.死者・行方不明者は4800人を超えた.国連人道問題調整事務所の要請を受け,日本政府は過去最大規模の国際緊急援助隊を派遣した.

 台湾では日本の旧8階級震度階から震度7を除いた7階級震度階が使われている.台湾中央気象局の調べによると,台湾各地の震度は,名間,台中で震度6,南投,日月潭,嘉義,台南,新竹で震度5,台北,高雄で震度4である.[地図] 日本の沖縄県西表島と与那国でも震度2が観測された.

 菊地教授は地震波の波形解析からメカニズムを求めた.それによると,メカニズムは東西圧縮の逆断層運動である.推定断層面は東傾斜で,傾斜角は27度である.断層の長さは80km,幅は40km,平均すべり量は2.2mである.破壊は主に北へ進行し,破壊運動は28秒続いた.断層を境に,東側のブロックが西側のブロックの上に乗り上げたとみられる.

 台湾では,震央付近の地名から今回の地震を「集集(チーチー)大地震」と呼んでいる.長さ50km以上にわたって,台中市東方に縦ずれ成分に富んだ地表地震断層が出現した.断層の走向はほぼ南北で,東側が西側に対して2~6mほど隆起した.台中県豊原市の大甲渓では,川底に生じた約5mの段差が滝をつくった.台中県霧峰では,垂直変位2~3mの断層が中学校の陸上競技場を横切った.

 過去の被害地震で死者がもっとも多かったのは,死者3276人を出した1935年新竹・台中地震(Ms7.1)である.今回の地震の規模はこのMをはるかに上回り,内陸地震としては今世紀最大である.



3月17日ー『沖縄タイムス』「対応後手に回る政府」「住民のいら立ち募る」、『琉球新報』「福島原発事故ー政権失態批判免れず/政府動き鈍く」「社説ー石原知事発言を評論家気取りで、無責任な発言をしている場合ではない。と断じた。」