左ー観世音菩薩/この絵は惠心僧都の傑作「聖衆来迎」の一部であります。僧都は大和國の人で(平安時代の半頃)学者、芸術家、宗教家として名高い方です。(相良徳三氏著『日本美術史』)〇恵心僧都/平安中期の天台宗の僧。恵心流の祖。大和生。諱は源信、恵心僧都は通称。良源に師事し、顕密二教を学ぶ。また『往生要集』を著し、以後の浄土宗信仰の展開に大きな影響を与え、宋でも高く評価された。寛仁元年(1017)寂、76才。

はしがきー日本の文明が今日のように進んで来るまではずいぶん長い年月を経ています、しかもそれは日本人の力だけで進んで来たのではなく、朝鮮、支那、印度及び欧米各国の人々の助けをうけていることも少なくありません。吾々の祖先はこれら諸外国のすぐれた学問、宗教、芸術を一生懸命に取り入れたばかりでなく、ほんとに日本独自の文明を生み出そうと苦しんで来ました。しかしながら漢字、漢学、仏教、キリスト教、科学というような今日の文明の大本になっているのは残念ながら外国から入って来たものが多いのは明らかな事実です。(略)今までの歴史は多く戦争と政治の歴史でありました。しかし戦争や政治は歴史のほんの一部分であって全部ではありません。吾々の先祖の生活や功績を知るためにはもっと広く、いろいろの方面から研究して見なければなりません。

目次
日本と朝鮮ー(前略)しかし天孫族すなわちニニギの尊の一団体は朝鮮を通って来たのだろうと考えられるから高天原も朝鮮か、その北の方満州のどこかにあっただろうと想像することが出来ます。
遣唐使(支那への御使い)
遣唐使を止めて/
80歳の留学僧真如上人 高岳親王〇澁澤龍彦「高丘親王航海記」を史実のほうでみると、高岳親王は平城天皇第三皇子、在原業平のおじに当たる人である。薬子の変に絡み、皇太子を廃されるが後に出家、真如の号を得て空海に師事、その高弟となっている。親王は六十四歳で入唐を果たすが、六十七歳のとき広州から海路天竺へと向かい、そのまま消息を絶った。一説には、マレー半島南端で虎の害により亡くなったとも伝えられる。(眞耶ライブラリー)
宋と日本の交通ー1、宋人に祀られた惠心僧都 2、平清盛の貿易 3、武士の生活tと異国趣味
元寇とアメリカ発見
日明貿易と海賊船(倭寇) 
ポルトガル人と鉄砲の伝来
フランシスコ・ザビエールと日本
朝鮮征伐と日本の産業)
ー捕虜になって来た人々と陶器業
徳川家康と外国貿易ー貿易商家康
国を鎖すまで
オランダ語を学ぶ人々
外国人の侵入におびえた人々



『青年沖縄』3号

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『青年沖縄』4号の編集は神村朝堅



1992年7月(1981年3月 第1刷)『柳田國男写真集』岩崎美術社〇2段目、3段目に比嘉春潮と共に仲原善忠も見える

仲原善忠 なかはら-ぜんちゅう
1890-1964 大正-昭和時代の教育者,沖縄研究家。
明治23年7月15日生まれ。大正13年東京の成城学園教諭となり,のち経営にもあたる。戦後,沖縄人連盟会長,沖縄文化協会会長などをつとめる。昭和23年同協会の機関誌「沖縄文化」を創刊,古歌謡「おもろ」の研究につくした。昭和39年11月25日死去。74歳。沖縄県出身。広島高師卒。著作に「おもろ新釈」など。 →コトバンク