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 佐野眞一氏の本に出会ったのは沖縄出身の与座弘晴を紹介した『業界紙諸君!』(1987年)が最初である。この本には佐野氏自身のタウン紙「新宿れぽ-と」(旬刊)の記者時代に触れ「オーナーはこの街を根城にする本職のヤーさんだった」と書く。「新宿れぽーと」は1982年の時点で240号を出している。発行人は伊藤晃三郎である。伊藤は沖縄の宜保俊夫と共に東亜友愛事業組合の大幹部,『月刊友愛』も発行、1981年9月号は「沖縄本土復帰十周年記念」であった。


 『中央公論』2008年5月 佐野眞一「時評2008/満映人脈が照らす歴史の残酷さ」〇(前略)学生時代によく観た東映ヤクザ映画がきっかけだった。東映の三角マーク映画から伝わってくる異様な感触には、ほかの映画会社にはないデモーニッシュな衝動と官能があった。『飢餓海峡』の内田吐夢も『緋牡丹博徒』シリーズの加藤泰も満映出身者である。管理部門では、『きけ、わだつみの声』を制作した元東映専務の坪井與氏も、赤川次郎の父親で日本初の長編アニメ『白蛇伝』を制作した赤川孝一氏も満映にいた。(略)

 2013年12月18日『沖縄タイムス』記事に「知事、『辺野古』承認へ事実上の条件」、権力に通じている御用新聞(御用が悪いと言ってない)の産経新聞は辺野古移設を断定的に報道していた。官僚と安倍の戦術が旨く行っているということだろう。19日知事は安倍首相と二人きりで7分会談している。この時に「秘密文書」で交換条件を出したであろう。この密約も60年間公開はされないだろう。沖縄県民もそういうことは織り込み済みであろうし、そのために「安保容認」知事を選んだということだ。この知事は佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』の「沖縄知事選コンフィデンシャル」の中でボロクソに書かれている、一例「官僚退職、副知事退職、沖縄電力退職、沖縄で最高額の退職金を3回も手にした人」と選挙ビラを引いて紹介している。沖縄県民は官僚や安倍に騙されたはもう通用しない。本気で次の知事や名護市長は「安保ノ-」の候補者を選択しないといけないだろう。革新側も理屈っぽい学者やタレントではなく現実と未来を見据えた経済政策(安保・原発・消費税・思いやり予算などを廃止)でもった政党を中心に、心ある政治家(利権世襲の政治屋ではない)の結集を望みたい。

2015年5月 佐野眞一『沖縄戦いまだ終わらず』集英社文庫
 宇宙といえば、沖縄取材のとき必ずといっていいほど訪ねる宜野湾市の「BOOKSじのん」①という古書店の棚にも、宇宙を感じる。(略)沖縄の政治家から経済人、沖縄ヤクザの抗争から軍用地主、沖縄の金融事情から芸能情報までゴッタ煮のように満載した前記の『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』は、よく沖縄名物のチャンプルーのようだと言われる。ここで白状すれば、この本は「BOOKSじのん」の棚に刺激されて書いたものである。
①BOOKS じのん営業時間:9:00~20:00、年中無休
〒901-2215沖縄県宜野湾市真栄原2-3-3TEL:(098)897-7241 / FAX:(098)898-7039
E-Mail:info@jinon.ginowan.okinawa.jp
レジ前に佐野眞一の著20余冊があった側に紅型装幀の宮﨑義敬『繚乱の人』展望社があり、帯で平良リヱ子の評伝と分かった。

佐野眞一の本
 沖縄知事選のクライマックスは、私が那覇入りする四日前の11月1日の午後3時から、那覇市にある沖縄セルラースタジアムで開かれた翁長支援の1万人集会だった。(略)仲井眞側の応援弁士の小泉進次郎の応援は凡庸で聴衆もせいぜい300人程度だった。進次郎のオバちゃん人気の神通力が通じるのも本土だけかもしれない。官房長官の菅が、「もし仲井眞さんが当選したら、沖縄にユニバーサルスタジオをプレゼントする」と約束したのも笑止千万だった。これは沖縄のカジノ計画に賛成している仲井眞への援護射撃のつもりだったのだろうが、どうみても逆効果だった。菅は秋田県の雪深い村から集団就職で上京し、働きながら大学の夜間部に通った苦労人だが、権力の座に長くいたせいか、最近とみに傲慢になったような気がする。そもそも私は、通産官僚から沖縄総合事務局、沖縄電力理事、沖縄県副知事、沖縄電力社長、そして沖縄県知事と天下りして、その都度庶民にはおよそ手の届かない巨額の退職金を手にした仲井眞という男を最初から信用していなかった。

 佐野眞一をウィキペディアで見ると、乾物屋を商った東北出身の父は婿養子。3人兄弟の長男。初孫だったために粋人の祖父に溺愛され、小学生のころから浅草で酒の味や映画、演芸の享楽を仕込まれた。早稲田大学第一文学部在学中は映画監督を志し、「稲門シナリオ研究会」に入った。大学卒業後、主に子供向けソノシート制作などを手がけていた音楽出版社・勁文社に入社。1971年12月、自ら編集を手がけ発行した「原色怪獣怪人大百科」がこの当時の第二次怪獣ブームを受け、53万部を完売するという当時としては画期的なベストセラーになったが、労組を結成したため1年半で解雇された。




 左ー『あるくみるきく』は、日本の民俗学者、宮本常一によって1967年に創刊された雑誌。日本観光文化研究所から1988年まで出版されていた。/写真右から野里洋氏、佐野眞一氏、私