1978年10月 『たげぇに ちばやびら』瀬長亀次郎後援会


1983年10月 『こんにちはセナガ亀次郎です』瀬長亀次郎事務所


1984年8月『島空間からー1984年・沖縄・反核・反戦文学アンソロジー』沖縄・文学を通して反核反戦を考える集い(編集委員・あしみねえいいち,大湾雅常,国吉真哲,新城太石,芝憲子,瀬底月城,知念清栄,知念光男,仲松庸全,牧港篤三,安嶋涼人/編集委員会事務局・加勢俊夫,来間富男,芝憲子,富山嘉泰,宮城義弘)
〇私たちの、日常の営為は、それは本来的に単なる日常でしかありません。しかし、今や私たちは核時代に生きています。「破滅か、救済か、何とも知れぬ未来に向かって人類は邁進して行く」(峠三吉)こうした日常は、解き放つことのできない矛盾と無力感に掩われています。
 いまから40年前、沖縄であった戦争の影を背負っている者にとってはなおさらのことです。
 文学をする私たちにとって本来的には、もはやこうした虚構の中では、文学行為を半ば喪っているかも知れません。なぜ考え且つ書き、創るのか、誰に向かって何を伝え、そして言おうとしているのか。私たちの自由を奪い、個人の死をも無意味にする突然の大量死、ぢりぢりと用意されていく戦争をフィクションの世界に押し込めてよいものでしょうか。
 米ソの核軍拡競争の谷間で、核攻撃指令機能をもつ米軍基地をかかえる沖縄は、日本でもっとも危険な地域だといってもよいと思います。自衛隊の演習もエスカレートしています。沖縄戦の苦い体験をもち、今もこのような現状の地で、文学にたずさわる私たちは、私たちの仕事を通じて、平和へのねがいを訴えたいと思います。芸術家だからといって、目をつぶってはいられない危機的な時期にきていると思います。過去の15年戦争時代、多くの詩人、歌人、俳人、作家らは、時代に流され、戦争を讃美するような戦争協力の作品を書きました。私たちは、あの過ちをくり返したくはありません。「殺されるときはいっしょ」という、戦争のような強大な動きに対しては、芸術分野でも、個々人の力を合わせないと対抗できないと思います。個々人がテーマも題材も全く自由に創作し、それらを「反核反戦」のタイトルのもとに、ここにアンソロジー『島空間から』を出版致しました。                   1984年8月15日


1985年11月 『沖縄人民党の歴史』日本共産党沖縄県委員会

『琉文手帖』「歌人 山城正忠」
null
1985年11月『琉文手帖』3号の表紙「歌人・山城正忠」の題字は井伊文子。碓田のぼる「『明星』圏における山城正忠」□碓田 のぼる(うすだ-、1928年2月5日 - )は、歌人、教育運動家。長野県生まれ。本名・登(教育関係の著作には本名を用いる)。東京物理学校卒。高校教諭を経て、全国私教連委員長、全教副議長などを歴任。渡辺順三に師事。新日本歌人協会全国幹事、日本民主主義文学会員、国際啄木学会会員。歌集『花どき』で多喜二・百合子賞受賞。→ウィキ


写真左から宮城義弘氏、芝憲子さん、加勢俊夫氏、新城栄徳


新城栄徳、芝憲子さん/2017年4月29日ー辺野古自然破壊に抗議する集会に参加する新城あけみ、芝憲子さん


1993年
10月ー日本共産党沖縄県委員会『沖縄人民党・日本共産党合流20周年のあゆみー1973・10・31~1993・10・31』

1997年
7月ー沖縄戦後史研究会『沖縄近現代人民解放運動の主な歩み』

1997年11月 川平朝申『終戦後の沖縄文化行政史』月刊沖縄社



2012年8月 『「日米安保」なくせばこうなる!!』日本平和委員会

2013年7月2日~7日 那覇市民ギャラリー「第31回 核も基地もない緑の沖縄を! 沖縄平和美術展」
null
null


右が喜納勝代さんの「のうぜんかずら」(ちぎり絵)
null

null
安里盛昭 同展実行委員長の作品

芝憲子さん、宮良瑛子さん
null
null
null


2016年ー報道の魂スペシャル「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか?」(TBS) 2016年ー報道の魂スペシャル「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか?」(TBS)

 今日、RBC琉球放送でも放送されましたので、テレビ放送が視れない方、また見逃してしまった方に録画動画の紹介です。TBSが放送(8/21)し、すぐにネットに動画がアップされており、その紹介のメールもいただきました。(М)
 銃剣とブルドーザーによる土地強奪に向き合った土地闘争は島ぐるみ闘争になり、そして日本復帰運動に結びついていったが、それをリードしたのが亀次郎だった。亀次郎と民衆の闘いを伝える資料館「不屈館」の館長を務める、亀次郎の次女は「父は沖縄を団結させるためにやっていた」と語る。まさに、保守革新を超えたオール沖縄の原点といえる。

 それから半世紀以上の時を経て、辺野古移設反対の民意に一向に向き合おうとしない政府と対峙する現代のリーダーに、県民たちもかつての亀次郎を重ね合わせる。沖縄戦後の占領下で何が起き、亀次郎は、どう占領軍と対峙し、民衆はどう立ち上がり、復帰へ向かったのか、そして、その時代はいまの闘いにどう結びついているのか…瀬長亀次郎の姿を通して、数々の証言により沖縄戦後史を掘り起こしながら、現代の辺野古闘争に通じる沖縄とこの国の姿を浮き彫りにしていく。

『しんぶん赤旗』2016年8月30日<潮流> 評判を聞き、あるドキュメンタリー番組を見ました。うわさにたがわぬ力作でした。21日深夜に放送された報道の魂スペシャル「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか?」(TBS)です
▼主人公は戦後、沖縄を占領した米軍の圧政に命がけでたたかった瀬長亀次郎さん。「ネーネーズ」の歌にも登場する沖縄の英雄です
▼番組は、辺野古の米軍新基地建設をめぐる国と沖縄県の攻防を、半世紀前のたたかいから説き起こしました。1947年、沖縄人民党を結成。52年、今の県議会にあたる第1回立法院議員総選挙でトップ当選。その後の琉球政府創立式典でただ一人、忠誠を誓わなかったことから占領軍ににらまれます
▼54年、瀬長さんが先頭に立ち、立法院は米軍から土地を守る4原則を打ち出します。半年後、突然逮捕。瀬長さんは裁判でこう述べます。「被告人瀬長の口を封ずることはできるかもしれないが、虐げられた幾万大衆の口を封ずることはできない。…日本の独立と平和をかちとるために捧(ささ)げた瀬長の生命は大衆の中に生きている」
▼出獄後、56年に那覇市長に当選。しかし補助金凍結で兵糧攻めに。助けたのは市民でした。「アメリカーが瀬長市長いじめるから税金納めに来たサー」。納税率は最高97%に
▼瀬長さんが何より大事にしたのは「沖縄の団結」でした。それから半世紀がたち、新基地建設反対の民意に敵意をむきだしにする政府と、対峙(たいじ)する現代のリーダー。オール沖縄の原点が見えてきます。
null
不屈館( 住所: 〒900-0031 沖縄県那覇市若狭2丁目21−5)で、新城栄徳