1976年1月 沖縄の雑誌『青い海』49号 井伊文子「新春随想 私の正月」

『琉文手帖』「歌人 山城正忠」
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『琉文手帖』3号の表紙「歌人・山城正忠」の題字は井伊文子さんが書かれたものである。

文子さんは父・尚昌について『はなのうむい佛桑花の念い』(1997年10月)に「若くして逝った父は本当に気の毒ではあったが、関東の大震災も、沖縄のみじめな敗戦も知らず、充ちたりた幸福の絶頂で生を終え、一面からいえば幸いであったかもしれない」と記している。
 □2004年11月ー井伊 文子さん(いい・ふみこ=旧琉球王家の末えい、故・井伊直愛元彦根市長の妻、歌人)22日午前9時45分、急性心不全のため滋賀県彦根市の病院で死去、87歳。東京都出身。自宅は彦根市松原町515。葬儀・告別式は24日午後0時半から彦根市古沢町1100、清凉寺で。喪主は孫の岳夫(たけお)氏。  1930年から歌人の佐佐木信綱に師事。37年、幕末の大老・井伊直弼のひ孫に当たる直愛氏に嫁いだ。52年から新短歌の歌人として活動。歌集に「浄命」「鷺ゆく空」など。72年には沖縄復興に向け社会奉仕団体「佛桑花の会」を結成した。

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資料「井伊文子」

平成5年11月ー井伊文子『四季折々』「蘇鉄ーお浜御殿とよばれているわが家の、今は見るかげもない廻遊式庭園にも、かっては築山に蘇鉄が植えられていた。大名屋敷の庭にはよく植えられたものらしく、復元された彦根城博物館(かつての表御殿)の庭にも元通り植えられたが、わが家の蘇鉄は冬の保護を怠った為にいつしか消滅してしまった。沖縄にはこの植物の自生林があり、私の生命の源流はここにあるという感慨を抱いている。寒さには耐えられない蘇鉄も、暖かい所ならば実に力強い生命力をみせ、赤い実を結び、雄花は天を突く。今になって、庭の蘇鉄を枯らしてしまったことが悔やまれてならない。


尚家と井伊家
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井伊文子資料

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『首里城跡』資料

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『中城御殿跡』資料
2012年3月 沖縄県埋蔵文化財センター『中城御殿跡ー県営首里城公園 中城御殿跡発掘調査報告書(3)ー』
□1917年5月20日 尚昌の長女 文子が東京で生誕する
1920年 このころ文子が中城御殿を訪れる
1933年 文子が来訪し新御殿に滞在する
1937年4月 文子が井伊家に嫁ぐ
1959年 井伊文子が中城御殿跡を訪れる