1972年12月 沖縄の雑誌『青い海』19号 新里金福×関広延「対談 沖縄の可能性とは何か」
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□新城栄徳、新里金福と関広延対談をセットする。
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1972年ー新里金福氏書簡→新城栄徳宛


1965年10月 浦崎純『消えた沖縄県』沖縄遺族連合会・沖縄時事出版社 □新里金福「歴史の証言」ー今ベトナムの戦線では、防衛を口実に日ごと、殺戮がくりかえされている。それも宣戦布告なしの反復攻撃という国際道義を無視した方法によってである。

1966年3月ー新里金福『沖縄の思想』未来社
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資料「関広延」<br />

津嘉山政栄
津嘉山政栄さんを検索するも少ない。大阪で沖縄青年運動にも援助をおしまない人であった。大教組の関広延さんと行動を共にしていた。

1968年10月ー『大阪・沖縄県人屋良さんを励ます会ニュ-ス』第号(発行責任者・津嘉山政栄)/
1971年4月『沖縄差別』第1号□津嘉山政栄「大阪沖縄県人会『沖縄県人は訴える』を考える」、伊差川寛「醜い沖縄県人会」
/1971年8月『沖縄差別』第2号□津嘉山政栄「沖縄返還同盟の声明を考える」、金城良明「沖縄差別とわたし」/
1972年9月『解放教育』№15□津嘉山政栄「在阪・沖縄出身者の子弟の教育を考える」/
1976年2月ー全国解放教育研究会『沖縄の解放と教育』明治図書出版□津嘉山政栄「ウチナーンチュとして生きてきて」「在阪・沖縄出身者の子弟の教育を考える」、本村周広「山口重光君『事件』と沖縄差別」

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1970年9月 『琉球弧』<大阪版>創刊号□儀間進/関広延
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儀間進氏と新城栄徳、中央ーあしみね・えいいち氏


1972年5月 沖縄の雑誌『青い海』関広延「うちなあぐちまでぃん  さったるばすい」