1971年10月 茨木憲・儀間比呂志 絵『鮫どんとキジムナー 沖縄の昔話』平凡社

前に島袋和幸さんから、「飛び安里」を全国に紹介した宮里良保の後輩、佐久川恵一氏のことを聞いたことがある。弟が茨木憲(恵輝)である。

1956年11月ー茨木憲『昭和の新劇』淡路書房


1989年3月ー佐久川恵一『裸足社晩春』/1991年6月ー佐久川恵一『幾山河』

7月16日ー『沖縄の軌跡』発行人で沖縄(のろし)ネットワーク連絡会の島袋和幸さんと共に首里城での烽火実験に参加した。東アジア域の黄砂と硫酸ゾルの分布もあってか烽火は見えなかった。『沖縄の軌跡』第69号は渡名喜島の遠見台に触れていて夏至風(カーチーベー)を9月としているが、これは6月23日のことである。芒種(ボーシュ旧5月)、寒露の節(旧9月)も若干混乱が交じっている。



 1957年 野口昭二・儀間比呂志『詩画集 琉球』→1957年5月『図書新聞』火野葦平「『ちぎれた縄』という芝居を書いていて、自分も沖縄の苦しみのなかに入ってみようと試みたばかりの私には、この、詩と版画とで彩られた『琉球』という美しい本を、異様な息苦しさなしでは、最後のページまで見終わることができなかった・・・」

 1957年6月9日『琉球新報』石野朝季「関西の沖縄地帯ー郷里の体臭ただよう ミナト神戸に沖縄通いの船」/1957年10月27日「商都に生きる(2)儀間比呂志ー商都のボヘミアン 画面に”生きるうた〟を」〇『何んやて”商都に生きる〟?そらきみ、オレの場合はちがうな。そらたしかに、ここでメシ食って、ここの空気を吸って・・・つまりここで生きてるにはちがいないが、ほんとのいみで”生きる〟となると”沖縄に生きる〟とでも云いたいな。』のっけからこうである。うるさい男だ。が、かれのいうのももっともなはなし。かれくらい商都に似つかわしくない風体の人間も少ない。


山田實・撮影「瀬長亀次郎」
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1970年9月 瀬長亀次郎『沖縄人民党ー闘いの二十五年』新日本出版社(装幀・儀間比呂志)/8月7日  『人民』儀間比呂志「沖縄を描くー絵画を語る」