横浜・新聞博物館で開催されている「よみがえる沖縄1935 」の写真企画展に寄った。天気にも恵まれ周辺の横浜スタジアム、中華街から山下公園一帯はすごい人出の上にトライアスロンの世界大会当日で港周辺は過熱気味でした。新聞博物館玄関ホールの吹き抜けには巨大な新聞輪転機が設置されている。明治時代に使われていたイタリア製マリノニ型輪転機というすごい年代物印刷機だ。





よみがえる沖縄1935
2018 3.31(土)-7.1(日) ニュースパーク(日本新聞博物館)
朝日新聞記者が1935年に沖縄で撮影した写真の数々が展示されている。1935年、太平洋戦争末期の10年前だ。にぎわう那覇の市場、のどかな軌道馬車(那覇⇔糸満 約9キロ)、糸満の漁師たちーー。人工知能(AI)技術と住民の記憶をもとにカラー化した写真数点を含む約100点。「海洋ニッポン」は、糸満を7回、古謝(現在の沖縄市)、久高島、名護を1回ずつ計10回連載。「海洋ニッポン」というテーマのせいか取材地は糸満が多い。1935年という撮影年月日が判るというのは資料としてとても貴重だ。1935年は満州事変(1931年)後、日中戦争(1937年~)前で、沖縄も含めて日本が総力戦体制に向かう時代、沖縄がどんな状況下にあったかということも念頭に入れて観て欲しい。


2017年7月 朝日新聞社・沖縄タイムス社『沖縄1935』朝日新聞出版〇右写真ー右から朝日新聞社の守山義雄記者、「海洋ニッポン」にカットを描いた安仁屋政榮、玉城瑩、豊平良顕

1935年1月23日『大阪朝日新聞 九州朝日』「猫の手も欲しい黒糖の製造期 沖縄農村の初春風景」(写真ー改良型圧搾機)
1935年3月8日『大阪朝日新聞 九州朝日』「沖縄の模範部落②小湾 古謝」
1935年6月21日『大阪朝日新聞 九州朝日』「琉球商人の海外雄飛 那覇市の県立図書館で 文献”歴代寶案„発見さる」
1935年7月11日『大阪朝日新聞 九州朝日』「ブラジルの制限を尻目に新天地へ飛躍 南洋ペルー渡航は激増す さすが移民県”沖縄„」

1935年7月13日『大阪朝日新聞』守山義雄・記/藤本護・撮影「海洋ニッポン(1)裸一貫、度胸の塊り 海底に”ふか„と闘ふ 果敢無雙・琉球の糸満漁夫」
1935年7月14日『大阪朝日新聞』守山義雄・記/藤本護・撮影「海洋ニッポン(2)転覆するが、浮く 遠洋を”歩く„舟 原始的らしくてまさに流線型 糸満名物の”刳舟„」
1935年7月15日『大阪朝日新聞』守山義雄・記/藤本護・撮影「海洋ニッポン(3)透きとほる深海に 裸人群像の活躍 謎! 息もつかぬ追込み漁法 泡は悲壮のS O S」
1935年7月16日『大阪朝日新聞』守山義雄・記/藤本護・撮影「海洋ニッポン(4)女権の町・糸満の珍景 夫婦が濱で取引 亭主の漁獲を女房が買取る 露呈する個人主義経済」
1935年7月17日『大阪朝日新聞』守山義雄・記/藤本護・撮影「海洋ニッポン(5)荒海稼業の大声 舟唄も奪はれて 衣類を食べる危険線上の勇士 よく稼ぐ女性群」
1935年7月18日『大阪朝日新聞』守山義雄・記/藤本護・撮影「海洋ニッポン(6)糸満第二世達は 武勇伝の持ち主 我子に腰縄うって海に落す 峻烈な”獅子„」
1935年7月19日『大阪朝日新聞』守山義雄・記/藤本護・撮影「海洋ニッポン(7)碧眼漁夫が驚いた ”魚„か”人間„か ”一潜り百両„の沖縄漁夫 海外制覇の朗話」
1935年7月20日『大阪朝日新聞』守山義雄・記/藤本護・撮影「海洋ニッポン(8)深夜の共同耕作に 娘達は松明係り 蘇鉄地獄の汚名そそぐ”古謝„ ユートピア建設へ邁進」
1935年7月21日『大阪朝日新聞』守山義雄・記/藤本護・撮影「海洋ニッポン(9)女護ケ島に残る 奇習”貞操試験„ めづらしい共有地割 牛馬も犬もゐない 仙境・久高島」
1935年7月22日『大阪朝日新聞』守山義雄・記/藤本護・撮影「海洋ニッポン(10)人間群と巨獣群が 海上の大闘争 忽ち下る全町総動員令!? 名護湾の海豚狩」
1935年7月31日『大阪朝日新聞 九州朝日』「暴力団検挙続く すでに二百二十名に上る 那覇署の大活動」





2008年12月 なるみ堂「沖縄のメディア展 新聞・ラジオ・テレビ」

沖縄の新聞①
2008年11月9日「新聞資料研究会」琉球新報新聞博物館
琉球新報本社には新聞博物館(http://ryukyushimpo.jp/info/page-129.html ) (2005年4月開館)がある。その機関紙『あめく通信』9号(2008年)に新聞収集家として著名な羽島知之氏の琉球新報での講演「新聞と私ー新聞収集研究60年」と、羽島氏が新聞博物館に寄贈した新聞原紙の目録が載っている。2008年11月9日に新聞博物館で「新聞資料研究会第19回大会」があった。会長の羽島氏以下15人が県外から参加した。沖縄側から岡田館長、新聞研究家の下地智子さん、沖縄コレクター友の会から会長の上原実、副会長の翁長良明、新城栄徳が参加した。新城は羽島会長から『スタンプマガジン』(2008年10月)を恵まれた。同誌には羽島会長の「号外コレクションが語る近現代史」が連載されている。なお横浜にある日本新聞博物館には羽島コレクションが10万点収蔵されている。

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左から、上原実(沖縄コレクター友の会会長)、羽島知之(新聞資料研究会会長)、新城栄徳(沖縄コレクター友の会)、翁長良明(沖縄コレクター友の会副会長)。□→琉文手帖通信①

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1936年11月8日『沖縄日報』「物故新聞人36氏の慰霊祭」