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儀間比呂志「ソテツ」




1976年『儀間比呂志版画集・沖縄の女』岩崎書店


儀間比呂志、実家に帰省

1983年8月29日『読売新聞』「青春紀行ー儀間比呂志 南洋の果て・・・沖縄の心」



山田實さん所蔵の儀間比呂志作品「伊野波節より」

 儀間比呂志の絵がシャッターに描かれている久茂地・抱瓶店。ゆいレール・那覇空港駅には儀間比呂志の「万国津梁の民」(2003年8月)。


2006年6月 琉球大学文芸部『伝言』創刊号(表紙・儀間比呂志)

『戦争と平和の資料館ピースあいち』は、名古屋市名東区よもぎ台にある資料館。地下鉄東山線一社駅から北へ徒歩約13分。〒465-0091 名古屋市名東区よもぎ台2-820   TEL/FAX 052-602-4222


2018年6月3日 国立文楽劇場ー金城康子琉舞道場「開設50周年記念発表会/島々の踊り」


ギャラリー象 ☎098-867-7936 FAX098-862-8548

ギャラリー象で親族と、左端が儀間比呂志














儀間比呂志ポスター


1966年6月/1958年12月

1974年10月/1975年2月



1995年8月 儀間比呂志『沖縄戦 朝鮮人軍夫と従軍慰安婦』清風堂書店ー□船越義彰「喜屋武岬海岸」、□儀間比呂志ー私の沖縄戦版画〇実際、戦争の本当の犠牲者は、子どもたちではないだろうか。私たちは、あの状況のなかで、戦争に反対することはできなかった。その結果、ずるずると、破滅にのめりこんだ。そして、多くの子どもたちを不幸な目に逢わせた。言うなれば、当時の大人一般は、等しく戦犯であろう。「あの時は・・・・・・」の言いわけはすまい。しかし黙するわけにはいかない。やることは、再びあの愚をくりかえさない努力をすることではないだろうか。沖縄県民が体験した「いくさは、ならんどォ」の執念には、人間にとって根源的な人類の「共存」という命題がこめられている。あとがき〇作家の船越義彰氏が寄せられた自らの体験記は、沖縄戦について、私の言いたらない面を補って余りあるものがある。感謝の意を」表したい。なお、取材の面では、山内栄氏に大変お世話になった。あわせて、本書の刊行を心よく引き受けて下さった清風堂の面屋龍延社長にも心からお礼を申しのべたい。
   
2917年7月『沖縄9条連たより』山内榮「六-二三と八・一五のはざまでー戦後七二年・憲法施行七〇年の年に考える」/儀間比呂志「むんじゅる笠」(新城栄徳 所蔵)


1989年3月 儀間比呂志『新版画風土記 沖縄』海風社



1989年3月 儀間比呂志『新版画風土記 沖縄』海風社ー国際通り、自画像/与儀公園の山之口貘詩碑/斎場御嶽ー一度はお詣りしたかった場所だ。案内してくれたのは舞踊家の佐藤太圭子さんと、詩人の高良勉夫妻。

1997年12月 佐藤太圭子『華の舞ごころ 琉球舞踊に生きて』沖縄タイムス社/写真・大城弘明

儀間比呂志「表紙絵」コレクション

2005年10月3日『しんぶん赤旗』「日曜インタビュー/儀間比呂志さんーハンセン病差別なくしたい」


2017年10月31日~11月6日 リウボウ7階美術サロン「松島朝義 琉球陶藝展」


写真ー松島朝義氏 2013年12月21日 ジュンク堂「ポスト『島ぐるみ闘争』」

まつしま・ちょうぎ
 沖縄生まれ。1973年中央大学法学部卒業。74年作陶を開始。79年第2回現代沖縄陶芸展銅賞受賞。85年第7回沖縄県工芸公募展最優秀賞受賞。90年第21回現代沖縄陶芸展無鑑査認定。98年第45回日本伝統工芸展入選。2000年第20回西日本陶芸美術展大賞受賞。07年第41回沖縄タイムス芸術選賞大賞受賞など受賞歴多数。03年日本工芸会正会員に認定。
まつしま・ようこ
 那覇市生まれ。大学入学時に上京し、在学中にモデルとしての活動をスタート。ファッション誌「non-no」の専属モデルを経て、女性誌や化粧品カタログなどで活躍。8年前から伯母に豆腐ようの作り方を習い、2015年「豆腐よう松島」として独立。県内外で豆腐ようを販売している。 →『レキオ』2017年03月30日[No.1666]号「父娘日和 51」陶芸家 松島 朝義さん モデル、豆腐よう生産者 松島 よう子さん


2018年6月5日 「ギャラリー象」左が安里妙子さん