1973年4月 雑誌『青い海』22号 仲程正吉「先島の悲歌 島の女の悲しい悲しみ」

1965年10月『沖縄新潮』創刊号□発行人・仲地吉雄、編集人・仲程正吉

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1969年10月 仲程正吉『琉球芸能写真史』副島豊一

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1981年2月『青い海』「出版王国 沖縄のいまむかし」(座談会・佐久田繁、仲程正吉、桑高英彦、太田良博、津野創一)

 
仲程正吉氏

2001年7月 宮里朝光監修『沖縄門中大事典』那覇出版社(仲程正吉編集)□馬姓(氏)ーP.218~220









1929年10月ー土田杏村『草煙心境』第一書房
豚の膀胱
私の前に一つの幻想が浮かぶ。一年のどん詰りだ。内地なら寒くって仕方のない時だが、ここは琉球だから寒さで不自由をする必要はない。お正月の餅を搗く音がどの家からも聞こえて来る、-というと大変都合はよいけれども、琉球では肉を吉事に使い、餅を凶事に使うから、餅搗きの音などはどこからも聞こえはしない。
子供が数人駆けてきた。見ると銘々が同じ恰好の空気袋を持っている。提灯のようにも見えるが、その作りは断じて紙ではない。が、またゴム毬にしては、少しぢぢむさいところのその色を怪しむ。
  「俺いらの家のはこれだよ。
  「俺いらのはこれさ。
  「やい俺いらのが一番でっかいや。
なるほどその子供の持っている袋は、おそらくは乳なしで育ったこの子の不自然にでっかい頭よりも、もっと大きい恰好をしている。そこで子供は余程ご機嫌で、袋の首のところをしっかり握り、刀のような具合に身構えてほかの子供の袋とポンポン打ち合い、更に高く頭の上へそれをさし上げては、「萬歳!」と叫んだのである。ほかの子供は見るからに打ち萎れ、またその空気袋の空気もいつの間にかだいぶ漏れたと見えて、袋は皺だらけになり拳の上へ倒れかけた。
この空気袋は一体なにか。ここまでしゃべってさて話を落とすとしたら余っぽど間が抜ける。標題にちゃんと「豚の膀胱」と書いて置いた。それにしても子供が、豚の膀胱のような詰まらないものを誇り合う心理だけは、文明人の我々にちょっと解せない。が、古琉球では豚を飼養したからとてそれを皆んな食うわけではない。豚は他へ売る商品であって、自家で食う食料ではないのだ。ただ一年に僅か一度の例外、それがこの大晦日の豚屠りだ。屠られた豚の肉の大部分は鹽漬けにされ、その大事な「予算」の中から次年度の体力が小出しに生み出される。大きい豚を惜しげもなく屠る家が富んだ家なのはいうまでもない。


2018年7月『広報あぐに』№126 新城静喜「心に残るしまくとぅば/ウヮー(豚)アーグー(名称は粟国に由来する)」新城村長は末尾に「時代とともに島から豚がいなくなり、『アーグー名称発祥地』だけが残った。アーグーがいつか島で飼育されることを望みます」と記している。/2005年4月 平川宗隆『豚国・おきなわ』那覇出版社「沖縄にしかない、沖縄でしか食べられないという銘柄豚を作出しなければ、生き残りのサバイバルゲームには勝てないと思います。」

平川宗隆『豚国・おきなわ』那覇出版社/2015年3月 比嘉理麻『沖縄の人とブター産業社会における人と動物の民俗誌』京都大学学術出版会


1980年7月 沖縄の雑誌『青い海』94号 「豚の特集ー豚にまつわるユニークな民俗・文化論の数々」