1984年3月 雑誌『青い海』130号「特集・沖縄味覚徒然/」泡盛と琉球料理

1980年9月ー藤井つゆ『シマ ヌ ジュウリ』道の島社1981年
1月ー日本調理師協会『協調』「沖縄に招かれて」(写真)
12月ー日本調理師協会『協調』「沖縄県支部第4回・秋の料理大講習会」(写真)
1982年
1月ー日本調理師協会『協調』「沖縄県支部料理講習会」(写真)
2月ー日本調理師協会『協調』「琉球料理献立」(写真)
沖縄県調理師協会(安里幸一郎会長)『沖調会報』創刊号
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1983年9月 『沖縄ハーバービューホテル 10年のあゆみ』琉球総合開発
1983年 日本調理師協会誌『協調』「写真ー沖縄秋の料理大講習会」

1984年
1月ー沖縄の雑誌『青い海』120号<沖縄そばと生活文化史>
9月ー沖縄ハーバービューホテル調理部『沖縄の素材を生かす西洋料理』新星図書出版
1985年
1月ー沖縄調理師協会『沖調会報』第7号□略歴・中村喜代治、玉寄博昭、山川敏光、福永平四郎
1月ー日中調沖縄県支部『交友誌』
4月ー安里幸一郎『沖縄の海産物料理』新星図書出版
6月ー石川調理師会『石調だより』第2号
7月ー『月刊専門料理』<創刊20周年記念号>柴田書店

1985年11月『おきなわJOHO』「中ノ橋食堂」

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昭和60年度「現代の名工・調理師部門」左から村上信夫氏、土井廣次氏、安里幸一郎氏


1986年12月ー新島正子さん、新城三郎に厚生大臣表彰

1987年3月 日本調理師協会誌『協調』「写真ー昭和62年度 沖縄県調理師連合会新年の集い」/辻元亮裕「沖縄調理師会新春総会」
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1988年4月ー柴田書店書籍部『味を奏でる人たち』「安里幸一郎(魚安)ー沖縄から本土へ、そして沖縄へ」
1988年4月 喜屋武マサ『沖縄豆腐料理80選』那覇出版社
1988年4月 『聞き書 沖縄の食事』農文協
1988年9月 『塩浜康盛追想集』(ホテル球陽館館主、沖縄ペルー協会初代会長)
1989年6月27日『琉球新報』「コンベンションセンターで第27回全飲連全国沖縄県大会ー21世紀の食文化は沖縄から」
1990年5月 『東急ホテルの歩み』東急ホテルチェーン

1991年8月ー(社)日本全職業調理士協会『料理四季報』<沖縄特集・沖縄 夏の料理>表紙□安里幸一郎「調理一言ー郷土料理は、『土産土法』という料理の原点である。郷土の素材を開発し、料理人として満足のいく献立を作っていくことが、調理師の使命であろう。さらに召し上がる人のことを念頭におき思いやりという心の薬味を添えたいと思って、常に庖丁を握っている。」
1993年1月ー『FUKUOKA STYE ⅤoⅠ.6』「特集・屋台ー食文化と都市の装置」
1993年11月27日『沖縄タイムス』「土曜グラフィックス こんにちは外国のおコメ」
1994年5月18日『琉球新報』「ビジュアル版 コメ戦争ー崩壊寸前の食管制度」

1997年 『サライ』大8号「中華街ーチャイナタウン三都物語」

2000年11月 リゾート時代の波受け「那覇東急ホテル」閉館

2002年3月3日『沖縄タイムス』新城栄徳 書評/中田謹介『笹森儀助「南島探検」百年後を歩く』編集工房風

沖縄にかかわりのある東京の編集者といえば、岩波書店を辞めて『酒文化研究』を創刊した田村義也氏などが浮かぶが、本書の著者・中田謹介氏も農文協(社団法人農山漁村文化協会)に36年間勤め『日本農書全集』(第34巻は沖縄編)や、『日本の食生活全集』(第48巻は沖縄の食事は沖縄タイムス出版文化賞を受賞)などの企画・編集に携わった。そして沖縄近世文書探索の先に明治の3大探検家の一人といわれた笹森儀助に出会い、その著『南島探検』が描いた沖縄と中田氏が見た沖縄によって本書が生まれた。
本書はまず笹森のいう女の元服「入墨」(針突)にふれ「いま沖縄で入墨をした女性を見るのは困難である」とし、知人たちのそれぞれのおばあさんの思い出を記し、友人を介して手に入墨をした老人ホームのおばあさんに面談する。次に風土病(マラリア)について「八重山の歴史は、マラリアとの闘いの歴史といっても過言ではない」と戦争マラリアにもふれ、昨今の「癒しのシマ」とか言われ観光ボケした”沖縄土人”が忘れがちなことを思い出させる。
「首里城の語る百年」の項では、前出の編集にかかわった尚弘子、新島正子、仲地哲夫の諸氏に首里城復元についての感想を聞いている。そしてドイツ人の著した『大正時代の沖縄』を引用し「たまたま偶然に居合わせた一人の建築家(伊東忠太)の干渉によってー」、首里城はからくも消滅を免れたとある。が、たまたまではなく、鎌倉芳太郎が沖縄からの新聞を見て伊東に首里城正殿の取り壊しを報告。そして伊東が内務省から取り壊し中止の電報を出し、尚侯爵家で神山政良、東恩納寛惇らと協議を成し沖縄調査に赴いたものである。
本書は編集者が、どのように本を作っていたのか、どう沖縄に向かい合っていたのか分かり資料的にも価値がある。終わりに中田氏の川柳「ヘリポート生むは騒音サンゴの死/普天間の移設皇居が最適地」を紹介する。中田氏を、こころ優しき無頼派と見た。

2004年10月19日『琉球新報』「ビジュアル版 キノコの世界」

2008年10月29日『琉球新報』「ビジュアル版 世界の肥満事情」


写真左から新城栄徳、中村佳代さん、安里長清氏(元 料亭左馬料理長)、仲里正雄氏/業務用食材「和楽路屋」前◎安里長清氏(元 料亭左馬料理長)ー沖縄の高級珍味「豆腐よう」あさと屋本舗ー沖縄県宜野湾市嘉数4-26-6 ☎FAX 098-897-7717/写真左から新城栄徳、翁長良明氏、安里長清氏(元 料亭左馬料理長)、仲里正雄氏


2017年11月 鄔揚華(ウ・ヤンファ)『御冠船料理の探究 文献資料と再現作業』 出版舎Muɡen


青山恵昭 2019-5-10 〇今日の〝黒糖酒記念日〟は笠利出身の友人からいただいた「里の曙」を、スクトーフをつまみにして嗜むことにしよう!そして、父の生マリジマ・ゆんぬの「島有泉」で仕上げよう。人口11万余の島々に蔵元が18もあるってスゴイ!


1989年7月10日『沖縄タイムス』「おきなわの祭りーヤガン・ウイミ 粟国島」


1991年2月『月刊おきなわ緑と生活』




1993年3月『月刊レジャー情報OKINAWA』




1997年1月 「首里福原・福の会」宝楽


1997年6月14日『沖縄タイムス』「わしたシマ1番<24>粟国村」

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2002年6月 「新城紀成・那覇市政功労受賞祝」料亭那覇
味の店三郎(那覇市若狭1-14-10 電話098-868-8348)


2006年8月 『Jimmy's 50th Anniversary 1956~2006』



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安里信祐とアン・ルイス

□仲里正雄氏は2012年3月、宮城県の離島・奥松島にある宮戸小学校の学童に、粟国島のサトウキビ、黒糖、塩を送った。早速に鍵教頭先生からお礼状「子どもたちがサトウキビで学習している様子の写真、御礼のコメント、私たち宮戸小が現在取組んでいる、『宮戸島復興プロジェクト』の一環として描いた壁画の写真をお送りいたします。目を通していただけば幸いです。」がきた。

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2015年8月1日~10月28日 那覇市歴史博物館「戦後の沖縄観光~鎮魂からトロピカルアイランドへ~」



写真左から新城栄徳、翁長良明氏、安里長清氏(元 料亭左馬料理長)、仲里正雄氏


1966年2月ー新城カメ85祝、後列左端が新城三郎



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2016年4月2日 与儀公園

2003年9月29日『沖縄タイムス』新城栄徳「うちなー書の森 人の網ー沖縄の年表とその周辺」

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2010年1月「タイムス・ウチナー昔たび」


2015年11月22日 「離島フェア」会場で粟国島・沖縄海塩研究所の小渡幸信所長