(株)三人社 〒606-8316 京都市左京区吉田二本松町4 白亜荘 FAX075-762-0369
6月22日、福岡の松下博文氏(右/筑紫女学園大学文学部教授)が京都・三人社の越水治氏(左)、山本捷馬氏(中)と来宅された。




京都絵葉書ー戦前

 私は1969年2月、京都駅近鉄名店街の京風料理の店で働いていた。河原町の京都書院①、駸々堂②はよく行った。1972年、京都書院に『琉球の文化』を置いてもらうとき染織と生活社(田中直一代表取締役)を訪ね編集長の富山弘基氏に相談した。京都書院は美術関連の出版社で鎌倉芳太郎の『古琉球紅型』も発行。京都書院河原町店は現代美術の本も豊富で私の好きな場所でもあった。富山編集長の御宅で布コレクションを見せてもらったり、富山編集長依頼の贈物を読谷花織の名工に持って行ったこともある。

①京都書院(きょうとしょいん)は、かつて美術書を多く出版した京都市の出版社であった。 創業1924年9月、設立1949年。洗練されたカラー印刷を生かした美術書が読者のニーズをつかみ一世を風靡したが、1999年6月に倒産した。負債額22億円。月刊誌「美と工芸」やユニークな豪華本、文庫サイズのアーツコレクションは好評だった。→ウィキ
②大淵渉(1855年‐1907年)によって1881年(明治14年)に京都において書肆駸々堂が創業され、出版も開始する。1883年(明治16年)には大阪の心斎橋に進出、関西出版社としての地歩を固めた。嵩山堂とは出版数を争うよきライバルであり、駸々堂が出版した書籍で木版口絵がついた作品の数も、口絵を描いた画家の数も多様であった。また、旅行案内や時刻表などの方面にも力を注いでいる。→ウィキ
 
淡交社ー茶道裏千家十四世淡々斎家元の次男、納屋嘉治が同志社大学卒業の翌年、裏千家の機関誌「淡交」を刊行する出版社として設立した。現在は長男、納屋嘉人が経営にあたっている。社名は荘子の「君子之交淡若水」(学徳のある立派な人同士の交わりは、水のように淡々とした、清い関係である。私心のない交わりは壊れることがない)に由来している。 法然院での修行歴のある僧侶で、弘文堂などに勤務していた編集者でもあった臼井史朗(のちに副社長)を引き入れてから、茶道を軸とした伝統文化など様々な分野の書籍、雑誌を刊行。とりわけ京都の観光と文化に関するものが多い。茶道の家元、裏千家と繋がりが深い出版社であり、創立以来裏千家の機関誌である『淡交』を刊行しており、主要株主かつ役員とし千玄室が加わっている。この他、『なごみ』『淡交テキスト』の両誌を刊行している。茶道書以外の分野では、美術工芸、歴史文化、旅ガイド、料理、趣味生活や『京都大事典』、『京都検定公式テキストブック』を始めとする京都関連書籍などの書籍を発行している。日本語以外の言語による書籍も扱っている。 出版以外にも、茶室等の建築、茶道具などの販売も手がけている。京都本社の一階は書籍を販売しているフロアと茶道具関係を販売しているフロアがある。→ウィキ

白川書院『京都』/淡交社『なごみ』 

京都を楽しむ大人マガジン『月刊京都』。京都の出版社・白川書院から1950年に創刊され、京都ファンに広く親しまれている月刊誌です。古くて新しい京都の魅力は何か。マチ、モノ、コトを深く掘り下げて丁寧に取材、魅力の本質を伝えます。→白川書院ブログ
『なごみ 茶のあるくらし』淡交社〇1980年グラフィック茶道誌『なごみ(和)』創刊。なごみとは、心を和して「あい和む」の意。今日ほど、この和の心が渇望されている時代はありません。日々のくらしのなかで、和を尊ぶ心を形にしてきた総合文化茶の湯に範をとり、現代の「茶のあるくらし」すなわち「和のあるくらし」を小誌はヴィジュアルに提案します。→淡交社ブログ


 『和の史 思文閣古書資料目録』ー思文閣出版(しぶんかくしゅっぱん)は、京都府京都市東山区古門前通大和大路東入元町355にある出版社。美術商思文閣の出版部で、人文系・美術系の書籍を刊行している。絶版となった古書や花道、歴史、国文、芸術などのオリジナル企画書を刊行している。ベストセラーにならなくても、命の長い本を出版していく方針を取っている。京都市東山区古門前通大和大路東入元町386にぎゃらりぃ思文閣を運営する。 →ウィキ



染織と生活社『染織と生活社』
 『染織と生活』第1巻第4号<特集・琉球の伝統織物>染織と生活社1974年2月(編集発行人・富山弘基)
     

『染織と生活』第9号<特集・琉球紅型>染織と生活社1975年6月(編集発行人・富山弘基)
     


染織と生活社『染織と生活社』
 富山弘基(とみやま・ひろき)氏
■略歴
昭和 9年 京都市生まれ(1934年)
昭和28年 京都府立嵯峨野高等学校卒業
昭和28年~38年 テキスタイル・ウイクリー社・大阪文化協会ほか勤務
昭和39年~47年 染織図書出版・はくおう社代表
昭和48年 (株)染織と生活社代表取締役 同50年~取締役
昭和48年~55年 『季刊染織と生活』編集長
昭和56~平成11年10月 『月刊染織アルファー』編集長
平成11年11月~14年 9月 同取締役編集主幹
平成14年10月~ 同編集委員~同編集顧問
平成12年 9月~16年 成安造形短期大学非常勤講師
平成16年10月~平成19年 5月 大阪成蹊大学芸術学部非常勤講師
 ■現在就役
財団法人・手織技術振興財団顧問
全国裂織協会顧問
つむぎ道場顧問 日本紬織物文化協会専務理事 日本染織文化協会副会長
財団法人・京染会相談役 羽越しな布振興会顧問 貝紫染研究会顧問
伝統的工芸品産地プロデューサー(財)伝産協会登録 日本きもの学会常任理事
京都伝統染織学芸舎主宰(平成19年10月9日設立) 各種公募展の審査委員・フォーラム・サミットのコーディネイター

平成 4年 『京の友禅史』編纂委員会編集委員
平成13年 『20世紀西陣織物総覧』編纂委員会委員
平成18年~『きもの文化検定』教本監修委員会委員
■出版物
昭和40年 『日本民芸織物全集』全5巻・田中吉之介監修・執筆 富山弘基 はくおう社刊
昭和42年 『日本の伝統織物』富山弘基・大野力 徳間書店刊
昭和46年 『沖縄の伝統染織』富山弘基・大野力 徳間書店刊
昭和50年 『日本伝統織物集成』後藤捷一監修・辻合喜代太郎編・
                執筆 富山弘基・朝日奈勝・大野力 染織と生活社刊
昭和60年 『染織文化シリーズ(1~5)』企画立案・富山弘基 朝日新聞社
平成21年 『琉球の型紙』 解題「古琉球<型紙>物語」 青幻舎刊
その他『太陽』、読売新聞ムック、辞典などに執筆及び対談 (市原亀之助商店が発行する月間広報誌『かめさん便り』)

『染織と生活』第1巻第4号<特集・琉球の伝統織物>染織と生活社1974年2月(編集発行人・富山弘基)
     

『染織と生活』第9号<特集・琉球紅型>染織と生活社1975年6月(編集発行人・富山弘基)
     


1986年1月 京都古書研究会『亰古本や往来』第31号「聞きがき『昭和古本販売史』⑤ー文庫本の隆盛ー」

→「京都古書研究会ブログ・京都古書研究会には、「京古本や往来」という機関誌がありました。
100号持ちまして、休刊となっております。現在は2008年より、新機関紙「出帆」がでております。」

京都の「古書展」

 『文藝春秋』1988年6月 多田道太郎「猛獣使い・桑原武夫の死 『蒼白きインテリ』が大嫌いだった先生」

 桑原武夫文庫/郷里敦賀市の敦賀市立図書館の館内には、桑原の胸像が建てられている。京都市右京中央図書館には「桑原武夫コーナー」が設けられ、生前に使用していた机や椅子、直筆のノートが展示されている。旧蔵書のうち、特に学術的価値の高いものは生前に京都大学に寄贈され、人文科学研究所図書室に「桑原武夫文庫」(1047冊)が設けられている。没後、京都市国際交流会館開設(1989年)に合わせ、1988年に蔵書約1万冊(古典名著の全集類、フランス語の哲学書籍などを含む)が京都市に寄贈された。国際交流会館には生前の書斎を再現した記念室が設けられ、旧蔵書は一般公開されていた。2008年、右京中央図書館の開設に伴い、桑原の記念室は同館に移されることとなったが、旧蔵書は京都市図書館全体の蔵書との重複が多いとして正式な登録がなされず、また保管スペースがないとして別の図書館の倉庫に移された上、2015年に廃棄処分された(遺族にも相談はなかった)。2017年にこのことが判明、廃棄を承認した担当部長の処分とともに公表された。→ウィキ
 桑原武夫1904-1988 昭和時代のフランス文学者,評論家。明治37年5月10日生まれ。桑原隲蔵(じつぞう)の次男。アランやスタンダールの研究・翻訳,俳句第二芸術論で知られる。昭和23年京大人文科学研究所教授。のち所長として「ルソー研究」「フランス革命の研究」などの共同研究を推進。33年チョゴリザ遠征隊長をつとめるなど,多方面で活躍。54年文化功労者。62年文化勲章。昭和63年4月10日死去。83歳。福井県出身。京都帝大卒。著作に「文学入門」「人間素描」など。【格言など】私は「これ一筋」というのが嫌い →コトバンク
 「くろねこの短語」2017年4月28日ー北朝鮮危機ほったらかしでGWは外遊三昧の政治屋集団&共謀罪でジャーナリスト・メディア関係者が記者会見。後は行動あるのみ。街に出ろ、ジャーナリスト諸君!仏文学者の桑原武夫の遺族が京都市に寄贈した蔵書1万冊が、なんとまあ廃棄されていたってね。廃棄に至った過程で、誰も止めなかったってのは、いかにこの国が文化財に対して無頓着かってことだ。おそらく、蔵書の中には書き込みなんかもあっただろうし、それこそ文化遺産として貴重なもんだったろうになあ。古書にちょいと携わる身としては、やんぬるかなな悲報ではある。






□「京都」資料