2017年 渡口萬年筆店


2千円札発行記念撮影(首里城公園)後列左から3人目が渡口彦邦さん、湖城英知氏、稲嶺恵一氏。/2019年11月5日ー渡口万年筆店に遊びに行くと、山内弥生さんが居られた。山内さんは恩納村出身(豊見城毛氏系)、中国遼寧省大連市・大連アテンドエンプロイメントエージェンシーのゼネラルマネジャー。日本本社を渡口万年ビルに置いている。

null


1938年3月30日『沖縄日報』「渡口萬年筆店」


2007年8月 すなみまさみち/古山浩一『万年筆クロニクル』枻出版社
〇あとがきー近年多数のコレクター本が刊行されているが又聞き、孫引きが当たり前のネット社会にあって、できるだけ原典にあたりなおすことが大切である、という先達のご託宣を肝に銘じて、日夜、確たるエビデンスを求めつづけてきた。しかしこれがまた苦難の道をたどることになるとは。初期のパテントにはあまり興味を持たれないかもしれないが、私にとってこれは情報の宝庫だ。新聞、雑誌の広告やメーカーのカタログは次に重要な手がかりである。

2015年7月 『趣味の文房具』枻(えい)出版社 古山浩一=絵と文「沖縄 渡口萬年筆店 渡口彦邦さん」

1886年11月21日『大阪朝日』に、万年筆の広告「万年筆 おろし 小うり」「時計師 山内住智」

1895年(明治28年) WATERMAN(ウォーターマン) 丸善が、わが国で初めてウォーターマン社の万年筆を輸入販売。→万年筆の歴史

1915(大正4)年、『東京朝日』「学生向のXマスのおくり物」という記事では、文房具については、万年筆が挙げられています。当時の紙面は総ルビだったので、ちゃんと「まんねんひつ」と読みがついています。
 1910(明治43)年『東京朝日』では、万年筆に「まんねんふで」という読みがながついた(11月6日付)。さらには、1908年には、「丸善新着のクラフト万年筆(まんねんふで)」という記事(11月15日付)や、「万年筆(まんねんふで)」というタイトルのコラムまであるではありませんか(いずれも東京朝日)。明治のころは「まんねんふで」という読み方が主流であったと推測させます。やはり当時は「ふで」(毛筆)という音のほうが、人々の耳にはなじみがあったということなのでしょうか→朝日新聞「ことばマガジン」

1908年(明治41年)、伊藤農夫雄が「スワン」万年筆を発売。

1912年(明治45年) 夏目漱石・北原白秋・幸田露伴・河合玉堂らが万年筆について語るエッセイと図解がのった「万年筆の印象と図解カタログ」が丸善から発行される。→万年筆の歴史

1914年(大正3年)、細沼浅四郎が「サンエス」万年筆を製造販売(サンエスとはSun Sea Starの意味)。
1919年(大正8年)、中山太一が日本文具製造株式会社(プラトン文具株式会社)を設立、「プラトン万年筆」を売り出す。


1920年9月 『沖縄朝日新聞』「山城萬年筆店」/1923年6月『沖縄朝日新聞』「安江商會」
 
1922年3月 『沖縄タイムス』「津堅商店(那覇市下泉町1丁目松田橋通り)筆墨文具品各種、萬年筆各種」
1922年4月 『沖縄タイムス』「勉強堂本店(那覇市大門前)十四金ペン付 萬年筆各種 各種萬年筆特約店 其の他附属品一切」

1922年10月『沖縄タイムス』「青山書店」
1924年11月『沖縄タイムス』「前中商店(那覇市石門通り)各種萬年筆修理 萬年筆 学生向き 十四金付 エボナイト軸」