「脱清人」の子供たち

昨年、母校の粟国小中学校に中国産の石像「金次郎像」が寄贈されたという。戦前あった金次郎像は1937年に設置されたものだ。私は金次郎といえば本屋「安木屋」の軒先にあった像を思い浮かべる。沖縄尚学高校ロビーの金次郎像は35年に明視堂の山下悳三が那覇市内の8小学校に寄贈したものの一つであろう。山下は17年にも真教寺幼稚園児に飛行機などの玩具80個を贈っている。なお悳三の子息・山下育三氏は那覇市で老舗「鶴丸弁当」を経営している。

金次郎こと二宮尊徳はペリー来琉の3年後に70歳で亡くなった。尊徳の高弟・富田高慶が尊徳伝をまとめ『報徳記』とし天皇に献上され宮内省から刊行された。尊徳のもう一人の高弟に岡田良一郎がいる。その息子・岡田良平が文部大臣になり学校教科書に尊徳教材が増えることになる。明治神宮宝物館の尊徳像の作者は岡崎雪声という。1910年10月の『萬朝報』に二宮尊徳幼児の像とし「岡崎雪声氏は我邦10大徳教家の尊徳銅像を5百体に限り35圓で銀座生秀館より配布」とある。

岡田良平の実弟・一木喜徳郎は1894年に旧慣調査と人心動向の調査で来沖。その「取調書」に「藩政復旧ノ論徒タリ而シテ彼等黒党頑固党開化党ノ3派ニ分レ」と記して脱清者の一人として浦添朝忠を挙げる。新聞に「浦添朝憙直筆の扁額が見つかる」の記事があった。沖縄県立博物館の入口にある浦添朝憙書の扁額「徳馨」は平山敏治郎大阪市立博物館長が仲介役となって大阪天満宮から寄贈されたものだ。

浦添朝憙40歳のときの子が前記の浦添朝忠だ。朝忠は清国から帰ると奈良原知事を自宅に招き沖縄料理で懐柔。1910年の沖縄県立沖縄図書館の開館に際し蔵書『資治通鑑』『源氏物語』ほか七百冊を寄贈。首里の「孔子廟」存続にもつくした。義村朝義も清国福州で病没した父・朝明の蔵書八百冊を寄贈している。同じく中国で客死した幸地朝常の息子・朝瑞も中国から帰沖し「尚財閥」の商社「丸一」の支配人として沖縄実業界で活躍した。

沖縄県立沖縄図書館の1913年のころの二宮尊徳関連蔵書を見ると、修身及教訓のところに留岡幸助『二宮翁と諸家』、富田高慶『報徳記』、吉田宇之助『報徳記続編・済民記』、斎藤高行『二宮先生語録』などが見える。ちなみに図書館の蔵書印は「沖縄県立沖縄図書館」から「沖縄県立沖縄図書館之印」と変わり、昭和になって少し大きくなる。前出浦添朝忠の蔵書印は「浦添御殿」「壮猶堂」、義村は「義村御殿」「雲淵堂」などが捺している。