輸送力が限界に達していた東海道本線の混雑を解消するため、根本的対策としての別線増設という形で1959年(昭和34年)4月20日に十河信二国鉄総裁と技師長の島秀雄の下、高速化が図れる標準軌新線(在来線は狭軌)として着工され、東京オリンピック開会直前の1964年(昭和39年)10月1日に開業した(開業時の総裁は石田禮助)。建設開始時は「新幹線」という呼び名はなく、第二の東海道線ということで「東海道新線」と呼んでいた。新幹線の名前は、戦前に東京駅 - 下関駅間で計画された「弾丸列車計画」の内部関係者による呼称にちなむといわれている。〔ウィキペディア〕




□→2008年3月 角一典『整備新幹線問題年表 1907-2007』法政大学社会学部科研費プロジェクト「公共圏と規範理論」