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4月14日、那覇市歴史博物館に遊びに行き「2012年度・展覧会のご案内」を貰った。5月のところには「あれから40年~OKINAWAから沖縄へ~」がある。問題は次の「特別企画 沖縄戦と『慰安婦』展」である。あたかも沖縄県のカジノチジ周辺が「沖縄戦隠蔽」にピリピリ神経を尖らしているところに油をそそぐようなもので歴史博物館としては英断だと思ったが学芸員に聞くと、県の沖縄戦隠蔽問題が出る大分前、那覇市総務部平和交流・男女参画課と沖縄戦と日本軍「慰安婦」展実行委員会(高里鈴代代表)から博物館に展示場を申し込んだという。早速に沖縄戦隠蔽の県のほうから「どんな展示内容か」と問い合わせがあったが、学芸員は歴史的に意義があることなので貸したという。とにかく女性たちが動いていることが分かった。沖縄県は県内外から批判されると「慰安婦」「日本軍の住民虐殺」を削り専門家から批判された。下記のように県と同様ニコンサロンでも写真展がカルト右派により中止に追い込まれている。


「写真展ができなかった場合、東京でストリート写真展でも開きます」 日本、名古屋で制作活動をしている写真作家アン・セホン(41)氏は怒りが収まらないようだった。 彼は来月26日から7月9日まで東京、新宿の展示場「ニコンサロン」で写真展を開く予定だった。 展示される作品はアン氏が2001年から2005年まで7回にかけて中国を訪問し、撮影した朝鮮族元従軍慰安婦のおばあさんたちの写真38点だった。昨年12月、審査委員5人で構成された主催側選定委員会の審査で作品性を認められ展示が決定した。

だが、カメラメーカーであるニコンが運営する「ニコンサロン」側関係者は22日、アン氏に電話をかけてきて「展示が中止になった、理由は明かせない」と一方的に通知した。ニコン側は「名古屋に行って謝罪したい」と話しているが、アン氏は「単に謝罪のためになら来る必要はない。写真展を予定通り開催してほしい」と要求した。 ニコン側の突然の写真展中止は日本の右翼勢力による圧迫に屈服した結果だと思われる。アン氏の展示会が差し迫るとインターネット掲示板などには「歴史ねつ造に加担する売国行為だ」「外国の一方的な主張を代弁していいのか」などの非難コメントが相次いだ。 写真展中止に対してニコン側は「写真展開催と関連して(右翼勢力などから)抗議があったことは事実だが、中止は諸般事項を総合的に考慮して判断したこと」とだけ明らかにした。(中央日報)


□「ニコンサロン」は、ニコン創立50周年を記念して1968年1月に銀座三丁目に開設された、写真文化の普及・向上を目的とする写真展示場です。開設記念となる第1回写真展「木村伊兵衛の眼」を開催以来、写真の展示や講演会の開催など、多くの写真家・写真愛好家の方々に写真活動の場を提供してきました。その後1971年6月に「新宿ニコンサロン」、1974年3月には「大阪ニコンサロン」を開設、より幅広い写真活動の場として活用されています。プロ・アマの壁を取り払い、企業戦略に影響されず、あらゆる分野の優れた作品の展示場として写真展本来の姿を追求する「ニコンサロン」。(ニコンも企業だからカルト右派には弱い)


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「従軍慰安婦」資料
1978年1月 石原昌家『虐殺の島ー皇軍と臣民の末路』晩聲社
1982年9月  大島幸夫『沖縄の日本軍』新泉社
1984年12月 沖縄エッセイストクラブ『群星』山川泰邦「従軍慰安婦狩り出しの裏話」
1986年6月 福地曠昭『哀号・朝鮮人の沖縄戦』月刊沖縄社

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大島幸夫の本

1994年12月 高崎隆治『100冊が語る「慰安所」・男のホンネ』梨の木舎
□この本は、本来この国の政府が調査研究すべきことを、私が代って行なった結果である。ここに集めた戦争体験者たちの記述はいかにも重い。解説や註を書きながら、同じ戦争体験者の一人として次第に気が滅入ってくるのを、私はどうにも払いのけようがなかった。おそらく著者たちは、書きにくいことを書く時の通例として、途中何度もペンを置き考え込んだであろう。私は著者たちの戦場の真実を伝えようとする態度とその勇気に心から敬意を表したいと思う。

1987年7月  海野福寿・権内卓『恨ー朝鮮人軍夫の沖縄戦』河出書房