司馬遼太郎 しば-りょうたろう
1923-1996 昭和後期-平成時代の小説家。
大正12年8月7日生まれ。産業経済新聞社勤務中の昭和35年「梟(ふくろう)の城」で直木賞。36年作家生活にはいり,変革期の人物を題材に,「竜馬がゆく」「坂の上の雲」「翔(と)ぶが如く」などの歴史小説を多数発表した。紀行「街道をゆく」のほか,司馬史観とよばれる日本論,日本人論もおおい。平成5年文化勲章。芸術院会員。平成8年2月12日死去。72歳。大阪出身。大阪外国語学校(現大阪外大)卒。本名は福田定一。 【格言など】智はときに深く秘せられねばならない(「新史太閤記」)→コトバンク

〇1972年2月、『青い海』「優れた沖縄を語りたいのですー若者がつどう沖縄関係資料室」/2月5日『サンデー沖縄』「カメラルポー賑わう沖縄関係資料室」/5月9日『読売新聞』「町の学会ー沖縄関係資料室」/5月11日『神戸新聞』「訴える沖縄の心ー西平守晴さん」/5月14日『朝日放送』新城栄徳「沖縄差別?無知による偏見ですね」/9月、『琉球の文化』第1号□「琉球文化社関西支局(沖縄関係資料室内)・新城栄徳」/12月、『青い海』第19号□西平守晴「混迷する県人会」□新城栄徳、新里金福と関広延対談をセットする


1974年4月、司馬遼太郎が沖縄関係資料室に来室、西平守晴と対談司馬遼太郎『街道をゆく6』朝日新聞社
○大阪の都島本通で、篤志でもって「沖縄関係資料室」をひらいていおられる西平守晴氏にもきいてたしかめることができた。西平氏は、「そうです、そんな話があります」といって、南波照間の「南」を、パイと発音した。ついでながら本土語の南風(はえ)は沖縄でも「南」の意味につかう。本土語の古い発音では、こんにちのH音が古くはF音になり、さらに古くはP音になる。つまり花はパナである。八重山諸島の言葉はP音の古発音を残していて、南(ハエ)が南(パイ)になるらしい。西平氏はこのまぼろしの島を、「パイ・ハテルマ」と、いかにもその島にふさわしい発音で言った。


5月、『琉球の文化』第5号□琉球文化社関西連絡所(青い海出版社内・新城栄徳)




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1999年5月11日沖縄ハーバービューホテルで/左、神坂次郎氏(作家・熊野の生き字引で司馬遼太郎の文学仲間)、新城栄徳。麦門冬・末吉安恭の取材を終えての祝盃。撮影・末吉安允

〇『週刊 司馬遼太郎 街道をゆく』 発行人 : 郡司武 / 編集人 : 山口万里子 / 発行所 : 朝日新聞社 / 印刷所 : 凸版印刷定価 : 560円 ( 本体 533円 ) NO.31 ~ NO.50
NO.42 2005年11月13日号 熊野・古座街道 境・紀州街道 [和歌山県 大阪府] 熊野という隠国(こもりく)へ
【 表紙 】 小雲取越の 百間座から見た 熊野の山々 ( 戸澤裕司 ) 

NO.47 2005年12月18日号  肥前の諸街道 [ 福岡県 佐賀県 長崎県 ]  南蛮人が開いた貿易港
【 表紙 】 平戸の寺院と教会の見える風景 ( 戸澤裕司 )

NO.60 2006年3月26日号  ニューヨーク散歩 [ アメリカ ]  移民たちの戦い
欧米編 10   【 表紙 】 ブルックリン橋 ( 戸澤裕司 )


新城栄仁「佐野眞一『津波と原発』(講談社2011年6月)を読む」
本書で、佐野氏は□今回、三陸地方を襲った大津波とよく比較されるのは、明治29(1896)年の明治三陸大津波である。2万人を超す死者を出したこn大津波は、日清戦争の戦勝気分のなかで起きたため、人びとの記憶の中にはあまり刻まれなかった。それから8年後に勃発した日露戦争とその勝利気分で、忘れ去られていったのである。ここで私が思い出すのは、その日露戦争をテーマにして司馬遼太郎が書いた『坂の上の雲』のことである。日本人の近代国家への憧れを”坂の上の雲”にたとえたこの小説は、昭和43(1968)年から昭和47(1972)年にかけ、『産経新聞』に連載され、読者の圧倒的な支持を集めた。時あたかも高度経済成長の真っただ中だった。昭和45(1970)年には、東京オリンピックに次ぐナショナルプロジェクトの大阪万博が開かれた。この時代は、日本が本格的に原発を導入した時期にも重なる。

福島第一原発の歴史だけみても、1968年=二号炉設置許可、1970年=三号炉設置許可、1971年=一号炉営業運転開始、五号炉設置許可、1972年=四号炉設置許可と、矢つぎ早に原子炉が増設されている。『坂の上の雲』は、こうした時代に戦後高度経済成長を支えたサラリーマンを中心として熱心に読まれてきたのである。彼らは前述した正力松太郎の”巨大な掌”の中にいることにも気づかず、”坂の上の雲”を目指す明治の若者たちに自らを重ね合わせて、将来の日本に陰りが来ることなど露疑わず、高度成長に邁進し、その時代を率先して担っていったのである。今回の三陸大津波と福島の原発事故は、日本の近代化がたどった歴史と、戦後経済成長の足跡を、二つ重ねてあぶりだした。いま私たちに問われているのは、これまで日本人がたどってきた道とはまったく別の歴史を、私たち自身の手でつくれるかどうかである。そして、それしか日本復活につながる道はない。」と強調している。
「佐野眞一」検索で出てくる新しい画像は戸澤裕司氏が撮った写真である。


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左ー2013-4-8『AERA』六車由美①(写真・戸澤裕司)/右ー2012-4-3『東京新聞』(島袋和幸氏提供)
①六車 由実(むぐるま ゆみ、1970年 - )は、日本の民俗学者、介護職員、社会福祉士。学位は修士(静岡県立大学、1996年)、博士(文学)(大阪大学、2002年)。東北芸術工科大学芸術学部准教授を経て、有限会社ユニット・デイサービス「すまいるほーむ」管理者兼生活相談員。