1949年9月5日『沖縄新民報』第106号「姫百合隊の波紋ひろがるー元沖縄師範女子部兼沖縄第一高等女学校長・西岡一義(50)は教え子を特志看護婦に仕立てて軍の鼻息をうかがい(略)自らは安全な地帯に居て生徒職員は最前線に送り全滅させ、捕虜にまじって日本に落ちのびたー」

「卑劣な師範女子部長」 『月刊・潮』1971.11月号「生き残った沖縄県民100人の証言」より □仲里まさえ (当時沖縄師範女子部「ひめゆり部隊」・20 歳、現在主婦)    
 私たち沖縄師範女子部の生徒は、南風原の陸軍野戦病院へ看護婦として従軍するその晩、師範女子部長兼県立一高女の校長である静岡県出身の西岡一義部長の官舎の庭に集まったのをおぼえている。最後に部長は「私はこれから第三十二軍の命によって、軍司令部の参謀室に行くことになった。君たちは、先生方といっしょになって極力軍に協力してもらいたい。自分もいっしょに行きたいが、軍命では仕方がない。日本の国のために、とにかくがんばってもらいたい」という意味のことをいって、私たちひとりひとりと激励のつもりか握手を交わした。一同は感きわまった表情で、訓辞を聞いていたが、その後、事実関係が明らかになると、西岡部長はもっとも安全な首里の軍司令部に避難するために参謀室付けになるウラエ作を必死になってやっていたのである。しかも彼は、当時彼の住宅当番であった師範付属の訓導で、八重山生まれの独身の某女をともなって避難していたということも、その後明らかにされた。 …女生徒たちは、いっさいを知らずに、戦場へ臨む自らの運命にただ涙するばかりであった。








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1972年3月 沖縄の雑誌『青い海』崎原恒新「ひめゆり神話を見つめ直そう」


2013年6月8日 沖縄県立博物館・美術館 博物館講座「崎原恒新ー沖縄の冠婚葬祭」



1996年1月ー崎原恒新『沖縄関連史跡・文献・団体等所在地目録 ー本州編ー』
もくじ
青森県と沖縄(笹森儀助、加藤三吾)ー1 秋田県と沖縄(生駒弘)ー2 愛知県と沖縄(志賀重昴、徳川美術館、伊藤篤太郎)ー4 岩手県と沖縄ー10 茨城県と沖縄ー11 石川県と沖縄ー12 岡山県と沖縄ー12 大阪と沖縄ー13 神奈川県と沖縄(箱根関所博物館、汐入り寮、妙本寺ー加藤三吾の墓、石敢當、春秋苑ー柳田國男の墓、川崎沖縄芸能研究会)ー23 関西と沖縄ー29 関東と沖縄ー33 岐阜県と沖縄ー35 京都府と沖縄ー37 近畿と沖縄ー41 群馬県と沖縄ー42 埼玉県と沖縄ー42 静岡県と沖縄ー44 島根県と沖縄ー46 滋賀県と沖縄ー47 千葉県と沖縄ー48 富山県と沖縄ー51 栃木県と沖縄ー52 鳥取県と沖縄ー53 東海地区と沖縄ー55 

東京と沖縄(東京八重山郷友会、東京竹富郷友会、東京八重山文化研究会、東京与那国郷友会、東京波照間郷友会、宮古郷友会、東京多良間郷友会、沖縄人連盟、東京沖縄県人会、板橋沖縄県人会、東京沖縄県人会狛江支部、養秀同窓会東京支部、沖英寮、沖映寮、南灯寮、和敬寮、若夏荘、東京ひめゆり同窓会、沖縄県学生会、沖縄県学徒援護会、南方同胞援護会、沖縄協会、東京・沖縄文化協会、沖縄財団、沖縄県ふるさとの家、東京泡盛同好会、琉球映画協会、奄美青年同盟、法政大学沖縄文化研究所、早稲田大学八重山文化研究所、東京大学史料編纂所、東京大学考古学研究室ー城岳出土の明刀銭、明正塾、東京商船大学ー中城王子を乗せた明治丸、多摩霊園ー宮城与徳の碑、徳田球一の墓、深光寺ー滝沢馬琴の墓、誓教寺ー葛飾北斎の墓、誓閑寺ー金城朝永の墓、青山墓地ー古堅宗憲の墓、上野東照宮ー江戸上り、青松寺ー伊波普猷の葬儀、源覚寺ー南洋群島協会、大円寺ー江戸上り、青山墓地ー吉田茂、大久保利通らの墓、国立国会図書館、防衛庁防衛研修所戦史室、国立公文書館、宮内庁書陵部、サントリー美術館、外務省外交資料館、東京国立博物館、沖縄資料センター、温故学会、沖縄密約事件、東京タワー事件、柳宗悦、グラント将軍植樹碑、日比谷公園の琉球松、国会敷地のソテツ、沖縄県東京事務所、琉球屋敷ー尚家、沖縄開発庁、靖国神社、三浦安針屋敷跡碑)ー55 

奈良県と沖縄ー107 長野県と沖縄ー108 新潟県と沖縄ー110 兵庫県と沖縄ー111 広島県と沖縄ー117 福島県と沖縄(八幡検校、太田博歌碑、袋中上人)ー120 福井県と沖縄(宗味普基、山崎二休)ー122 三重県と沖縄ー126 山形県と沖縄(上杉茂憲)ー127 山口県と沖縄(永積安明、佐藤栄作、上野英信、蔵重久、山口県文書館ー謝花昇の履歴書、福原実、横山健堂)ー129 和歌山県と沖縄(黒岩恒の墓、熊楠書庫、補陀洛山寺、天久宮、天久聖現寺、末吉宮、識名宮、普天間宮、波上宮、沖宮、金武観音寺、石垣市の権現堂)ー132

1993年3月ー崎原恒新『沖縄関連史跡・文献・団体等所在地目録ー九州・四国・北海道ー』