1920年12月、新旧あらゆる傾向の社会主義者30人が発起人となって神田の青年会館で「日本社会主義同盟」の創立大会が開かれた。沖縄でもこれに即応、翌年の21年1月に沖縄支部準備委員として宮城不泣、泉正重、東恩納寛敷、浦崎康華が推された。1月3日、泉宅で伊是名朝義、玻名城長好(後の山里)、辺野喜英長、渡久地政憑、長嶺紀成、上与那原朝敏、浦崎康華、宮城不泣、城間康昌、東恩納寛敷、泉正重が集まる。糸満グループの城田徳隆・徳明兄弟、座安盛徳、比嘉栄は連絡不十分で欠席、山田有幹は5月の市制準備で忙しく、比嘉春潮は出張で、比嘉良児は参加できなかった。若い福村安謙、国吉真哲、神山宗勲、山田義文、屋良猛、名護良英らはシンパサイザーとして組織外に置いた

1924年、日本帝国では初めての単行本、アプトン・シンクレア『事実物語ー赤黒白』が神山宗勲の抄訳で刊行。神山は1898年、那覇上之蔵生まれ。1914年8月、『文章世界』に詩「夏の月」を発表。1915年上京し美術学校に学ぶ。1919年帰郷し新聞社につとめる。1921年、沖縄最初の社会主義団体「庶民会」にオブザーバとして参加。1922年に再上京。→琉文21「神山宗勲」

アプトン・シンクレア著の日本語版

東京/1924年8月ー神山宗勲 訳アプトン・シンクレア『赤・黒・白』聚芳閣
 本書に「この地球上に一度戦といふものが勃発するや、新聞記者といふ、新聞業者の手下どもは、輿論の大渦巻のうへに、その目をさらすのである。そしてその昔いくら慎重な態度をもつて、公平無私にその実状をみてきたといふ、アメリカの新聞でも、戦争の大波にのみこまれると、もう以前のやうな真実な態度を、こつそりとすててしまふのである。例えば『ニウヨオク・タイムス』のやうにだ」とある。かなり手厳しい表現である。
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神山宗勲作品ー1927年12月『解放』「闘争」/1928年1月『解放』「先ず把握せよ!」

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写真上ー1923年9月 中央・神山宗勲、右・静江、後列左・弟・宗顕、写真下ー1966年。1928年



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神山宗勲発行の雑誌、その筆跡

神山宗勲(1898年~1966年11月)資料目録
1914年1月ー『文章世界』神山宗勲「夏の月(琉球にて)」
1925年8月21日『読売新聞』神山宗勲「シンクレアの翻訳権ーそれは臥床中の妻の恐ろしい病名が、決定的に診断された悲痛な日でありー」
1926年7月ー『文芸戦線』神山宗勲「労働文芸思潮としてのシンクレアリズム」
1927年2月ー『工芸時代』神山宗勲「琉球の造形美術」
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1929年 神山宗勲『悪魔』
1929年4月 『郷土雑誌 沖縄』編集発行・座安盛徳/沖縄社鹿児島市上荒田1770のノ2
1930年4月ー神山宗勲訳シンクレア『赤・黒・白』近代文芸社
1989年4月ー『沖縄タイムス』長元朝浩 「神山宗勲の小説『闘へる沖縄人』見つかるー新城栄徳さん」
1990年10月ー『琉球新報』松島弘明「文化ノート・神山宗勲の新たな人物像判明ー新城栄徳さん」
1991年1月ー新沖縄文学別冊『沖縄近代文芸作品集』「神山宗勲」