山城 正忠「蠧房雑記ー別名・十様錦舎漫録〕
○崖言
(1)年来、筐底に埋もれている覚書の中から、手當り次第に、抜き出したのがこれ、因より反古の価値しかない、ひとり決めの記録であり、断簡であり、素材である。
(2)最初から、閑戯として、独楽しみ、一切他見無用とした信条を、茲に、敢て犯す気になっただけでも、厚顔無恥、自らかへりみて忸怩たるものがある。したがって、今更ら無学の嘆を新にするのみ。
(3)折々の、断々の、書溜めの、抜粋であるから、琉球語の仮名づかひが、おびただしい統一を缺いているのも、亦巳むを得ない。勿論、それの正確を期す事は到底、私には出来ない相談である。
(4)伊波大人の華甲を祝し、功績を讃へつつ、藁を急いだこの雑文が、却て大人に対する禮を失するやも計り難いが、とにかく、私特有の稚気を愛していただければ、幸はせである。


蛙ー『犯罪科学』第一巻第四号。佐々木喜善氏の『善良悪徒譚』(2)『蛙壺』の中に、かういふのがあった。
     苦心して溜めたお金の壺にいひきかせる老夫婦の繰言『金々。俺等は斯うもお前を、ここにかくしておくが、若し盗人が来て、此壺を開けて見たら『ビツキ     (蛙)と姿を見せう』云々。
このビツキも亦、琉球語のアタビチ、アタビチャー。アタビクー。と血を引いてる事は明白である。なほワクビチといふ方語と、ワクトウ(『九州に蟾蜍をワクトウといふ』菅茶山著『筆のすさび』)といふのを並べて考へると、いよいよ面白くなる。前述の『蛙壺』に似た句が、一茶にある。   人来たら蛙になれよ冷し瓜
なほ琉球の民間伝説にもこれに似たのがあるといふだけに茲ではとめておく。


伊波普猷氏の肖像あり/内容:玉依彦の問題(柳田 國男)/琉球国王の出自(折口 信夫)/奄美大島の祭礼と能呂の勢力(昇 曙夢)/山原の御嶽(宮城 真治)/伊平屋島を通して観たる年頭の行事(島袋 全発)/ミヤ(宮)の原義に関する研究(宮良 當壮)/琉球列島に於ける民家の構造と其の配置(島袋 源一郎)/今帰仁を中心とした地名の一考察(島袋 源七)/宮古島の民俗、産育と葬祭を中心として(源 武雄)/組踊護佐丸敵討の型、一名二童敵討(渡口 政興)/宮古方言を中心として(与儀 達敏)/アクセントに現れた東京語と那覇語(大湾 政和)/加行変格「来る」の国頭方言の活用に就いて(仲宗根 政善)/沖縄に於ける橋の発達(神田 精輝)/琉球古来の土地反別法(宮里 栄輝)/泡盛雑考(東恩納 寛淳)/アイヌ白人説(金田一 京助)/「甘藷」を表わす朝鮮方言の分布に就いて(小倉 進平)/上代に就ける波行上一段活用に就いて(橋本 進吉)/おもろ研究前文、田島利三郎先生評伝(金城 朝永)/バイフタ・フンタカ・ユングドウ、黒島の壽詞(喜舎場 永珣)/首里の物語(島袋 盛敏)/絃声漫語(富原 守清)/(山城 正忠)/伊波先生と私(照屋 宏)/伊波普猷先生論文並著書目録(金城 朝永)/伊波普猷先生年譜(金城 朝永


屋富祖徳次郎(1882・2・5~1945・6)
真和志村天久(現那覇市)で生まれる。金沢医学専門学校卒業。1908年那覇泊で医院開業。33年『沖縄日日新聞』を引き受け、『沖縄日報』と改題して発刊。社員や記者の中には、のちに東京で活躍した古波蔵保好、宮良高夫や『琉球新報』社長になった親泊政博、同じく社長になった池宮城秀意がいた。