1932年5月31日『大阪毎日新聞 西部毎日 鹿児島・沖縄版』

最近、友人、知人から真栄田一郎の墓について問い合わせがあった。早速泊の遺族宅を訪ねたら喪中であった。5月5日に再度訪ねると亡くなられたのは真栄田昇(2005年10月没)の夫人・幸子(2011年3月没)さんであった。墓は浦添の霊園にあるというから一郎もそこに入っていると思う。勝朗の子孫は大阪にも居る。

1937年7月に真栄田勝朗が従兄弟の真栄田三益のアドバイスで準沖縄県人会機関紙『大阪球陽新報』を発行。8月には在京の親泊康永が東京支局長を引き受ける。真栄田勝朗と真栄田三益は共に久米村の林氏、北京で抗議の自決をした林世功の一族である。勝朗の妹は伊波普猷の冬子夫人である。だから伊波も『大阪球陽新報』によく執筆している。




瀬長亀次郎は戦後も沖縄人民党行事としてこの碑(人民解放戦士真栄田一郎君に捧ぐ)の前に集い団結を誓った。瀬長亀次郎「弾圧は抵抗を呼ぶ 抵抗は友を呼ぶ」→1991年8月『瀬長亀次郎回想録』新日本出版社

1931年、瀬長亀次郎は神奈川で井之口政雄宅に下宿をしていた。井之口夫人は日本赤色救援神奈川地区の活動家で瀬長は大分お世話になった。飯場生活の瀬長は「全協日本土建神奈川支部」を朝鮮人の金一声らと結成、京浜地区の責任者になった。そして横須賀町久里浜の平作川改修工事に従事していた朝鮮人労働者350人と労働条件改善、全員に仕事をよこせの要求をかかげてストライキに突入、瀬長も、金一声も検挙され一ヶ月投獄された。




4月28日
嘉手納基地 飛行禁止求め提訴
沖縄のアメリカ軍嘉手納基地周辺の住民が、戦闘機などの騒音による被害を訴えて飛行禁止や賠償を求める裁判を新たに起こしました。原告は2万人余りに上り、基地を巡っては過去最大規模の騒音訴訟となる。(略)

沖縄県の仲井真知事はNHKの取材に対し「戦後65年がたち、本土復帰からおよそ40年がたっても基地が整理縮小されないままあるということが最大の原因だ。今この時代に、都市化している沖縄のど真ん中で、騒音をまき散らすことが日常茶飯事に行われているのは、いくら日本やアメリカ軍の防衛の問題があるにしても、やはり異常だ。司法の判断を待つしかないが、いい形で結果が出ることを望む」と述べました。いい形も糞もないが、基地容認のカジノ知事もこう言わざるを得ないということだ。

テレビでは相変わらず戦闘機がアメリカの属国「日本政府」の思いやり予算(5年間で約1兆円)で爆音と有毒ガスを撒き散らす場景が放送されていた。これだけの無駄な燃料が無意味に浪費される、原発事故では糞の役に立たないアメリカ軍、黒人大統領の浪費大国アメリカ。日本はその原発大事故、農漁業の団体が東電に保障を請求したら、東電は国と相談して考えると答えている。いいかげん怒れ!東北人。

4月29日の『沖縄タイムス』に第三次嘉手納爆音訴訟の集会が開かれている那覇地裁沖縄支部の上空をF15戦闘機が爆音を轟かしたとある。この未曽有の危機に、火事場泥棒的にアメリカの黒人大統領のアメリカ上院軍事委員長のレビンが迷惑を顧みず来沖、日米同盟が聞いて呆れる。しかもアリバイ作りにカジノ知事と会って上京。臆面もなく日本政府に膨大な「グアム移転費」を強請る。それに日本政府はカジノ知事は最後は苦渋の決断で受け入れてくれるとレビンに答えている。北沢防衛大臣は原告団を「一市民団体」と矮小化したと琉球新報が紹介していた。北沢は長野県長野市生まれ 長野選挙区から1992年、国会議員に初当選している。爆音訴訟団は長野県の商品の不買行動を起こそう。

4月30日、NHKテレビで記者たちが大震災で「消費税大増税已む無し」と国民を洗脳している。いくら国営テレビでもいい加減にしてほしい。アメリカ軍(核の傘)維持に伴う膨大な「思いやり予算」「グアム移転費」「政党助成金」には全く触れず喋る。先ず誰が「大災害」を起こしたことの記者たちの責任を含め追及すべきであろう。国営テレビの記者にいうのは野暮か。