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大濱 聡 ·9-27
■元読谷村長の山内徳信氏が26日に老衰のため逝去された。91歳。
39歳の時に高校教師から村長に当選。知恵と突破力で米軍補助飛行場内に役場庁舎や野球場を建て、後に返還にまでつなげた。
壺屋の陶工たちを誘致して「やちむんの里」を建設するなど、文化行政にも手腕を発揮された。
先頭に立って米軍への抗議デモを行うなど、現場に出て闘う首長は全国広しと言えども他にいただろうか。
■本島長崎市長が昭和天皇の戦争責任について発言、物議をかもした時、全国の革新首長も沈黙する中、真っ先に支持を表明したのが山内村長で(ノーマ・フィールド『天皇の逝く国で』)、議会でも「天皇は戦争の最高責任者」と答弁したという(横田信行『赦し 長崎市長 本島等伝』)。
■1983年頃、大阪で高校教師をしていた金城実氏(彫刻家)が読谷村に移住を決めたのは、カーター大統領に手紙を書いて直訴した山内村長のことを知って感銘を受けたのがきっかけである。
■6年前、その金城氏と山内家を訪ねて懇談したのがお目にかかった最後になった。当時85歳、室内でも若干歩行に支障がある様子だったのが気になった。
大変お疲れ様でした。心からお悔やみ申し上げます。合掌。
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