沖縄の伝統的な陶器に嘉瓶というのがあります。胴体が瓢箪型で、首の部分がやや長く、福よかな形をしている酒器です。現在も陶工たちがよく造っていて、壷屋焼のお店でもよくみかける、沖縄を代表する陶器の一つです。

さて、ここで話題にしようとするのは、その嘉瓶では無く、渡名喜瓶のことです。嘉瓶の兄弟分のような酒壷で、形態は嘉瓶にやや似ていますが下部の瓢箪型の丸みの中程から角ができラインが内側に入り込み上の丸みのラインにつながります。ラインはそのまま細長の首に続き、頂点の小さな口の返しで終わります。なかなかシャープな感じを受ける壷で、用途としては酒を入れる器ですが、まれには墓からの副葬品として小さな渡名喜瓶のビン付け油入れが出てきます。嘉瓶ほどではないにしても壷屋の陶工たちによって昔から造られてきました。

その渡名喜瓶ですが、なぜ渡名喜瓶と呼ばれるのか?、名前の由来が謎とされてきました。沖縄本島の西海岸に浮かぶ渡名喜島に関係していると思われますが、渡名喜島の人がその昔、壷屋の陶工に大量に注文したとか、渡名喜島のノロが使ったとかの諸説がありますが、どれも確証のあるものではありません。調査をされた方によりますと渡名喜島に特に渡名喜瓶がたくさんあるということでもないようです。では、なぜ渡名喜瓶と呼ばれているのか?。ここで私の仮説を述べてみたいと思います。
(下の図参照)
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上の図は渡名喜瓶を横にした図で、真ん中に一本線を引いてあります。この線を海の水平線としますと、上半分の黒く塗った胴体部分が、海上に浮かぶ渡名喜島の島の形に似ていることに気が付きます。
そうなんです。渡名喜瓶の名前の由来は、渡名喜瓶を横にした上半分が、渡名喜島の島の形に似ていることから、昔の人は、酒を酌み交わしながら親しみを込めて「トゥナチー」と、呼んでいたのではないでしょうか。

沖縄の昔の人々が、地形の特徴を、わかりやすい身近な物にたとえることは、よくあることでした。
たとえば、首里台地の東側、崎山町から南風原に向つて、地形が大きく落ち込みます。その場所は
ウフカクジャー(大きなあご)と呼ばれていて、人の顔のとんがったあごに、たとえています。
又、波の上宮は岬の突端の岩山にありますが、昔は、その岩山を花城(ハナグシク)と呼んでいました。花城は当て字で、本来は鼻グシクだと思われます。顔の真ん中で尖がって存在する鼻を、海岸線の尖がった岬にたとえたもので、文字があまり普及していない時代には、伝達の手段として、より解りやすく目に見える具体的な物や地形、又は身体の特徴などにたとえる、言語感覚があったようです。

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