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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
前に島袋和幸さんから、「飛び安里」を全国に紹介した宮里良保の後輩、佐久川恵一氏のことを聞いたことがある。弟が茨木憲(恵輝)である。

1956年11月ー茨木憲『昭和の新劇』淡路書房
1989年3月ー佐久川恵一『裸足社晩春』
1991年6月ー佐久川恵一『幾山河』

7月16日ー『沖縄の軌跡』発行人で沖縄(のろし)ネットワーク連絡会の島袋和幸さんと共に首里城での烽火実験に参加した。東アジア域の黄砂と硫酸ゾルの分布もあってか烽火は見えなかった。『沖縄の軌跡』第69号は渡名喜島の遠見台に触れていて夏至風(カーチーベー)を9月としているが、これは6月23日のことである。芒種(ボーシュ旧5月)、寒露の節(旧9月)も若干混乱が交じっている。

島袋さんはこれに懲りず、来年も渡嘉敷村前島復興住民の会会長の中村文雄氏(渡嘉敷村字前島76番地 携帯090-8290-6361)と共催で「烽火上げ実験」をやるという。中村氏は20年来『前島誌』を纏める計画をもっていた。タイミング良く島袋さんは聞き書きボランティアである。本を纏めるのは得意分野で、早速に中村さんに協力を申し出た。

渡名喜や渡嘉敷が出たところで我が故郷・粟国には仲里正雄さん(まさお塾出版 〒900-0022那覇市樋川2-2-39 携帯090-9781-0089)の『御孵化果報』がある。これは仲里さんの母チヨを取巻く粟国風物詩と言えるもので、母チヨさんへの追慕録ともなっている。

07/09: 崔承喜

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
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1936年10月22日ー沖縄新聞社の招待で崔承喜一行(10名)、開城丸で来沖。


1936年8月ー日本民俗協会『日本民俗』第13号□琉球古典芸能の印象ー杉浦非水「大阪第五回内国勧業博覧会で琉球踊りをみた」、山崎紫紅、森律子、上司小剣、東儀和太郎、田辺尚雄「玉城盛重、新垣松含の15年前にみた。年老いた今日ー」、兼常清佐、村山知義、、邦正美、深井史郎、伊庭孝、岡元信吉、土岐善麿

崔承喜□私が琉球舞踊に接したのは、これが最初でありますが、それが非常に優れた民俗舞踊であることに大きな尊さを覚えたとともに、それらは私の舞踊の研究の上に、最近に於いて最も得ることの多かったものであったことを喜びます。

幾分新しく様式化されて演ぜられたように思われる「天川踊り」や「鳩間節」等の作品に最も大きな感銘をもったのでありますが、この様な民俗舞踊に於ける優れた手法は、私達に取って摂取さるべき多くのものを保持して居るように思われます。

私はこれらの琉球舞踊の中で、取り入れらるべきものを取入れんとして、此頃新作のレパートリの或る種のものに試みつつありますが、琉球舞踊を見た時に強く感じましたことは、それが朝鮮の民俗舞踊やシャムの民俗舞踊に類似して居る手法を多く包含して居るように感ぜられたことです。殊に上半身の動きー肩の動きや腕の動きは、朝鮮舞踊によく似ていますし、廻り方に於ける足の動きや手首の動きは、シャム舞踊に似てはいないかと思われました。

「組踊」に於ける様式上の特殊性も、朝鮮の民俗舞踊の中で残されている代表的なものである「山臺劇」等に見いだされるようなものに共通したものをもって居るように感じました。勿論、琉球舞踊にしましても、支那、シャム、朝鮮等の舞踊にしましても、東洋の舞踊に独自な、様式上の多くの類似性をもつことは当然なことでありませう。

このような琉球のもつ優れた民俗舞踊が有能なる舞踊家の手に依って、新たに様式化され、そしてそれが成長して行く日には世界に出して誇り得るものさえももつであろうとさえ思われると共に、この様な舞踊の伝統が何故、私達舞踊家に取って左程注目されていないかと思うのであります。スペイン舞踊等に対する関心も勿論必要でありますが、このような私達の手近にある民俗舞踊への関心も、もっと重要なものではないでしょうか。

この様な東洋の民俗舞踊を研究し、それを基礎として行く時には、東洋風舞踊と洋風舞踊との距離は、私達東洋人の踊る洋風舞踊である限りに於いて、もっと縮めることが出来るだろうと思います。この様な方向は私としまして自己の舞踊の一つの方向にしたいと努めつつありますが、いづれにしましても、今度の琉球舞踊に接し得ましてことは、舞踊を専門とする私達にとりまして大きな幸福でありましたし、この様な豊かな舞踊の伝統をもつ琉球に対しまして朝鮮を故郷とする私としましては、一種の羨望さえ感じました。(1936・6・7)

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