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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
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Category: 01-人物名鑑
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左ー戦没者の追悼と平和を祈る平和祈念像を彫る故・山田真山氏ー宜野湾市(山田實さん撮影)
Category: 03-所感
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地元2紙に共同通信社の全国電話世論調査が載っている。それによると□(略)野田内閣の支持率は29・9%で、前回6月上旬の調査より2・1ポイント下落、不支持率は54・3%に上昇した。衆院解散・総選挙の時期について「できるだけ早い時期」が40・8%となり、2013年夏の衆参同日選挙の31・7%を上回った。橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会の国政進出に「期待する」との回答は54・5%、「期待しない」は37・9%だった。前日の地元紙社会面に「消費税批判」「仕方ない」と県内の声を報じていた。この発想で行くと県内は「オスプレイ配備」も仕方ないで済ますつもりなのか。

全く理解し難いいい加減な結果である。共同通信が悪いのか、国民が悪いのか、何れにせよこの国の国民は「消費税」「原発」「オスプレイ配備」に怒りを忘れていることだ。それはさておいても、世論調査にワザワザ大阪ドクサイ市長を注目させようと、NHKもニュースでハシモト云々で同様だが大メディアも国民をアル方向に持って行こうとするナリフリ構わぬ策謀がミエミエだ。それを垂れ流す地元2紙も同罪だ。新報社説□ー新たな構成となった県議会は、与党の自民党、公明県民会議と中道の「改革の会」が推す喜納昌春氏を議長に選出した。沖縄革新の要である社大党籍の喜納氏を、保守系会派と中道が手を組んで議長に据えた前代未聞の展開である。喜納氏は社大党公認で激戦の中頭郡区を勝ち抜いただけに、議長人事に驚いた県民は多いだろう。とある。社大党も党首が女性だからナメられているのかしれないが除名では軽い。党の存在自体が問われるもので毅然とマッサツしてほしい。

例によって岡留氏ブログー焦点にすべきは消費税増税の是非論であり、社会保障制度の改革である。野田政権が自民党、公明党と野合して体制翼賛体制に走ったことに対するメディアの批判はほとんど見られなかった。原発再稼働しかりである。東電や関西電力などで株主総会が開かれたが、株主代表として参加した猪瀬東京都副知事や橋下大阪市長の言動を伝えただけ。原発行政の在り方や再生エネルギーへの道筋を正論で論じるメディアがないことには恐怖すら覚える。せめて、橋下市長程度の批判を関西電力に突き付けるべきではないのか。電力会社の役人根性はもはや救いがたいレベルにある。消費税増税にしても原発再稼働にしても、まさに戦前の体制翼賛による軍部の独走を想起させる。メディアが体制に対するチェック機能を失っている実態は、過去の歴史を紐解くまでもなく、危険な時代への確実な予兆である。

06/22: 慰霊の日

Category: 03-所感
Posted by: ryubun02
ドジョウ政権はいつまで持つか分からないが、「原発 再稼働」もこれまた日本経済をダメにした財界や官僚の主導で進めるようである。まったく碌な発想しかないドジョウ。これは大阪ドクサイ市長も同様だ、というかどっちもどっちだ。慰霊の日には性懲りもなく来るようである。首相だけでなく、「原発 再稼働」に関して新聞雑誌がどう民意を汲んで特集するか楽しみである。何処のメデイアが東電や国からカネを貰ったのかすぐ分かる。かつて国の大本営を信じ、国の安全安心を信じた「原発」。怨霊となった伊江島のハンドー小ではないが、国民も「だまされた私がわるい」と言うでなしに少しは「慰霊の日」に御霊と共にムヌカンゲーさな。


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「沖縄戦」隠滅知事や、安保・政党助成金のための消費税・オスプレイの全島配備押し付けのドジョウ首相が慰霊の日式典参加についてはこの「プラカード」で迎えたい。

6月24日追記
□地元紙は見たくもないドジョウ首相の顔写真を2枚も掲載している。案の定、」追悼式で沖縄戦没者の御霊をゴミ化とし「安保」を強調したという。大体こんなものを式典に呼ぶのが間違いだ。連合は配備撤回は問題にもしないらしい。

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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
Category: 01-人物名鑑
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山田真山・住所変遷

山田泰雲君は元篆刻てんこく師の弟子であったが、芦野楠山先生の世話で師の許しを得て私の門下となった。大分出来て来て、これからという処で病歿しました。→青空文庫/高村光雲「幕末維新懐古談・その後の弟子の事」

1916年   東京府下日暮里谷中本1017
□石野瑛『南島の自然と人』表紙・山田真山画「オメントー」

1918年   東京市下谷区三崎南町60
1929年   東京市外井萩町上荻窪963
□2001年3月『新生美術』山田博「具志堅(聖児)先生の思い出」
□真山家族ー妻・博子(小堀鞆音の娘)、長男・真、次男・博、長女・栄子、3男・光三

小堀鞆音 こぼり-ともと
1864-1931 明治-昭和時代前期の日本画家。
文久4年2月19日生まれ。川崎千虎(ちとら)にまなび,歴史画を得意とした。明治31年日本美術院の創立に参加。41年東京美術学校(現東京芸大)教授。大正8年帝国美術院会員。門下に安田靫彦(ゆきひこ),川崎小虎(しょうこ)ら。昭和6年10月1日死去。68歳。下野(しもつけ)(栃木県)出身。旧姓は須藤。本名は桂三郎(けいざぶろう)。作品に「宇治橋合戦」「武士」など。(→コトバンク)

1937年   名古屋市中区米野町居屋敷52


山田真山、太田朝敷像制作null


比島移民翁・大城孝蔵立像

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
最近、ブックオフで今まで手にしたことのない『月刊ナショナルジオグラフィック日本版』 (ナショナル ジオグラフィック協会)のジャンルは地理学、科学、歴史、自然で、そのバックナンバーを買い求めている。付録が好い。写真家の山田實さんのところに英語版があった。

月刊誌として年間12冊発行されており、それに加えて付録の地図を発行している。また、時に特別号も発行している。地理学、人類学、自然・環境学、ポピュラーサイエンス、歴史、文化、最新事象、写真などの記事を掲載している。現在の編集長は Chris Johns で、2008年10月 Advertising Age 誌で American Magazine Conference から Editor of the Year を授与された。世界中で33カ国語で発行されており、5000万人以上が定期購読している[要出典]。日本語版の発行部数は約8万4千部(ABC2009年公査部数)[2]であり、読者は首都圏のみで42%を超える。また、読者の平均世帯年収(SA)が高く、日本における高級誌の一角を占めている。

National Geographic Magazine の創刊号は、協会が創設されたわずか9カ月後の1888年に発行された。ナショナル ジオグラフィックの特徴は学術誌でありながら絵や写真を多用した雑誌だという点で、1905年1月号に掲載されたロシア帝国の2人の探検家 Gombojab Tsybikov と Ovshe Norzunov によるチベット探検時の写真をページ全面の大きさで掲載したことにその特徴がよく現れている。1985年7月号の表紙にはアフガニスタンの13歳の少女 Sharbat Gula の写真が使われ、同誌の歴史上最も有名なイメージの1つとなっている。→出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/25 21:46 UTC 版)




2002-7□パドゥーカ(ケンタッキー州)核燃料処理施設のパドゥーカガス拡散ウラン濃縮工場。劣化ウランを詰めた約3万8000本の容器が屋外に置かれている。

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Category: 03-所感
Posted by: ryubun02
6月16日、那覇市歴史博物館で高里鈴代さんのギャラリートーク「日本軍『慰安婦』と今」が午後2時から始まった。二部屋分の会場には大勢の来観者で溢れていた。ヤマトではこういう展示は中止に追い込まれているケースが多いが、さすがに沖縄戦(地上戦)を経ているところの土地柄である。カジノ知事や文部省の「沖縄戦抹殺」に抗してか皮肉にも参加者が多かった。


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6月16日、那覇市歴史博物館で高里鈴代さんのギャラリートーク


2014年10月『文芸春秋』塩野七生「『従軍慰安婦』朝日新聞の”告白〝を越えて」/2014年10月『WⅰLL』「朝日新聞の『従軍慰安婦』は史上最悪の大誤報だった!」

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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
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啄木歌碑の前列左、藤田嗣治画の山城正忠像を手にしているのが國吉眞哲、左に宮里栄輝、その後が末吉安久、右が正忠の息子の山城守一。歌碑の右側前列、真教寺住職の田原惟信。その後が喜納勝代、右へ4人目が真喜志康徳、屋部公子。

□屋部公子

1982年9月9日ー『河北新報』南条範男「沖縄の啄木歌碑ー県民の”共通の心”に密着ー」
□沖縄の歌人と歓談ー沖縄県那覇市在住の真教寺境内に啄木歌碑が建立され、その除幕式が行われたのは、昭和52年10月16日だった。東北、北海道には、たくさんの啄木文学碑がある。それらは、ほとんど啄木と何らかのかかわりがあり、それに基づいて建立されている。

しかし沖縄は、啄木にとって未踏の地である。私は建立されたころから訪ねたいと思っていたが機会がなく、やっと今年の3月、碑を訪ねることができたのである。

雪がちらつく仙台から3時間余りで那覇市に着いた。地元の歌人、國吉眞哲氏をはじめ屋部公子さんら数人と真教寺でお会いした後、席を移して歓談の機会を得たことは誠に幸いであった。そもそも啄木歌碑を建てたのは、國吉氏である。國吉氏は、明星の歌人、山城正忠氏を歌の師とする方なのである。

山城正忠氏は那覇の生まれで、明治40年ごろ、東京で歯科修学中、新詩社に入門して与謝野鉄幹、晶子夫妻に師事、啄木との交流もこのころだった。啄木日記に山城氏のことが書かれている。啄木は、山城は感情家すぎて、歌にも感情が入りすぎると言っていたようである。(略)
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1995年ー『平和のためのガイドブック沖縄ー自然・島々 歴史・文化 戦跡・基地』クリスタル出版企画・伊集盛信

12月14日、堺市在住の伊集盛信氏の自費出版本『小説 角力』(すもう)が出来上がってきました。即お届けし、堺市中央図書館(正面入口に与謝野晶子碑)、大阪市中央図書館への寄贈に同行させていただきました。装丁なども気に入ってもらえました。著者紹介の顔写真には「こんなに白髪かい」と感慨深かげです。文中にあった、観衆は「ウリッ、ウリッ」とは何の意味かとお聞きしますと、「ホイッ、ホイィ」と元気な掛け声のこと、身振りと声で教えてくれました。
 沖縄角力(すもう)は大和の相撲とはまったく異なります。3本勝負で2本取ること、相手の両肩を土俵に付けたものが勝者。横綱、大関とかの階級もありません。舞台は著者の出身地である久米島、那覇。最初、「すもうを書いたものを出版」とお聞きしたときにはスポ根ものでは、と思いました。ところが「角力」を軸にしながら沖縄戦、銃剣とブルによる土地強制取り上げ、本土復帰闘争、基地返還などの青年たちのたたかいを生き生きと描きます。那覇のカメジロウ民主市政擁護のため税金を市民が市役所に持参し納税闘争も紹介。「よく書く時間がありましたね」「いやその気になれば多忙でも書けます」。自営の喫茶「儀間コーヒー」店(府立大正門前)の片隅にノートパソコンを置いて、久米島にある共同体思想を描き出したところ。第2作には労働組合づくりを描いた作品も収録してはどうか、と声かけしました。(2010-12きかんしサポータ-)

2011年 沖縄タイムス社・神奈川新聞社・長崎新聞社=合同企画「安保改定50年」取材班『米軍基地の現場から』高文研

□そしてこの問題で大手メディアの無責任さも際だった。防衛問題を担当する記者ですら、沖縄配備の米軍部隊について十分な知識がないまま、基地問題を論じている。大手紙が社説で主張したのは、
①日米同盟を危機にさらすな
②抑止力を維持せよ
③沖縄の負担を軽減せよ
の3点だった。沖縄に』基地を集中させる政策を検証する論説はなかった。鳩山氏が退任し、菅政権が日米合意を追認すると、メディアはすべてが終結したかのように「沖縄から離れた。この言論空間のよどみ、ゆがみが沖縄問題を一層難しくする。たったひとつの米軍飛行場のために首相が辞めてしまう国は日本以外に存在するだろうか。文民統制が瓦解している。」
                
2011年 『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること 沖縄・米軍基地観光ガイド』書籍情報社


『大日本帝国憲法』
Category: 01-人物名鑑
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Category: 04-書の森
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写真中央・又吉世喜

佐野真一氏は著書で沖縄ヤクザ、宜保俊夫とか又吉世喜、上里忠盛などを紹介している。私も以前、大阪の右翼新聞記者から貰ったヤクザ関係資料を紹介する。

1950年10月14日『うるま新報』「12日、本部町伊豆見出身RTBカンパンガード住込の喜捨場朝信(28)らが那覇区の旅館美島荘にて女給の横山菊江(21 名瀬出身)と冗談から口論となり、喜捨場が暴力で菊江をショック死させる。」

1961年 コザ派、又吉世喜を家から連れ出し、西原飛行場で全治2か月の重傷を負わす

1962年1月 又吉世喜、多和田真山(29)ら3人を監禁し「那覇派につけ」と強要

1964年 コザ派、山原派と泡瀬派に分裂

1965年2月 泡瀬派の喜屋武盛一が山原派の上原秀吉に太腿を刺される 


1974年11月ー『稲川会碑文谷一家襲名披露御芳名録』には沖縄関係は東亜友愛事業組合の常任理事の宜保俊夫だけ載っている。

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1975年6月ー『四代目中政組襲名披露御芳名録』/これには、沖縄地区特別後援者御芳名として沖縄連合旭琉会(仲本善忠会長)が載っている。副会長は具志向盛、上間善一、理事長が又吉世喜、理事は多和田真山(元仲里昌和の配下で極南会の安富副会長刺殺)、翁長良幸、羽地勲、現在の沖縄ヤクザ界のドン富永清旭琉會会長は34人目、最後から2人目に理事として載っている。
 
1976年10月 大阪市大正区南恩加島の愛人宅で沖縄連合旭琉会会長の仲本善忠(49)が逮捕される。

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Category: 04-書の森
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Category: 03-所感
Posted by: ryubun02
今、沖縄県議選の最中である。知り合いの所に行くと、革新系の候補者がアブナイと危機感を訴えていた。諸悪の根源は民主党である。革新の仮面を被ってオキナワを騙し続けてきた。だからと言って自民党、公明党では更にアブナイ。地元紙も通信社の「争点なき沖縄県議選」を垂れ流すではなくアンポ維持・政党助成金のための「大増税」をオキナワの視点で捉えてほしいもんだ!。那覇市長立候補の準備のためか現市長は「オスプレイ配備反対」を唱え怒ってみせる。それよりカジノ知事当選に功績のあった那覇市長には「普天間早期閉鎖」公約はドコ行ったのかカジノチジに問いただしてもらいたい。那覇市にはおもろまちの土地疑惑やら「沖縄青少年会館」保存グループがいう工事疑惑ら生臭い情報が飛び交っているがこれも地元紙はサボって調査報道しない。(6月9日記)


□< 2012年3月11日 日テレ21>
東日本大震災の発生から11日で1年がたった。死亡した人の数は1万6000人近くに上っている。
警察庁によると、11日現在、震災による死者は計1万5854人となった。最も多いのは宮城県の9512人、次いで岩手県の4671人、福島県の1605人などとなっている。 行方がわからない人は宮城県が1688人、岩手県で1249人、福島県で214人など、計3155人となっている。死者と行方不明者は、計1万9009人となった。この死者と行方不明者、オキナワ戦没者、最初のヒロシマ・ナガサキの被爆者の霊魂(あるとすれば)は自分らの死が後世どう扱われているか気にする筈だが・・・。少なくとも今のゴミ扱いされている状況に対しては、財界・政治屋に「祟り」がないとおかしいと思う。

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
1915年4月5日ー藤田嗣治はフランスで滋野清武(飛行家)、宇和川通喩(画家)、山口ツガ(画家)4人でオペラ見学に出かけた。


写真左ー宇和川通喩1916年作「飛行家・滋野清武肖像画」/写真右ー1986年6月『滞欧作品展』宇和川通喩「風景」星野画廊

宇和川通喩 Uwagawa Michisato
1877(明10)年、函館市に生まれる。松本楓湖に師事し日本画を学ぶ。1903(明36)年、東京美術学校西洋画科を卒業。中学の美術教師となる。1909(明42)年、第三回文展に初入選。1914(大3)年、日本郵船鹿島丸で渡仏。1917(大6)年、戦火を避けニューヨークに一時滞在し、帰国。滞欧作個展を大阪三越で開催。1922(大11)年頃、再び渡仏。約三年間をパリに在した。1927(昭2)年、大阪市美術協会幹事。兵庫県武庫郡に在住。1942(昭17)年没。→【スムース文庫】

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
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島袋和幸『沖縄の軌跡』84号□東京都葛飾区四つ木4-18-10 電話03-3695-9276


知念亀千代「履歴書」

1988年12月 知念亀千代『生命の行先』(沖縄県立図書館所蔵)

1991年2月11日『琉球新報』
知念亀千代(ちねん・かめちよ=洋画家)9日午前零時10分、胃かいようのため埼玉県川口市の川口市民病院で死去、91歳。南風原町出身。自宅は川口市元郷1-18-3.告別式は12日午後零時半から東京都板橋区舟渡4-15-1、戸田葬祭場で。喪主は妻二三子(ふみこ)さん。二科会所属。日展7回、二科会23回各入選。
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

左ー中山省三郎『詩集縹緲』小山書店1942年/中山省三郎『随筆・海珠鈔』改造社1940年「この歌をはじめ、多くの歌を中年の品のよい女に弾かせて、一々説明してくれたのは國吉眞哲君といふ文學に明るい人である。」

中山省三郎 なかやま-しょうざぶろう
1904-1947 昭和時代の詩人,ロシア文学者。
明治37年1月28日生まれ。横瀬夜雨(よこせ-やう)の影響をうけ,早大在学中に火野葦平らと詩誌第2次「聖杯」を創刊。卒業後はロシア文学を翻訳,ツルゲーネフの「猟人日記」などの名訳をのこした。昭和22年5月30日死去。44歳。茨城県出身。詩集に「羊城新鈔」「縹緲(ひょうびょう)」など。(コトバンク)


06/03: 山田有晋

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

山田有晋(那覇での日露戦争・名誉の戦死者第一号)/2009年9月11日『琉球新報』

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Category: 99-未分類
Posted by: ryubun02
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4月14日、那覇市歴史博物館に遊びに行き「2012年度・展覧会のご案内」を貰った。5月のところには「あれから40年~OKINAWAから沖縄へ~」がある。問題は次の「特別企画 沖縄戦と『慰安婦』展」である。あたかも沖縄県のカジノチジ周辺が「沖縄戦隠蔽」にピリピリ神経を尖らしているところに油をそそぐようなもので歴史博物館としては英断だと思ったが学芸員に聞くと、県の沖縄戦隠蔽問題が出る大分前、那覇市総務部平和交流・男女参画課と沖縄戦と日本軍「慰安婦」展実行委員会(高里鈴代代表)から博物館に展示場を申し込んだという。早速に沖縄戦隠蔽の県のほうから「どんな展示内容か」と問い合わせがあったが、学芸員は歴史的に意義があることなので貸したという。とにかく女性たちが動いていることが分かった。沖縄県は県内外から批判されると「慰安婦」「日本軍の住民虐殺」を削り専門家から批判された。下記のように県と同様ニコンサロンでも写真展がカルト右派により中止に追い込まれている。


「写真展ができなかった場合、東京でストリート写真展でも開きます」 日本、名古屋で制作活動をしている写真作家アン・セホン(41)氏は怒りが収まらないようだった。 彼は来月26日から7月9日まで東京、新宿の展示場「ニコンサロン」で写真展を開く予定だった。 展示される作品はアン氏が2001年から2005年まで7回にかけて中国を訪問し、撮影した朝鮮族元従軍慰安婦のおばあさんたちの写真38点だった。昨年12月、審査委員5人で構成された主催側選定委員会の審査で作品性を認められ展示が決定した。

だが、カメラメーカーであるニコンが運営する「ニコンサロン」側関係者は22日、アン氏に電話をかけてきて「展示が中止になった、理由は明かせない」と一方的に通知した。ニコン側は「名古屋に行って謝罪したい」と話しているが、アン氏は「単に謝罪のためになら来る必要はない。写真展を予定通り開催してほしい」と要求した。 ニコン側の突然の写真展中止は日本の右翼勢力による圧迫に屈服した結果だと思われる。アン氏の展示会が差し迫るとインターネット掲示板などには「歴史ねつ造に加担する売国行為だ」「外国の一方的な主張を代弁していいのか」などの非難コメントが相次いだ。 写真展中止に対してニコン側は「写真展開催と関連して(右翼勢力などから)抗議があったことは事実だが、中止は諸般事項を総合的に考慮して判断したこと」とだけ明らかにした。(中央日報)


□「ニコンサロン」は、ニコン創立50周年を記念して1968年1月に銀座三丁目に開設された、写真文化の普及・向上を目的とする写真展示場です。開設記念となる第1回写真展「木村伊兵衛の眼」を開催以来、写真の展示や講演会の開催など、多くの写真家・写真愛好家の方々に写真活動の場を提供してきました。その後1971年6月に「新宿ニコンサロン」、1974年3月には「大阪ニコンサロン」を開設、より幅広い写真活動の場として活用されています。プロ・アマの壁を取り払い、企業戦略に影響されず、あらゆる分野の優れた作品の展示場として写真展本来の姿を追求する「ニコンサロン」。(ニコンも企業だからカルト右派には弱い)

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かつて同門の島袋慶輔氏と同行し我が家からすぐの、港川人を発見した大山盛保氏経営OK給油所内の事務所を訪ねたことがある。入口には「翁姓門中会」の看板があった。大山氏は翁姓で、最近亡くなられたジーミー創業者の稲嶺盛保氏も同じ翁姓門中である。ちなみに翁姓門中の現在の代表者は稲嶺恵一氏。大山盛保氏は沖縄の歴史と文化に大きな関心を寄せる市民研究者でもあった。購入した粟石の中に動物化石を見つけ、「動物がいたならば人間もいたはずだ」と考えた大山氏は港川で発掘調査を始めた。約2ヶ月半後、地表から約12mの部分で人骨を発見、その後も多くの動物化石や人骨を発見した。


2010年8月27日『琉球新報』

慶応大学の学生たちのブログに□最初の生命は約40億年前、地球誕生から6億年たった頃の海の中で誕生したと考えられている。材料となった基本的物質は原始大気中の成分:メタン、アンモニア、二酸化炭素などの無機物であった。これらにエネルギーを加えることによって、生命の素材は作られたのである。エネルギーは太陽光、雷の放電、放射線や熱、紫外線などによってもたらされたものである。

こうして生命を構成する基本的な物質、生命物質を合成した。アミノ酸、核酸塩基、糖や炭水化物などの有機物である。反応が起った場所としては、エネルギーが十分に与えられたと考えられる海底熱水噴出孔や隕石の落下地点などが注目されている。こうしてできた生命物質は雨によって原始の海に溶け込み、原始スープを形成した。原始スープにごちゃごちゃになって海の中を漂っていた。その中でこれらの物質が反応することによって、初めての生物は生まれたのである

06/01: 書の森

Category: 99-未分類
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Category: 04-書の森
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波照間永吉氏                    永山絹枝さん


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波照間永吉氏と新城栄徳