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沖縄県 至聖廟拝覧紀念

中村不折「猗器の誡(ききのいましめ)」 昭和16年(1941)
水を満たすと覆る猗器(画面左)を人間の高慢な心にたとえた、中国春秋時代の故事を題材とした作品。画面中央の人物は孔子である。[


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2012年3月19日14時ー久米至聖廟建設工事安全祈願祭



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新城喜一画
1933年4月7日ー久米孔子廟

(社)久米崇聖会 1914年(大正3年5月)、孔子廟・明倫堂を組織的に管理運営するため久米村の有志により社団法人として設立されました。太平洋戦争で一時中断しましたが戦後復活し、2014年(平成26年)には100周年を迎える歴史の古い団体です。戦後は那覇市若狭の天尊廟地内に構え、道徳の高揚を図り久米至聖廟(久米孔子廟)、天尊廟、天妃宮、明倫堂などの維持管理と釋奠祭禮の祭祀、人材の育成、もって地域社会への貢献、広く国際平和のために寄与することを目的として活動しています。□→「久米至聖廟」

2013年2月4日記ー那覇市 福州園
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福州園に隣接の久米至聖廟が建設工事中

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李白像
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◎垣花稔2011-2-11          新城さま
016mm那覇版映画(仮称)の顛末
2月10日午後3時に
沖縄県公文書館吉元主事から電話があり
新城さんとの共同で持ち込んだ映画の
復帰前の那覇を映したなかに
綱引きや情景など貴重な記録があり
県民の財産として「保管」していきたい。




首里孔子廟
首里孔子廟は1837年(道光17)に国学の南側に建立された(『球陽』など)。『球陽』では「文廟」と表記されている。1897年(明治30)に浦添御殿(桃原村)敷地内へ移祀される。『琉球建築』に掲載されている写真は、その当時のものと思われる。写っている建物は古いが建物自体を移築したのか、浦添御殿にもとからあった建物を再利用したのか管見の限り不明。1934年(昭和9)に首里城銭蔵跡に移建(平凡社の『沖縄県の地名』の「国学」の項より)。那覇市歴史博物館所蔵「清川安彦氏新聞切り抜き」には1935年(昭和10)2~3月ごろに落成の記事が、5月に落成式の記事が見える。また、昭和13年5月30日の琉球新報には3周年記念祭典の記事が載っている。『琉球建築』ほか、『坂本万七遺作写真集 沖縄・昭和10年代』掲載写真や那覇市歴史博物館所蔵写真がある。(喜納大作)


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1936年11月 龍潭同窓会『會報』長谷川亀太郎□1936年5月24日式場・至聖廟復興一周年紀念及追加工事落成式挨拶ー特ニ昨年九月勝連盛常氏ノ篤志御寄附ニヨリ追加工事施工セラレルニ至リ(略)復興紀念碑文ハ昨年落成式ニ御来會ノ東京帝国大学教授鹽谷博士ニ選文ヲ御願出来タノデアリマス(略)ナホ本廟祭典ノ形式ニ就イテハ湯島聖堂祭典部長文学博士中山久四郎氏(昨年本廟落成式ニ御参列)ノ御教示ヲ受ケ又東京府立高等学校教授東恩納寛惇氏ノ御意見モ承リ祭典部委員慎重審議ノ結果湯島聖堂ノ祭典ニナラヒ日本固有ノ神式ニ依拠スルコトニ定メタノデアリマス  

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1999年10月『多久聖廟』「日本の主な聖廟」
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2003年9月 福岡市博物館『チャイナタウン展/もうひとつの日本史ー博多・那覇・長崎・横浜・神戸』図録 「世界のチャイナタウン」/2000年8月 山下清海『チャイナタウン 世界に広がる華人ネットワーク』丸善ブックス
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