本阿弥書店の竹内勉氏①の著を買ったら、氏からお礼の手紙がきた。大塚正彦編集長からもきた。その後、大塚氏も沖縄に来た時に、竹内氏を是非粟国を見てほしいと仲里氏が提案。2002年夏、朝の飛行機で竹内、仲里、大塚の諸氏が粟国へ。与那城、安里氏が迎えた。昼食は与那城夫妻の手づくりであった。島の彼方此方を見て、船で4時に帰覇。夕食は「味の店・三郎」でとった。翌日は今帰仁城、名護を見物。

2011年9月 竹内 勉『民謡地図⑧恋の歌垣 ヨサコイ・おばこ節』本阿弥書店

 ○『日本語の起源』によると、「奈良時代以前には、母音は四個であったと推定される」すなわち、「アイウ オ」の四つの母音からなっていて、「エ」が加わって、今日のように「アイウエオ」の五つになるのは奈良時代(和同3年<UTAGAKI>)の「き(KI)」が、「け(KE)〕にと変化するのは、奈良時代以降となるから、「歌懸け」や「歌掛け」は、「歌垣」から発音の変化の中で生まれてきた言葉で、あとは歌垣の現象から、先の漢字をあてるようになったと思われる。(略)私が2歳であった昭和14年(1939)に、写音機という手製の録音機で民謡採集をしていた町田嘉章が、九州の西海岸や島々を廻った折の取材手帖をみると、歌詞の部分に、×と「伏せ字」にして、そのあとに「くだらん」と書き込みをした箇所があちこちにあった。そうした旅から戻って、その報告をするため、町田嘉章は民俗学者・柳田国男宅を訪ねた。そして手帖の件も話をした。すると柳田国男は、「町田君、惜しいことをしたね。君はそれを採集してくればよかったにに・・・」と言ったそうである。

①竹内 勉(たけうち つとむ、1937年5月30日 - 2015年3月24日間質性肺炎で死去、77歳)は、日本の民謡研究家。東京都生まれ。民謡研究の第一人者。10代から民謡採集を始め、のち町田佳声に師事。1965年、第20回文化庁芸術祭・奨励賞(レコード部門)を監修「民謡源流考」(コロムビアレコード)で受賞。NHKラジオで長年に渡り民謡番組を担当し、2000年3月、NHK75周年感謝状。1999年には、民謡採集50周年記念として「生きる之碑」を京都・大原三千院境内に建立。民謡研究家の故・町田佳聲に師事。日本各地の民謡の収集、分類、保存に取り組んだ。NHKラジオの民謡番組のパーソナリティーも担当した。著書に「日本の民謡」「民謡地図」。→ウィキペディア



粟国の実家を新築した家でくつろぐ與那太郎さん(右)
 粟国島の実家隣りの與那太郎さんの遺族を門真市に訪ねた。子息も故人になったようである。門真市立歴史資料館を見学すると、常設展に「『幣原家』の足跡を訪ねて」があった。