〇15世紀半ばまでに建立されていた上天妃廟には龍王殿が併置されていた。『琉球国由来記』卷九によると、龍王殿はもともと中三重城にあったという。(略)近世には旱魃になると久米村の官員が天尊廟と龍王殿で雨乞いの祈願を行った。大旱魃の際には龍王像を龍船に乗せて豊見城に運び、城内の雩壇で祈願する定めであった。(略)雨の神としての龍王の信仰は沖縄諸島の農村にも伝わり、明治の頃の雨乞いでは、「龍王加那志雨タボリ」(竜王さま雨を賜われ)という雨乞い歌がうたわれた。(平敷令治)

○久米至聖廟(孔子廟)の本殿、大成殿。ー孔子様の像と4人のお弟子様の像も祀られています。(略)天尊というのは雷を扱う神様の様です。隣に龍王様もいますので、戦前は、久米や那覇近辺の方は、日照りが続くとこちらで雨乞いを行ったそうです料亭「松の下」があった時は、玄関近くの中庭としてこの石が置いてあったそうです。飾りの龍の口から水も流れ出ていたそうです。神聖な場所として、昔から拝まれジュリ馬の奉納も行われているそうです。。→「那覇まちま~い 若狭下町物語 波の上チャンプルータウン」
久米孔子廟

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新城喜一画
1933年4月7日ー久米孔子廟

(社)久米崇聖会 1914年(大正3年5月)、孔子廟・明倫堂を組織的に管理運営するため久米村の有志により社団法人として設立されました。太平洋戦争で一時中断しましたが戦後復活し、2014年(平成26年)には100周年を迎える歴史の古い団体です。戦後は那覇市若狭の天尊廟地内に構え、道徳の高揚を図り久米至聖廟(久米孔子廟)、天尊廟、天妃宮、明倫堂などの維持管理と釋奠祭禮の祭祀、人材の育成、もって地域社会への貢献、広く国際平和のために寄与することを目的として活動しています。□→「久米至聖廟」



首里孔子廟
首里孔子廟は1837年(道光17)に国学の南側に建立された(『球陽』など)。『球陽』では「文廟」と表記されている。1897年(明治30)に浦添御殿(桃原村)敷地内へ移祀される。『琉球建築』に掲載されている写真は、その当時のものと思われる。写っている建物は古いが建物自体を移築したのか、浦添御殿にもとからあった建物を再利用したのか管見の限り不明。1934年(昭和9)に首里城銭蔵跡に移建(平凡社の『沖縄県の地名』の「国学」の項より)。那覇市歴史博物館所蔵「清川安彦氏新聞切り抜き」には1935年(昭和10)2~3月ごろに落成の記事が、5月に落成式の記事が見える。また、昭和13年5月30日の琉球新報には3周年記念祭典の記事が載っている。『琉球建築』ほか、『坂本万七遺作写真集 沖縄・昭和10年代』掲載写真や那覇市歴史博物館所蔵写真がある。(喜納大作)


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1936年11月 龍潭同窓会『會報』長谷川亀太郎□1936年5月24日式場・至聖廟復興一周年紀念及追加工事落成式挨拶ー特ニ昨年九月勝連盛常氏ノ篤志御寄附ニヨリ追加工事施工セラレルニ至リ(略)復興紀念碑文ハ昨年落成式ニ御来會ノ東京帝国大学教授鹽谷博士ニ選文ヲ御願出来タノデアリマス(略)ナホ本廟祭典ノ形式ニ就イテハ湯島聖堂祭典部長文学博士中山久四郎氏(昨年本廟落成式ニ御参列)ノ御教示ヲ受ケ又東京府立高等学校教授東恩納寛惇氏ノ御意見モ承リ祭典部委員慎重審議ノ結果湯島聖堂ノ祭典ニナラヒ日本固有ノ神式ニ依拠スルコトニ定メタノデアリマス  



2013年2月4日記ー那覇市 福州園
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福州園に隣接の久米至聖廟が建設工事中

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李白像