伊波普猷の弟・普成は1912年9月の『沖縄毎日新聞』に「ベージル・ホール 琉球探検記」連載、11月には「ビクトリヤの僧正 琉球訪問記」(クリフォードの名が出てくる)、1913年4月は「ぺルリ日記」、8月「チャールズ・ルブンウォース 琉球島」を連載している。

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1915年4月9日『琉球新報』麦門冬「眞栄平房昭ー百年前の語学者」

1924年5月『沖縄教育』末吉麦門冬「百年前の英語通ー眞栄平房昭」
□西暦一千八百十六年、即ち今を去ること百八年前、英國の船長ベーシルホール(言語学者チャンバーレン氏の祖父)が率いる探見隊を乗せた二隻の英鑑が朝鮮から琉球へと回航した。キャンプテン、ベージルホールの塔乗した船はメーフラワー號と云ふのであった。此メ―フラワー號乗組員が探見した朝鮮琉球に関した記録が「朝鮮の西海岸及び大琉球探見記」と云ふ浩澣な本となって、英國で出版された。其の原本は沖縄図書館にも一部蔵されている。その琉球の部分だけは先年伊波月城氏に依って飜訳せられ沖縄毎日新聞に連載されたから、記憶された方もあろうかと思ふ。この本は極めて面白く琉球の風土文物が記述描写せられてあるので、言語学者のチャンバーレン氏も、幼い時から、殊に祖父さんがこしらへた本として飜閲愛翫したそうである。チャンバーレン氏が後年日本に渡り文科大学に教鞭を執るようになり、更にわが琉球に来り、言語風俗を調査し、其の有名な琉球語の文法書等を著すようになったのも、動機を溯ればこの本が与えた刺激からであったといふ。

扨て私が茲に紹介せんとする眞榮平房昭とは何人かと云ふに、ベージルホール、チャンバーレン氏の探見記に活躍している一人物メーデーラーのことである。メーフラワー號の乗組員中にヘンリー、ホップナーと云ふ青年学者がいた。この人が調べた琉球語の研究が探見記の巻末に載っているが、ホップナーはメーデーラー即ち眞榮平房昭の助力によりて、あれだけの語彙を蒐集したのである。其の時メーデーラーも又帳面と矢立とを携えて、頻りにホップナーに就いて英語を教わり、双方交換教授をしたといふことである。(以下略)

○1928年ー市河三喜編輯『岡倉先生記念論文集』に豊田實が「沖縄英学史稿」を寄せている。豊田は沖縄県の依頼で1928年3月22日から28日まで英語講習のため那覇に滞在した。そこで沖縄県立沖縄図書館長の真境名安興などの協力を得て沖縄英学史を調べたのが前出の沖縄英学史稿として結実した。中に末吉麦門冬の「百年前の英語通」も引用し真栄平房昭の家譜を書いている。(2011年11月)

豊田実 とよだ-みのる
1885-1972 大正-昭和時代の英語学者。
明治18年9月16日生まれ。青山学院教授などをへて,大正14年九州帝大教授となる。戦後,青山学院院長,同大初代学長。日本英学史学会初代会長。昭和47年11月22日死去。87歳。福岡県出身。東京帝大卒。著作に「日本英学史の研究」など。→コトバンク





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写真/伊江朝助、伊波普猷、玉城瑩、伊波普成、當間重慎、渡久地政瑚、東恩納寛文ら後に沖縄の新聞界で活躍する面々が居並ぶ。
玉城瑩は早稲田大学を卒業し母校・一中の国語、漢文、修身の教諭をつとめた。在任中の1917年2月24日に病死した。死亡広告は、男ー玉城理、玉城琉。親戚ー玉城現、大城昌貞。友人ー伊江朝助、伊是名朝睦、金城紀光、崎濱秀主、安村良公、粟国永傳となっている。