1969年2月に沖縄から南方熊楠記念館を訪ねる。同年夏、京都の職場「紅屋」の慰安旅行で紀伊勝浦で遊び(ここで初めてストリップショーを見る)熊野那智大社を参拝。1975年10月、満一歳の息子を連れ高野山(金剛峰寺)に遊んだ。


1971年末、京都丸太町の古書店で『立替え立直し』を買った。梅棹忠夫・上田正昭の対談「出口王仁三郎における変革の思想」が載っていた。発行は亀岡の大本本部天恩郷で、ちょうどそこには沖縄から金城ひろこさんが奉仕活動に来ていることを大城敬人氏の紹介で訪ねた。都沖青の沖縄青年運動の一環で亀岡の渡文や大本亀岡本部はよく訪ねた。本部から離れたところに王仁三郎の生地瑞泉郷がある。大本本部の大本資料室で王仁三郎扮する七福神や神々の写真パネルが展示されていた。王仁三郎手製の楽焼の茶碗も見た。本部で茶道、八雲琴の演奏も聴いた。



近鉄京都駅の近鉄名店街京風喫茶「紅屋」が職場 /右ー寮は南区

寮近くの通り、正面に見えるのが新幹線京都駅

新城栄徳ら京都沖縄青年グループ(都沖青)、京都三条河原町「守禮」に連絡所を置く / 京都河原町三条にあった琉球料理「守禮」/私達の「都沖青」の連絡所であった。 名簿も作ってもらった。



コザ騒動ーその日の前後、私は京都鳴滝にある沖縄学生たち(同志社大・立命館大)の借家のひとつ、山口さんの部屋に居た。沖縄から帰ったばかりの山口さんの婚約者が興奮さめやらぬ口振で語る「コザ騒動」の話を学生たちと聞いていた。



2013年11月 對島路人「『人類愛善新聞』解説」不二出版(☎03-3812-4433 FAX03-3812-4464)
1925年6月9日 「人類愛善会創立趣旨
○本会は人類愛善の大義を発揚し、全人類の親睦融和を来し、永遠に幸福と歓喜に充てる光明世界を実現するため、最善の力をつくさんことを期するものである。
 そもそも人類は」、本来兄弟同胞であり、一心同体である。この本義に立ちかえらんとすることは、万人霊性深奥の要求であり、また人類最高の理想である。しかるに近年世態急転して世道日に暗く、人心日に荒びてその帰趨真に憂うべく、おそるべきものがある。かくの如くにして進まんには、世界の前途は思いしらるるのである。
 されば吾等はこの際躍進して、あるいは人種、あるいは国家、あるいは宗教等あらゆる障壁を超越して人類愛善の大義にめざめ、この厄難より脱し更に進んで地上永遠の光明世界を建設しなければならぬ。これ実に本会がここに設立せられたる所以である。
 ○「人類愛善会要項」1、世界は一つであり、人類は本来同胞である。 2、戦争と暴力を否定する。 3、われよし、つよいものがちの社会悪をなくする。4、人間を尊重し働くよろこびに生きる。5、自然を愛し、健康といのちを守る。6、民族固有の文化を重んじ、国際理解と交流につとめる。7、人類愛善・万教同根の主旨にもとづき、世界平和の理想実現を期する。

出口王仁三郎「愛善の世界」
 隔てなき日光(ひかり)のもとに住みながら別けへだてする世人(よびと)ごころよ
 愛善のこころ世界にみちぬればこの世はたちまち地上天国
 野に山に神の恵みは満ちぬれど心なければ目にもとまらず
 景色よき大海原の山河は愛と善とのあらはれなりけり
 木も草も天わたりゆく月の露うるほひうけて栄えよくなり
 花にほひ小鳥は歌ひ蝶は舞ふゐながらこの世は地上天国
 目に見えぬ神の御国も現世も愛善神のすみ家なりけり
 天地に愛の発動なかりせば森羅万象ほろびゆくべし
 愛といふは国家社会をはじめとし森羅万象をまもる道なり
 森羅万象愛の言霊によみがへり果てしも知らに栄えゆくべし


○1954年4月1日 出口栄二、大本青年会長。4月5日 人類愛善会「原水爆禁止運動」を展開
○1992年『人類愛善』上田正昭「王仁だましいに学ぶ」
私は、亀岡市曽我部町穴太の出身で、奇しくも、出口王仁三郎先生とは同郷です。(略)日本の神話では正統でない国常立尊を重視し力説されたのは、私の知るかぎり、出口王仁三郎が最初ではないかと思います。また、高天原を悪神として追放された素戔嗚尊の神格を高く評価されています。王仁三郎はこの素戔嗚尊を、天地八百万の罪あるみたまの救主、つまり贖罪の神であるとも説いておられますが、この解釈も王仁三郎が独自です。私の恩師折口信夫先生もこうした見解を表明されました。(略)今でこそ世界中で”軍備撤廃””核廃絶”と言っていますが、出口王仁三郎は1945年(昭和20)にすでに、世界の軍備撤廃を強く主張し、その時代が近づきつつあると予言していたのです。・・・・

○素戔嗚尊□日本神話で,特異で劇的な役を演じている凄まじい暴力と武勇の持ち主の神。『古事記』に須佐之男命,速須佐之男命,建速須佐之男命,『日本書紀』に神素戔嗚尊,速素戔嗚尊になどとも記される。『古事記』では,伊邪那岐命(イザナキノミコト)が黄泉国から帰って,禊ぎをしたとき,天照大神(アマテラスオオミカミ)と月読命(ツクヨミノミコト)が誕生したのに続いて生まれた,「三貴子」の末弟。父イザナキから海原の支配を命じられた。『日本書紀』の本文では,蛭児の次に誕生したイザナキと伊奘冉尊(イザナミノミコト)の子。使命を果たさず,鬚が長く生えても泣きわめき続けて,草木を枯らせ,河と海を干上がらせ,怒った父に根の国へ追放された。アマテラスに暇乞いに天に上り,武装した姉に出迎えられ,厳しく詰問されたが,誓約による子生みをして,邪心のないことを証明した。この勝利に有頂天になり,高天原で田を荒らし,新嘗の宮を汚すなどした末に,アマテラスが咎めずに庇うと,いっそうつけあがって,機織殿に皮を剥いだ馬を投げこみ,驚いた織女を死なせ,ついに怒った大神が岩屋に隠れ,天地が暗黒になる事件を起こし,鬚と爪を抜かれ,天から放逐された。 出雲(島根県)に降り,肥の河(斐伊川)上で,8つの頭と8本の尾を持つ巨大な怪物の八岐大蛇を退治して,その犠牲になろうとしていた奇稲田姫(クシイナダヒメ)を助け,また尾のひとつから草薙剣を得て,アマテラスに献上した。クシイナダヒメと結婚し,須賀に宮を建てて住み,大国主命らの祖先になった。のちに娘の須勢理毘売命(スセリビメノミコト)と共に根の国に住み,そこにオオクニヌシが,異母兄弟の八十神の迫害を逃れ,訪ねてくると,試練に遭わせた上に,焼き殺そうとさえした。だが最後には,彼が妻にしたスセリビメを背負い,琴と大刀と弓矢を持って,地上に帰ることを許してやったうえに,八十神を征伐して,国の支配者になれと命令し,またオオクニヌシなどの名も授けたという。島根県八雲村の熊野大社や,京都市の八坂神社など,多くの神社に祭られている。<参考文献>河合隼雄ほか『日本神話の思想』 (コトバンク)

○1962年2月 出口栄二、琉球訪問ー沖縄戦の体験を金城真行、謝花雲石から聞く/7月19日、出口栄二、北京で周恩来と会見
null
1972年2月10日ー出口直美・栄二御夫妻を中心に大本琉球主会で「琉球国魂鎮座祭」。主会屋上で
〇沖縄那覇の大本琉球主会での出口直美・栄二①夫妻列席のもと行われた「琉球国魂神鎮座祭」には私も参加した。上田正昭氏の自宅は瑞泉郷に隣接しており何かと大本には縁がある。当時、京都で発行されていた『日本のなかの朝鮮文化』の執筆常連でもあった。沖縄との関わりも多い。私も朝鮮文化社にはよく遊びに行き、編集室奥の部屋で鄭詔文さんのコレクション、李朝の白磁などの陶器を見せてもらった。


愛善苑でー出口三平氏(左)/1995年ー右が琉球での出口信一氏(1949年8月~2009年9月)

1997年10月31日『沖縄タイムス』新城栄徳「出口王仁三郎 予言の芸術展」