新しい日本のために――発刊のことば
古い日本は影をひそめて、新しい日本が誕生した。生れかわつた日本には新しい国の歩み方と明るい幸福な生活の標準とがなくてはならない。これを定めたものが新憲法である。
日本国民がお互いに人格を尊重すること。民主主義を正しく実行すること。平和を愛する精神をもつて世界の諸国と交りをあつくすること。
新憲法にもられたこれらのことは、すべて新日本の生きる道であり、また人間として生きがいのある生活をいとなむための根本精神でもある。まことに新憲法は、日本人の進むべき大道をさし示したものであつて、われわれの日常生活の指針であり、日本国民の理想と抱負とをおりこんだ立派な法典である。
わが国が生れかわつてよい国となるには、ぜひとも新憲法がわれわれの血となり、肉となるように、その精神をいかしてゆかなければならない。実行がともなわない憲法は死んだ文章にすぎないのである。
新憲法が大たん率直に「われわれはもう戦争をしない」と宣言したことは、人類の高い理想をいいあらわしたものであつて、平和世界の建設こそ日本が再生する唯一の途である。今後われわれは平和の旗をかかげて、民主主義のいしずえの上に、文化の香り高い祖国を築きあげてゆかなければならない。
新憲法の施行に際し、本会がこの冊子を刊行したのもこの主旨からである。
昭和二十二年五月三日 憲法普及会会長 芦田 均


◇もう戦争はしない
私たち日本国民はもう二度と再び戦争をしないと誓つた。(第九条)
これは新憲法の最も大きな特色であつて、これほどはつきり平和主義を明かにした憲法は世界にもその例がない。
私たちは戦争のない、ほんとうに平和な世界をつくりたい。このために私たちは陸海空軍などの軍備をふりすてて、全くはだか身となつて平和を守ることを世界に向つて約束したのである。わが国の歴史をふりかえつてみると、いままでの日本は武力によつて国家の運命をのばそうという誤つた道にふみ迷つてゐた。殊に近年は政治の実権を握つていた者たちが、この目的を達するために国民生活を犠牲にして軍備を大きくし、ついに太平洋戦争のような無謀な戦いをいどんだ。その結果は世界の平和と文化を破壊するのみであつた。しかし太平洋戦争の敗戦は私たちを正しい道へ案内してくれる機会となつたのである。
新憲法ですべての軍備を自らふりすてた日本は今後「もう戦争をしない」と誓うばかりではたりない。進んで芸術や科学や平和産業などによつて、文化国家として世界の一等国になるように努めなければならない。それが私たち国民の持つ大きな義務であり、心からの希望である。
世界のすべての国民は平和を愛し、二度と戦争の起らぬことを望んでいる。私たちは世界にさきがけて「戦争をしない」という大きな理想をかかげ、これを忠実に実行するとともに「戦争のない世界」をつくり上げるために、あらゆる努力を捧げよう。これこそ新日本の理想であり、私たちの誓いでなければならない。




2007-05-14 弁護士 東中 光雄[日本国憲法誕生の頃の思い出と改憲策動]
1.私は昭和二十年八月十五日正午、北海道の千歳航空隊で天皇のラジオ放送を聞いた。天皇は「朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾せしめた……堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す……」と宣ったのであった。そして、間もなく、私は零戦特攻隊の任務を解かれ、九死に一生を得て、復員した。
2.復員直後から、私は「開世録」を作り、終戦の「詔書」と「内閣告論」、「カイロ宣言」「ポツダム宣言」の全文を筆記し、更に、「米国の初期対日占領政策」(「武装解除並びに軍国主義の抹殺」「個人の自由及び民主主義の助長」「経済上の非軍事化」等々)やGHQの「政治・信条並びに民権の自由に対する覚書」の全文を筆記して、これをにらんで、先の戦争への反省、今後の国のあり方、個人の生き方について、苦悩の月日を送っていた。
3.昭和二十一年四月十日、私は戦後最初の総選挙・日本で最初の男女平等の普通選挙に参加し、投票に行った。そして五月十六日、第九十帝国議会が招集され、六月二十日、この帝国議会に「帝国憲法改正案」として、日本国憲法草案が提出され、明治憲法第七十三条の手続(三分の二以上の出席、三分の二以上の多数で採決する)に従って、最終的に十月七日、衆議院で可決、成立した。そして、十一月三日、日本国憲法として公布され、翌年五月三日に施行されることとなったのである。
4.憲法公布の日から約一ヶ月後、帝国議会内で両議院の議員や学者、ジャーナリスト等で、「憲法普及会」が組織された。
  普及会は憲法施行の日、小冊子「新しい憲法 明るい生活」(二千万部)を刊行して、新憲法を次のように説明している。
「私たち日本国民は、もう二度と再び戦争をしないことを誓った。これは新憲法の最も大きな特色であって、これほどはっきり平和主義をあきらかにした憲法は世界にもその例がない。本当に平和な世界を作りたい。このために私たちは陸海空軍などの軍備をふりすてて、平和を守ることを世界に向かって約束したのである。…」と記述する。
  また、同じ二十二年八月、文部省発行の中学一年生の教科書、「あたらしい憲法のはなし」は「こんどの憲法では、日本国がけっして二度と戦争をしないように二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争するためのものはいっさいもたないということです。これを戦力の放棄といいます。
  もう一つは、…よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手を負かして、自分のいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。…また、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことを決めたのです。これを戦争の放棄というのです。…みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。」と記述する。
  以上が、憲法制定時期、国民に明らかにされた日本国憲法の内容である。なおこの教科書は数年で文部省は廃止した。
5.しかし、この新しい憲法の改定策謀は、憲法施行の翌年からはじまった。一九四八年五月、アメリカのフォレスタル国防長官が、日本に軍隊を持たせるための方策の研究を指示し、翌一九四九年二月、米統合参謀本部が、「日本の限定的再軍備ついて」という報告書を出し、「極東でソ連と戦うとき、アメリカの人的資源節約のため、日本に軍隊を創設する必要がある。そのためには、憲法が大きな障害になる。今は限定的な再軍備で間に合わせ、最終的には憲法を変えて本格的な軍隊をつくる道を考えよう」と報告した。そして翌年五十年、マッカーサー指令で警察予備隊を創設し、五十四年には自衛隊に格上げした。五十二年は日米安保条約の締結、六十年安保で日米共同作戦体制を作った。そしてまた、五十五年保守合同で自民党が自主憲法制定を打ち出したのである。
  要するに、日本の改憲策動は、安倍首相の言うように、憲法制定後既に六十年、時代に合わなくなったからやるのではなく、憲法施行の直後、一九四八年から、アメリカ主導で始まったものである。