1957年6月9日『琉球新報』石野朝季「関西の沖縄地帯ー郷里の体臭ただよう ミナト神戸に沖縄通いの船」/1957年10月27日「商都に生きる(2)儀間比呂志ー商都のボヘミアン 画面に”生きるうた〟を」


1959年2月13日『琉球新報』「帰省した沖縄青少年勤労者後援会代表の幸地長堅氏」


1959年3月『琉球新報』写真と文・石野朝季、スケッチ・儀間比呂志「大阪と那覇 あまくま」


1月23日ー■沖縄人民党中央機関紙『人民』創刊号
        3月6日  『人民』「発刊記念祝賀会ー満員の那覇劇場」 
   
1963年
      
7月15日『人民』 「核戦争をひき起こす原子力潜水艦 みんなで力を合わせ反対しよう」
1967年1月1日「『人民』「わらび座で勉強中の瀬長千尋さんの便り」
      1月14日 『人民』「宮里政秋「入党のころー南灯寮で民謡サークル結成」
      6月17日 『人民』 「瀬長千尋「わらび座に学んで」①
      7月8日  『人民』 「神山孝標「党史を語る」(1) 

      7月15日 『人民』「沖縄で生まれた解放の闘士ー井之口政雄」
      9月9日 『人民』「基地経済の実態ーその内幕をのぞく 米兵相手に売春」(1) 
      
      1967年11月 『物語青年運動史ー戦前編ー』日本青年出版社

1968年
      6月22日『人民』 瀬長亀次郎「12年ぶりの本土ー売国奴 吉田茂を英雄に、国葬に怒り」
      11月9日 『人民』瀬長千尋「父の当選をねがって」


1969年4月 『文化評論』№91<特集・沖縄の歴史・教育・文化>安仁屋政昭「沖縄の近代をささえた人びと」/1970年11月 『文化評論』№110<特集・日本文化における沖縄> 新里恵二「沖縄学の伝統と展望」
     12月28日 『人民』瀬長千尋「1968-文化運動の成果」

1970年1月1日『人民』 伊波広定「わが映画物語」(1)
      4月4日 『人民』「渡嘉敷島自決の責任者 赤松の来県」
5月2日 『人民』「タクシー乗っ取りにやっきになる右翼『東声会』ー公共企業であるタクシーが行動右翼『東声会』(宜保俊夫支部長)の手につぎつぎ渡るという事態がおき問題になっています。・・・」「謀略基地をあばくー4-」      

8月8日 『人民』「東京都の美濃部亮吉①知事は7月29日来沖、4日間にわたって沖縄各地を視察し8月1日帰京ー基地・公害で多くの示唆」
①美濃部亮吉 【みのべ りょうきち】1904〜1984(明治37年〜昭和59年)【政治家】「都政の主人は都民」。 美濃部スマイルで親しまれた、革新都知事。昭和期の経済学者・政治家。東京都出身。父は天皇機関説で知られる美濃辺達吉派。東大卒。1932年法政大学教授となるが、1938年人民戦線事件で解雇。第二次大戦後は、東京教育大学教授から統計委員会事務局長などを務めた。1967年(昭和42)東京都知事に当選、以後住民との対話路線と高福祉政策で革新都政を3期12年務めた。1980年衆議院議(コトバンク)   

1970年
9月ー『国政参加選挙の争点と沖縄人民党の四大基本政策』
□重大な意義をもつ国政参加選挙/沖縄県の無条件全面返還のために-核も毒ガスも基地もない沖縄を/平和で豊かな沖縄の復興と民主的な県づくりのために-基地も公害もない豊かな経済復興を/国政にたいする人民党の態度と政策ー独立、民主、平和、中立の日本を実現するために/新米・反動の自由民主党をうちやぶり、人民党をはじめとする祖国復帰統一戦線勢力の勝利をかちとるために 

1970年ー沖縄人民党中央委員会『沖縄人民党二十三年のあゆみー1947~1970』
12月26日『人民』 瀬長千尋「70年の文化運動をふりかえって」   

1971年1月1日 『人民』小渡清孝「随想ー伊良部の心」/「金武湾を守る婦人たち」
     1月9日『人民』 「米軍演習阻止に決起する国頭村民」
      1月16日『人民』「毒ガス移送ー不安と恐怖になかで」/「反復帰の迷走ー新沖縄文学の特集にみる」
      1月23日『人民』「敗北の思想『反復帰論』」
      1月30日『人民』徳吉裕「前原穂積『戦後沖縄の労働運動』を読んで」
      2月6日『人民』 仲松庸全「公害調査旅行を終って」/「新里恵二『沖縄史を考える』」
      2月13日『人民』「政党否定と『反復帰論』」
      4月17日『人民』「軍事占領支配下26年 沖縄の請求書 その1」「米軍”特殊基地”の実            態」/「『四月の炎』創刊を祝す」
      5月1日 『人民』宮城倉啓「ストでかちとった労働三法」
      5月8日 『人民』松村拳「沖縄の放送ーフジ系『沖縄TV』の開局」④
      5月22日 『人民』「沖縄の放送 言論統制しくむOHKの設立」
      6月5日 『人民』 外間政彰「歴史民俗資料展の成果ー那覇市民の力の結実」
      6月19日 『人民』伊波広定「新里惠二氏に聞く」
      7月10日 『人民』「沖縄防衛とりきめによる自衛隊配備計画ー自衛隊はくるな、高まり広がる             反対運動」
null
1970年9月 瀬長亀次郎『沖縄人民党ー闘いの二十五年』新日本出版社(装幀・儀間比呂志)/8月7日  『人民』儀間比呂志「沖縄を描くー絵画を語る」
     
 8月14日『人民』 仲地哲夫「伊波普猷から何を学ぶか」、宮里栄輝「図書館時代の伊波先生」、伊波冬子「夫・伊波普猷の思い出」、山田義時「伊波先生25年忌について」 
null
1971年9月『文化評論』№121<特集・沖縄論の思想>仲地哲夫「第三の琉球処分ということ」、西里喜行「近代沖縄の課題と差別問題」、安仁屋政昭「沖縄戦の記録とその思想」、津田孝「沖縄問題と現代の作家」、嶋津与志「沖縄協定調印前後」/写真・左から来間泰男氏、伊波広定氏、謝名元慶福氏、新城栄徳

       10月2日 『人民』砂川栄「謝花昇と自由民権運動」、大里康永「伝記を書いた動機」 
    null
       10月23日『人民』 「沖縄基地はアジア侵略の跳躍台ー協定発効後も変わらぬ核戦争基地」        10月30日 『人民』山田有幹「社会主義運動―沖縄青年同盟の結成 『無産者新聞』がパイプ」「特修ー戦前沖縄の社会運動 関係各氏に聞く(平文吉/兼城賢松/島袋良繁/比嘉光成/久高将憲)」

null
写真、山田有幹夫妻を囲んで左から浦崎康華、松本三益/浦崎康華、松本三益
null
      12月11日 『人民』 松本三益「戦前沖縄社会運動の思い出」

      12月18日 『人民』 幸喜達道「戦前の社会運動ー印刷職工組合の結成と無産者のたたか                い」
1971年9月 『文化評論』№121 <特集・沖縄論の思想> 安仁屋政昭「沖縄戦の記録とその思想」
/仲地哲夫「第三の琉球処分ということ」

1971年12月 『文化評論』№124 北川民次「表紙絵」、伊藤嘉昭「侵略戦争と自然科学者の責任ーベトナムの枯葉作戦に反対する日米科学者の運動」、新里恵二「沖縄近代史の諸問題」、河邑重光「トロツキストの沖縄論」、鹿地亘「キャノンの横顔」、仲地哲夫「読書ノート 儀部景俊・安仁屋政昭・来間泰男『戦後沖縄の歴史』日本青年出版社」

1972年1月 『前衛』<核と謀略の基地沖縄>

◇沖縄における核部隊の配備ー日米協定のもっとも重大な問題点の一つが「核」の問題にあることは、いうまでもないことである。調査団もこの問題の追及に大きな力をそそいだが、今回の調査の結果、日米沖縄協定発効後も沖縄に配備を予定されている。一連の部隊と基地ー第三海兵水陸両用部隊(海兵隊)、第一八戦術戦闘航空団および第400弾薬整備隊(空軍)、第二兵站軍団(陸軍)、第七艦隊第七二機動部隊(海軍)ーいずれも核攻撃機能を持ち、あるいは核兵器の貯蔵・管理にあたっている核戦争兵力であることが、調査団の入手した米軍資料および独自の現地調査によって、あきらかにされた。◇「核」の疑惑につつまれる辺野古弾薬庫



 

1978年10月 『たげぇに ちばやびら』瀬長亀次郎後援会


1983年10月 『こんにちはセナガ亀次郎です』瀬長亀次郎事務所



    1月1日 『人民』 沖縄県民のみなさん 1972年 あけましておめでとうございますー蜷川虎三京都府知事・黒田了一①大阪府知事・美濃部亮吉東京都知事」  

①黒田了一 くろだ-りょういち
1911-2003 昭和時代後期の法学者,政治家。
明治44年3月16日生まれ。昭和14年満州(中国東北部)で大同(だいどう)学院教官となり,戦後ソ連に抑留される。31年大阪市立大教授。46年革新統一候補として大阪府知事に当選。50年共産党の単独支持により再選された。54年弁護士となる。平成15年7月24日死去。92歳。大阪出身。東北帝大卒。著作に「日本国憲法論序説」など。(コトバンク)
黒田了一 くろだ-りょういち 1911-2003 昭和時代後期の法学者,政治家。明治44年3月16.....

null(儀間比呂志「カット」)
黒田了一資料
        1月22日『人民』 山田英盛「戦前の社会運動ー本のなかに『赤旗』が」
      2月5日 『人民』 国吉真哲「戦前の社会運動」
      3月25日 『人民』 「又吉一郎豊見城村長に聞くー京都に見る革新行政・蜷川虎三知事とは、2時間にわたってお話する機会がありましたが、学生時代に糸満に調査に来られたお話や、府民本位で府政をすすめていることなど、たいへん感動することばかりでした。」
null
蜷川虎三資料

蜷川虎三 にながわ-とらぞう 1897-1981 昭和時代の経済学者,政治家。
明治30年2月24日生まれ。昭和14年母校京都帝大の教授。23年初代中小企業庁長官となるが,25年吉田茂首相と衝突して辞任。同年社会党公認で京都府知事に当選,以後連続7選。「憲法を暮らしの中に」をかかげ,教員の勤務評定反対,減反政策反対など独自の府政を推進した。昭和56年2月27日死去。84歳。東京出身。著作に「統計学研究」など。(コトバンク)

null 
      4月8日『人民』 「瀬長議員が鹿山事件で質問」

1972年5月 『歴史地理教育』№196<特集・沖縄県に学ぶ>儀部景俊「これからの沖縄問題」、金城正篤「沖縄史のとらえ方」、田港朝昭「沖縄学習の意味」、金城弘子「沖縄の子どもたち」、西里喜行「近代沖縄の歴史と差別問題」、来間泰男「沖縄に関する文献案内」/早乙女勝元「東京大空襲と紀元節」


1072年7月 日本民主青年同盟『青いしぶき』小渡清孝「発刊にあたって」

写真ー中列左から小渡清孝氏、→阿里山森林鉄道/沖縄人民党中央委員会書記局『沖縄基地の実態と機能』

1972年11月 『宮本顕治対談集』新日本出版社〇加藤周一、土門拳、臼井吉見、久野収・鶴見俊輔、徳川無声、久野収、『世界』編集部、臼井吉見、松本清張、『朝日ジャーナル』編集部、前田武彦、臼井吉見、岡村和夫・草柳大蔵・清水慎三、家城啓一郎、富士真奈美、武田泰淳、『世界』編集部


宮本百合子研究家の大森 寿恵子さん(1920年 ‐ 2010年1月4日)を囲んで、右端が新城栄徳
【宮本百合子】 1899‐1951(明治32‐昭和26)
小説家。東京生れ。大正期の著名な建築家中条精一郎の娘。本名ユリ。日本女子大予科のとき《白樺》派風の人道主義的な中編《貧しき人々の群》(1916)を発表,天才少女として知られた。1918年からのアメリカ留学中,日本人で中年の古代イラン語学者と結婚,以来4年にわたる不幸な結婚生活を描いた長編《伸子》(1928)は近代日本文学の第一級の作品である。自由な人間の手ごたえを求めて,めげずに現実に立ち向かってゆき,それを切りぬけた場所でその全体験を自己に即してつぶさに描く,というのが特色で,それは戦後の《播州平野》(1947),《道標》(1950)等の主要作にも一貫している。(→コトバンク)


下ー沖縄県庁の紀念版「起工 大正7年4月7日 定礎 大正7年8月5日」「沖縄県知事従四位勲四等 鈴木邦義/沖縄県内部部長正五位勲五等 和田潤/沖縄県技師 正六位 品川圭介/沖縄県庁舎建築工事顧問 中條精一郎/沖縄県庁舎建築工事技手 樋口敏彦/沖縄県舎建築工事技手 大西禎治」
1944年の宮本百合子の日記
10月19日(木曜) 大宜味(つる子)さんをよぶ。金、土、日、ひまがなさそう故。声は大して変わっていなかったが、玄関を入って来るのを見て、目が大きくなるようだった。7月にパラオを出て三ヶ月の間経た辛苦がまざまざと、その色の黒みにも、やせかたにもあらわれている。神戸の南洋庁でくれたというモンペの上下着ている。三ヶ月の間の苦労は言語に絶したものらしい。(略)10日にやっと東京に来て、早々沖縄のナハが焦土となったニュースを得たのだから気の毒・・・。

1973
       1月27日 『人民』「話題の人ー竹田秀輝さん」
       4月7日 『人民』 「沖縄人民党第17回党大会の成功に期待する」

1973年6月 永田久光『赤旗戦略』講談社


      7月21日『人民』 「対談・池宮城秀意×瀬長亀次郎ー人民党創立の頃から反共攻撃 池宮城ー共産党との合流予想した」。新里恵二「沖縄人民党創立の歴史的意義と今後の展望」/1964年の池宮城秀意一家

null
null
森口豁『ヤマト嫌いー沖縄言論人・池宮城秀意の反骨』講談社1995年9月

null
       9月29日『人民』 「瀬長議員、沖特委で政府をするどく追及ー軍用地料より安いキビ価格」
1974年
null
      1月1日 『人民』 源河朝良・作、青山恵昭・挿し絵「炎の街」連載
      1月12日『人民』 「演劇対談・村山知義×仲井真元楷」「読書ー『沖縄思潮』新しい沖縄の総合雑誌」
      1月19日『人民』 「主張ー『沖縄民報』にひきつがれる『人民』の歩み十二年」


2005年10月3日『しんぶん赤旗』「日曜インタビュー/儀間比呂志さんーハンセン病差別なくしたい」