2000年4月 儀間比呂志『沖縄の鳥人 飛びアンリー』海風社



出版祝賀会案内状/2000年4月13日『琉球新報』新城栄徳「儀間比呂志と沖縄の文化」



平良次子さん、新城さやか


儀間版画カレンダー「南西航空1980」

田園書房 南風原店「儀間比呂志先生サイン会」/儀間版画カレンダー「琉球銀行1991・沖縄銀行2002」


1943年9月 月刊『文化沖縄』新垣源蔵「琉球の火術雑考」 
○「頂姓系図」支流(越来村字越来の安里家の系図)によると、この内の一人安里筑登之は、安里家六世の祖安里周英と云ふ者で、この人の父が周當で、有名な火花師である。沖縄で始めて焰硝製出に成功した人である。宮里良保氏の発表された飛行機の発明者も、安里周祥でなくこの周當だと自分は考へている。何故なら周祥はこの人の四男であり、系図には事跡は明らかでない。・・・
1943年10月 月刊『文化沖縄』与那国善三「飛び安里の話」
 

琉球の「飛び安里」を世界に紹介した宮里良保


2015年6月 島袋恒政・島袋和幸『鳥人・飛び安里考』大和印刷(電話 03-3862-3236)定価・送料共1000円
発行ー『沖縄の軌跡』発行人・島袋和幸(〒124-0011 葛飾区四ツ木4-18-10 携帯090-4920-6952)
島袋和幸「沖縄の鳥人<飛び安里・花火師>」
 沖縄の鳥人<飛び安里・花火師ヒハナジ>は、ことに沖縄では偉人と言われている。それは、約二百年前に<飛行>、つまり空を飛ぶ事について試行錯誤していた可能性があるからだ。その<飛び安里>について、彼が研究したであろう<飛ぶ>という事と、<沖縄の偉人>としてのロマンから、飛び安里について多くの方々が新聞や雑誌。書物などで言及されている。一方マスコミで取り上げられたことも数多いのである。しかし、こうした取り組みの中にあって、決定的な文献が無いとか、実際に飛んだ<飛び安里>とは一体誰なのかとか、又、飛んだ場所等についても諸説があったりで、実際には多くの方々を巻き込んで議論が尽きないのである。
 こうした中で島袋恒政氏は、「二百年前の初飛翔/コンピューターで性能解明へ」(『沖縄タイムス』昭和62年2月14日)、「<跳び安里>のロマン再び/資料から模型製作/二百年前に精巧な設計」」(『沖縄タイムス』昭和62年5月10日)という新聞記事になる、<想像図>を国立国会図書館で発見している。それは約30年も前のことで、これ以降、地元新聞紙上や雑誌などで盛んに取り上げられた。その後も、同氏は各種資料や書物に真実を求めて追求してきた。安里家の遺族関係者や、貴重な証言、珍しい資料などが埋もれてしまう前に記録しておきたいという強い思いがある。
 私は、約20年前に<飛び安里>研究に緒をつけた『科学画報』の記者、宮里良保について人となりを記録していた。さらに、15年前ほど前から民間航空の始祖である奈良原三次(奈良原繁沖縄県知事の嗣子)についても記録を行っていた。そして、いがいにも沖縄人の飛行機研究者が明治・大正期の早い時期から多かった事を知る。こうした事情等を島袋恒政氏の<飛び安里>についての博識な知識と、資料の記録をお手伝いしたいと思った次第である。

1999年3月28日『琉球新報』【南風原・玉城】「飛び安里の夢、再び」。南風原町の町おこしグループ「すきです南風原・夢・未来委員会」(島袋宗一会長)が、琉球王朝時代に空を飛んだ「飛び安里」の羽ばたき機をこのほど復元させ、27日午後、玉城村前川の丘陵地で初フライトにチャレンジした。想像図を基に約半年がかりで製作した復元機は、絶好の北風を受け、ふわりと空へ。伝説の翼が時を超えてよみがえった。 「町おこしのため、皆で何かできることはないか」と「飛び安里」の復元飛行を発案したのが、同委員会を立ち上げた8年前。島袋さんが会長に就任した2年前から本格的な作業に取り組み、昨年9月に復元機の製作に着手。試行錯誤を繰り返しながら、延べ60人がかりで完成にこぎつけた。
機体は、メンバーの島袋恒政さんが国会図書館から見つけてきた「飛び安里の羽ばたき機」の想像図を基に設計。主翼の幅が8・6メートル、長さ4・6メートル、高さ1・6メートル、重量25キロ。竹の骨組みで、翼はパラグライダーの素材を活用。一部に南風原町特産の絣(かすり)も取り入れた。初フライトのこの日、本番直前まで豪雨に見舞われたが、関係者の祈りが通じたのか雨も上がり、風速約5メートルの絶好のコンディションに。パイロット役としてパラグライダーインストラクターの仲里裕和さん(44)=佐敷町=が、機体に乗り込み準備が整った。
城間俊安町長をはじめ、多くの関係者が見守る中、タイミングを見計らって助走を開始。ハンググライダーの離陸の要領で斜面を駆け降りると、風を受けた機体はふわりと空中へ。高さ二メートルほどで、約15メートル飛行し、わずか数秒ながら初フライトは無事成功した。飛行を見守っていた島袋会長は「やった。すごい」と感激の第一声。「次はもっと飛べると確信した。これで目的は達成した。230年前の飛び安里の話も、これで実証された」と笑顔を見せた。ぶっつけ本番で緊張ぎみだった仲里さんは「思ったより難しかった。しかし、これでコツはつかめた。この機体で飛ばせてもらっただけで満足です」と話した。


自動車の知識(誠文堂十銭文庫 33) 宮里良保 著
宮里の本や資料については島袋和幸に問い合わせてください。〒124-0011東京都葛飾区四つ木4-18-10 ☎03-3695-9276 島袋携帯090-4920-6952

○1913年11月 素人飛行家、渡辺又一、勢理客鍋(佐敷村出身)両氏は渡辺氏の作成に係わるカーチス式複葉飛行機の滑走を試みるべく、両氏は数日前よりこれが組立に従事し、いよいよ飛行の当日は、先ず渡辺氏が滑走を試みたる後、勢理客氏又滑走を試みる筈にて行く行くは渡辺氏の飛行機に、勢理客氏の所有にかかるインジン(機関)を据えつけ、佐村氏の監督の下に天晴れ飛行家とならんとの決心を抱き居りたり。然るにピンカム知事は、これら飛行家の苦心を無視し、ハワイ軍区長官カーター少将の命によれりとて、遂に飛行を差し止むるに至りたり。『新聞にみるハワイの沖縄人90年』比嘉武信/編著 1990/10/01 若夏社