05/21: 川崎正蔵

Category: 01-人物名鑑
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コルシカ島生まれのナポレオンは、新聞一紙は5千の兵に匹敵するとし新聞統制を計り活用した。駅逓頭・前島密が指導した『郵便報知新聞』が創刊された1872年、川崎正蔵は大蔵省の命で琉球物産調査に赴き「経済交流で琉球を日本に依存させよ」と主張して前島に認められて日本政府郵便蒸気船会社の副頭取に就任し、琉球との郵便航路を開設。73年には海軍大佐柳楢悦らが測量で来琉した。川崎は後に川崎造船所を興し神戸又新日報社、神戸新聞社にかかわる。郵便報知は後に報知新聞となり読売新聞と合併する。

□1918年9月 山本實彦『川崎正蔵』 
□1928年10月 『目録』(神戸 川崎男爵家蔵品入札目録)
□1936年2月 『神戸 川崎男爵家蔵品入札目録』
「支那宋、元古画の蒐儲に於いて、世界にその名を知られている川崎美術館は、神戸川崎男爵家の先々代・故川崎正蔵翁が明治23年神戸布引の邸内に建設されたもので、一に長春閣と呼ばれている。これは其当時翁と親交のあった伊藤博文公が命名されたのである。



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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
1946年3月発行の屋良朝陳『琉球秘史劇・巴旗乃曙』に「那覇港内には山原船の帆柱、なほ唐船の二三艘が浮かんでいる。大小の琉球船にはすべて帆船といはず、てんま船と言はず、巴旗が掲げられて、翻々と風になびいている。遠く近く船歌などの流れて来る。海運國の活気を呈しながら、また何といふ太平の姿であらう。港町にあり勝な喧嘩沙汰などもここでは見られないし、生活難など薬にしたくもないので、廃頽的なものはこの港にかぎってないことが保証される。生活即芸術といふ人類の理想生活は実に琉球王國によって始めて実現しているやうで、よくその情景を呈している。」と始まり巻末には「琉球國旗ー巴旗」が載っている。これを実際の旗にしたのが、那覇市歴史博物館に2旗所蔵されているが、学芸員の話では誰がいつ寄贈したのかも、何に使用されたのかも不明という。


写真ー「琉球國旗ー巴旗」右端が新城栄徳(5月18日、那覇市歴史博物館入口にて)

Category: 04-書の森
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中村文雄氏の『語り継ぐ めーぎぃらま)・渡嘉敷村字前島』が発刊されました。沖縄の離島に関心のある方の必読本です。本代1000円、送料200円です。連絡先は〒901-3500渡嘉敷村字前島76番地 携帯090-8290-6361

慶良間3
2012年ー中村文雄『語り継ぐ めーぎぃらま)・渡嘉敷村字前島』大和印刷(大城盛和)東京都千代田区岩本町2-5-2 電話03-3863-3236

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中村文雄氏
渡嘉敷村前島出身 1938年南洋群島トラック島生まれ4歳に引き揚げ前島で育つ。14歳に那覇市へ集団移住。定年後に無人島の故郷前島復興を目指し夫婦で再移住。<前島復興住民の会会長>


□2012年5月17日『沖縄タイムス』「前島に『有人島』の証しー出身者・中村さんが記録本出版」

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Category: 02-関西の沖縄
Posted by: ryubun02
1972年
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<b>上左・1972年11月ー『青い海』18号所載の『琉球の文化』広告
右は1972年11月発行の沖青友の会機関誌『石の声』所載の『琉球の文化』と『青い海』の紹介。


1972年1月ー『青い海』10号□若者が集う「沖縄関係資料室」の西平守晴氏宅ー西平沖縄関係資料室主宰「柳宗悦という人を皆さんもよく知っていると思う。沖縄の民芸を高く評価した人だが、その人が昭和14年に書いた『琉球の富』の序に次のような言葉がある。<人々は今まで余りにも暗い沖縄を語り過ぎていたのです。私たちは優れた沖縄を語りたいのです。それは私達を明るくし島の人々を明るくさせるでしよう。私達は実に多くの富に就いて語り合いたいのです。沖縄に就いて歎く人々のために、又この島に就いて誤った考えを抱く人々のために、又自国を余りにも卑下して考える土地の人々のために、そうして真理を愛する凡ての人々のために、この一文が役立つことを望んで止まないのです。> この30年も前の文章が、私の今の気持ちを言い当てています。-」

Category: 01-人物名鑑
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1922年2月11日ー新城三郎、那覇市三重城近くの借家で生まれる。父・蒲は山原船の船頭。従兄弟の安里蒲の商売(薪)も手伝っていた。出生時は奄美近海に流されていた。母カマと姉(ウト)が世話をした。
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写真ー新城三郎の父・蒲と母カマ(抱いているのは新城栄徳、二人にとって初孫である。)


1934年1月ー新城三郎、那覇市辻町(御願の坂)國吉料理店で板場修行。同年の粟国出身の調理士は、四つ竹の新里。みはらしの玉寄松。玉川の仲間、一味亭の新城、仲里、山城、新城。京ヤの又吉。國吉料理店は与那  風月ロの糸洲、仲里、新里。三杉ロの福本。幸楽の安里、新川幸栄。美崎の玉寄米吉、赤嶺、玉寄三郎。花咲の上原保一、新里次郎、上原健夫。木村屋の安里善徳。ならはら館の上原。宝来館の新城。山本は浦崎。川津館の新城。モリタ館の与那城。
業者ー万人ヤの仲里。朝日ヤの神里。三角ヤの吉元。みかさヤの与儀。井筒ヤの新里。一味ヤの新城。福力ヤの神里。公園入口の金城。朝日橋前の新城。松田橋前の新城。安里松竹の糸洲。



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写真・沖縄調理師会ー前列右から安里信祐(現・伊勢海老料理「味の店三郎」店主)、新城三郎、右端に玉寄米吉
1950年ー沖縄と奄美出身者で調理師会「沖美会」結成。初代会長に中村喜代治、新城三郎、玉寄博昭、福永平四郎、赤崎一成、又吉太郎らが参加□奄美が日本復帰する1953年に「沖縄調理師会」と改称。

Category: 04-書の森
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平成17年4月


□27年間発行されてきた俳誌「貝寄風(かいよせ)」が、8月号(通巻326号)で終刊となる。主宰の中瀬喜陽さん(78)=和歌山県田辺市神子浜1丁目=は「残念に思うがやむを得なかった。後に残る活動ができた」と振り返っている。貝寄風は、中瀬さんが編集を担当していた俳誌「花蜜柑」の主宰者が亡くなり、中瀬さんが知人の田辺市の串上青蓑さんに声を掛け、1984年7月、串上さんを主宰者として創刊。以来月1回発行し、串上さんが亡くなった後に中瀬さんが主宰を引き継いだ。終刊を惜しむ声もあるが、中瀬さんの体調による理由でやむを得ず決めた。

 俳誌には会員の俳句や、中瀬さんによる俳句や短歌の紹介などを掲載している。会員が俳句を作った経緯や思いを掲載しているコーナー「一句の周辺」は、作った俳句を見つめ直すきっかけにしようと設けた。俳句の作り方が分かるという声もあり、人気があるという。会員は創刊当初と同程度の約200人。田辺市や周辺町の住民を中心に、ふるさとについて知ることができるということで県外に住む県出身者らもいる。俳誌のほか、会員で句集「熊野九十九王子」や、創刊20周年を記念した「紀州田辺の俳壇」も発行してきた。また、中瀬さんが研究する南方熊楠を追悼する意味の「熊楠忌」は約10年前、俳人協会に季語として登録された。登録できた背景について中瀬さんは「貝寄風というグループの力があったからこそ」と話している。(→紀伊民報2012年5月19日土曜日)


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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
前にも次のようにネット内を引用□県立博物館・美術館官庁に白保氏(非電脳アイランド)
   県内部からも「露骨」
 仲井真弘多知事は30日までに、新しい県立博物館・美術館館長に元衆院議員で公明党県本部顧問の白保台一氏の起用を決めた。今回の人事をめぐっては、学識経験者を推す声もあった中、副知事出身の初代・牧野浩隆館長に続く功労人事となった。新年度から「文化観光スポーツ部」を新設し沖縄文化を内外にPRする方針を打ち出したにもかかわらず、県の文化行政の旗振り役ともいえる同館長ポストを、選挙功労の受け皿とする知事の人事手法に疑問が残る。と紹介した。

その後、写真家の石川真生・宮城潤氏らの司会で「県立美術館のあり方を考える」というシンポジウムが博物館講堂であった。「今月から2代目館長に公明党県本部顧問だった元衆議院議員の白保台一さんが就任しました。直前まで政党顧問をしていた人を館長にするなんて考えられない人事です。管轄も県の『教育委員会』から『文化観光スポーツ部』に移りました」とし「これからの美術館のあり方を問い直し、これからの美術館のあり方を美術関係者だけでなく、広く県民に参加してもらい議論する場を設けたいと思います。美術館は私達の税金で運営されています。疑問のあるままの美術館でいいわけがありません。何度でも議論し、県に提言し続けましょう。」とする。

私は現役の国会議員は会わないことにしているが、引退後の伊江朝雄氏などには川平朝申の縁もあり会った。私の蔵書に現役時代の白保台一『琉球のロマンを今にー大航海時代再現へ向けての「私の提言」』がある。中に「時代は大きく変わりました。世界的流れとして人間社会は『ハード・パワー』(富・権力・軍事等の外発性の力)の時代から『ソフト・パワー』(文化・芸術・精神等の内発性の力)の時代へと静かな転換を見せています。」とある。土門拳展で白保館長とちょっと話したとき同書の話をした。5月17日、館長室で同書にサインをお願いし琉球のロマンを念頭に「西のミラノ 東の琉球」と書いてもらった。

ミラノ□2大産業がやっぱり「ファッション」と「デザイン」。世界中から新鋭クリエータが集まる街として知られるミラノでは音楽や絵画などのアーティストに留まらず、あらゆる「ファッション」や「デザイン」を学ぶ若い学生が世界中から集まる芸術学校が多数存在する学園都市としても有名である。1978年から始まった「ミラノ・コレクション」はパリ、ニューヨークと並ぶ世界3大ファッションショーであるが、これはまさにミラノを象徴しているとも言えるだろう。(→アーモイタリア旅行ガイド) 
Category: 04-書の森
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Category: 01-人物名鑑
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2011年9月 『非世界』№23/『天荒』40号
2011年9月 『非世界』№23□平敷武蕉 沖縄県沖縄市字古謝1044番地 電話FAⅩ098-934-2006□香川浩彦「三島由紀夫への四十年目の手紙(後編)ー豊穣なる不毛とは何か?ー」、西銘郁和「平敷屋朝敏年譜(私案)」、平敷武蕉「六十年代とは何であったか」

2011年9月ー俳句同人誌『天荒』40号□野ざらし延男 沖縄県中頭郡北谷町字吉原726番地 電話FAⅩ098-936-2536□「天荒会報」400号+「天荒」40号 記念特集
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赤星弥之助の子で永くアメリカなどに留学した赤星鐵馬が同郷の牧野伸顕に相談して寄附金・壹百萬圓で1918年8月8日創立。初代理事長に平山成信。2代目が大久保利武であった。伊東忠太をはじめ鎌倉芳太郎、田辺尚雄、岡村金太郎、池野成一郎、鳥居龍蔵などが援助を受けた。

平山成信 ひらやま-なりのぶ
1854-1929 明治-大正時代の官僚。
嘉永(かえい)7年11月6日生まれ。平山省斎の養子。第1次松方内閣の書記官長,枢密院書記官長,大蔵省官房長などを歴任。帝国女子専門学校(現相模女子大)校長,日本赤十字社社長をつとめる。帝展の創設につくした。貴族院議員,枢密顧問官。昭和4年9月25日死去。76歳。江戸出身。本姓は竹村。(→コトバンク)

赤星弥之助 あかぼし-やのすけ
1853-1904 明治時代の実業家。
嘉永(かえい)6年生まれ。磯長孫四郎(生家は代々天文方で、磯永孫四郎は儒学者)の子で赤星家の養子となる。東京にでて,金貸し業その他の事業に関係し財をなした。明治37年12月19日死去。52歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。兄に□長澤 鼎(ながさわ かなえ、本名:磯永彦輔、1852年 - 1934年3月1日)は江戸時代の薩摩藩士。薩摩国出身。13歳の時藩命でイギリスに留学し、後にカリフォルニアに渡り「カリフォルニアのワイン王」「葡萄王」「バロン・ナガサワ」と呼ばれる。(→コトバンク)

赤星鐵馬
1883年(明治16年)1月11日 - 1951年(昭和26年)11月9日)は、日本の実業家である。大正銀行頭取。
1901年(明治34年) 東京中学卒。
渡米。ロレンスビル(Lawrence Bill)高校、ペンシルベニア大学卒。
1910年(明治43年) 帰国。
1917年 (大正6年) 父・弥之助死去に伴い、保有していた美術コレクションを売却。後に国宝となった物件が多数含まれた事から『赤星家売立』と呼ばれた。
1918年(大正7年)8月8日 財団法人啓明会設立。
1925年(大正14年) 芦ノ湖へブラックバスを移入。(→ウィキペディア)



1928年 『財団法人 啓明会創立10年記念会図録』「東洋工藝集醉」

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昭和12年11月ー笠森傳繁『日本文化最近二十年誌』(啓明会二十年記念誌)財団法人・啓明会事務所ー麹町区丸の内1-6東京海上ビルディング

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