□1893年7月『歌舞伎新報』「琉球芝居ー沖縄県琉球には昔より音楽師と称えて一種の歌舞を演奏するもの士族の間に伝えられ居たるところ去る明治22年中いづれも俳優の鑑札を受けて我が役者の如きものとなり其の組5組もあるよしにてこのたび其の一組が大阪角の芝居へ乗り込むことに決定し既に去る2日を以って那覇港を解覧し本日ごろは遅くも到着したる手筈なるがー」
「琉球国演劇」の横断幕があるのが角座。下が角座で配られたもの

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□沖縄芝居ー明治26年に大阪・京都・名古屋で公演
1991年1月、池宮正治琉大教授と電話で大阪の新聞で沖縄関係を調べているとの話をすると、それなら芸能、特に渡嘉敷守良の芝居も心がけて見てくれと示唆された。それで見当をつけて中之島図書館で大阪朝日新聞、大阪毎日新聞を、京都府総合資料館で日出新聞、名古屋では扶桑新聞をめくると次々と沖縄芝居の記事が出てきた。国会図書館にも行き雑誌も見た。


1895年9月 小那覇朝親『古今琉歌集』上卷 沖縄印刷所(宮井悦之輔)



1982年1月3版 那覇市『写真集・那覇百年のあゆみ』(琉球処分百年記念出版)

1919年ー京都都踊りで琉球太鼓踊り
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(略)沖縄の歴史を研究している新城栄徳氏(琉文手帖主宰)が、京都府立総合資料館で発見した大正8年の日出新聞(現在の京都新聞)に掲載されているもの。




上ー1995年1月19日『琉球新報』「人気あった琉球の太鼓踊りー大正8年 京都の都おどりで」/下はその時の絵葉書、左が巴紋の幕の前で万国旗をかざす踊子たち。右が太鼓踊り
□1919年3月12日『日出新聞』「都踊ー『今紫四季栄』平和踊・御越わん、里前御扶齎したぼれエイヤヨヌ平和の日(ひゃるがひー)ー」

1919年9月14日ー『沖縄時事新報』

1920年5月 『地方行政』小林次郎「沖縄の特殊行政」


1925年11月『沖縄タイムス』
1932年
●山里永吉の戯曲「那覇四町昔気質」が琉球新報に掲載されたのは昭和7年3月で、山里はその後記で「この戯曲は多分13日から大正劇場で上演されると思うが、考えて見ると大正劇場に拙作『首里城明け渡し』が上演されたのが一昨年の今頃、ちょうど衆議院の選挙が終わった当座だったと覚えている。それから昨年の正月が『宜湾朝保の死』、今度の『那覇四町昔気質』と共に尚泰王三戯曲がここに完成した」と述べている。

1930年11月 那覇の平和館で①「百年後の世界(原名メトロポリス)」/「江戸城総攻メ」上映
①『メトロポリス』(Metropolis)は、フリッツ・ラング監督によって1926年(大正15年)製作、1927年に公開されたモノクロサイレント映画で、ヴァイマル共和政時代に製作されたドイツ映画である。
製作時から100年後のディストピア未来都市を描いたこの映画は、以降多数のSF作品に多大な影響を与え、世界初のSF映画とされる『月世界旅行』が示した「映画におけるサイエンス・フィクション」の可能性を飛躍的に向上させたSF映画黎明期の傑作とされている。SF映画に必要な要素が全てちりばめられており「SF映画の原点にして頂点」と称される。→ウィキペディア
□1985年2月 那覇の国映館で「メトロポリス」上映


1930年11月『沖縄朝日新聞』

1935年

旭館


平和館


1936年11月


1937年6月 那覇の旭館で「世界の終り」上映


1937年9月 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社「久高長秀」

1938年2月 那覇の旭館で「巨人コーレム」上映□『巨人ゴーレム』(きょじんゴーレム、Le Golem)は、1936年にチェコで制作されたモンスター・ホラー映画。→ウィキペディア

1938年3月、那覇の旭館で漫画祭、パラマウント映画「ポパイの快投手」「ポパイの動物園荒らし」上映
1938年3月 那覇の平和館で「禁男の家」上映□『禁男の家』( きんだんのいえ、原題: Club de femmes )は、1936年に製作されたフランス映画。1956年に『乙女の館』という作品で再映画化されている。→ウィキペディア

1938年5月 那覇の平和館で「プラーグの大学生」上映□1937, プラーグの大学生, 独(アルツール・ロビンソン/アドルフ・ウォールブリュック、ドロテア・ウイーク).
1939年6月『沖縄日報』 『透明人間』(THE INVISIBLE MAN:1933年、ジェイムズ・ホエール①)
①ジェイムズ・ホエール(James Whale, 1889年7月22日 - 1957年5月29日)は、イギリス出身の映画監督。ホラー映画の制作でよく知られており、代表作は『透明人間』、『フランケンシュタイン』、『フランケンシュタインの花嫁』など。→ウィキペディア
映画 [編集])→ウィキペディア
『透明人間現わる』(1949年、大映、安達伸生・円谷英二特撮)
『透明人間』(1954年、東宝、小田基義・円谷英二特撮)
『透明人間と蝿男』(1957年、大映、村山三男・的場徹特撮


1939年8月21日『沖縄日報』


テニアンの朝日劇場ー1940年 この年、儀間比呂志が南洋群島へ渡り、テニアンに落ち着き、芝居小屋「朝日劇場」の球陽座で大道具などの仕事をしながら生活する。



1940年1月


1940年2月 那覇の旭館で「ロイドのエジプト博士」上映
○ハロルド・クレイトン・ロイド・シニア(Harold Clayton Lloyd, Sr., 1893年4月20日 - 1971年3月8日)は、アメリカ合衆国のコメディアン。1920年代を主に活躍したサイレント映画の大スターで、日本ではチャーリー・チャップリンやバスター・キートンと並ぶ「世界の三大喜劇王」と呼ぶことが多い。→ウィキペディア


1941年 大阪えびす座で護佐丸を演ずる大宜見朝良、大宜見小太郎、宇根伸三郎







1969年1月『沖縄の芸能』邦楽と舞踊社□3、流派と現状 
仲井真元楷「現地における」
石野朝季「本土におけるー『沖縄の伝統芸能は、日本本土で命脈を保っている芸能家の手で保存しないかぎり消えてゆくしかない。さいわい鹿児島には舞踊界の渡嘉敷守良、熊本には野村流音楽の池宮喜輝両師匠(共に故人)が疎開で健在であり、二人を東京に招いて弟子を養成、沖縄に再び平和が甦えるときまで、郷土にかわって伝統保存の担い手になろう』と、1947年春、東京沖縄芸能保存会が伊江朝助、比嘉良篤、戦前沖縄で新聞経営、安富祖流音楽の有数な弾き手でもあった武元朝朗(1953年10月6日没)らの手で結成された。結成翌年の1948年11月には、有楽町の読売ホールで第一回公演。」

1972年2月 雑誌『青い海』』№10<復帰不安の沖縄>□「優れた沖縄を語りたいのですー若者が集う『沖縄関係資料室』の西平守晴氏宅」、嘉手川重喜「沖縄の歌劇(4)辺土名ハンドーグヮー」


1972年3月 『青い海』春季号 「青い海芸能ー情熱と美の琉舞を大阪の地に  金城康子」
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那覇大綱引きで子息の衣装を整える金城康子さん

1974年6月『青い海』№33<本土の中の沖縄>□霜多正次「ウチナーとヤマトゥ」、津嘉山政栄「大阪・教育の現場から」、高良重一「夜間中学の中の沖縄」、山城昌成「第二の故郷、和歌山で」、金城朝夫「沖縄の東京難民」「大阪沖縄会館ー盛大に竣工祝賀会」「沖縄青年 山口重光君を支援する全国連絡会議ー平尾町46末広荘・山城三郎」「本土在県人会・公共団体・企業一覧」

1975年12月『青い海』№48<沖縄の芸能ー舞踊と音楽>□宮城能造「よもやま芸談」、関西版『仲村米子舞踊研究所第一回発表会、松葉舞踊研究所が五周年記念公演、川田琉球舞踊団として初の関西公演、儀間比呂志新作版画展開かれる」、仲村喬次「武下和平ー島人の心意気を唄う(略)初心が忘れられていくのはテレビの流行歌手たちを見るまでもない。人の心を打たなくなった民謡は、もはや(しまうた)の生命を絶ったもひとしい。」、知念正光(琉装史研究者)「ルポ・東京周辺の沖縄芸能」、崎山任「三味線音楽とアカインコの業績」、「渡嘉敷守良・ある俳優の記録ー芸談、組踊の型」、伊礼正栄「関西の中の沖縄芸能ー悲愴な使命感で、”失われた沖縄”にかわって、ふるさとの伝統と文化を守ろうとした本土の県人たち」

1976年8月『青い海』№55<奄美の民話と伝説を訪ねて>□となきあきら「喜劇の王様・小那覇舞天を偲ぶ」「郷友会めぐり・その2 大阪羽地郷友会」「東京、神奈川で第二回エイサーの夕べーゆうなの会が企画挙行」「大阪の松葉舞踊研究所の大城奈津子ちゃん(小1)と我喜屋みゆきちゃん(中1)が琉球新報主催・第12回琉舞子ども大会で受賞」

1978年10月ー糸満盛信『日本太陽崇拝史』沖縄関係資料室
糸満盛信・著作目録
1934年7月ー『唐手術の研究』新光閣
1944年4月ー『酒の話』一番館印刷
1944年6月ー『拳武雑考』
1958年2月27日ー『琉球新報』「琉球の子守唄『天から落ちたる糸満小』に就いて」
1959年10月5日ー『琉球新報』「空手の研究」
1960年10月5日ー『琉球新報』「沖縄の古武術」
1961年6月ー『国学院雑誌』「天孫降臨考」
1962年11月ー『京都女子高等学校・中学校研究紀要』第8号「太陽崇拝管見」
1963年10月ー『京都女子高等学校・中学校研究紀要』第9号「稲作民の渡来」
1964年10月ー『京都女子高等学校・中学校研究紀要』第10号「神託政冶考」
1965年8月ー『国学院雑誌』「天降伝説私解」
1965年11月5日ー『沖縄タイムス』「天降伝説私解」
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1978年11月4日『琉球新報』/1978年10月26日『朝日新聞』(大阪版)


1981年12月 沖縄の雑誌『青い海』1月号 上原直彦「昭和にフクバル節あり」
1994年1月 『脈』第48号「普久原朝喜 特集」/1993年10月 『普久原朝喜顕彰碑建立記念誌チコンキーふくばる』同実行委員会(中根章)


1982年6月ー沖縄県人会兵庫県本部(編集委員長・上江洲久)『ここに榕樹ありー沖縄県人会兵庫県本部35年史』□元『青い海』編集長の津野創一が執筆、津野さんは後に県人会機関紙『榕樹』の編集にも携わる。私(新城栄徳)も資料収集に協力した。
□第五回勧業博覧会といえば、沖縄にとっては忘れることのできない人類館事件に結びつく。のちのちの久志芙沙子の筆禍事件や、解放教育読本『にんげん』問題にもつながる。
□1945年11月3日ー尼崎沖縄人連盟結成大会が尼崎中学校で開かれる。会長・大城盛通、副会長・大山朝繁、砂川恵哲、幹事長・赤嶺嘉栄
□兵庫の中の沖縄芸能ー出稼ぎ労働者の中に、琉球民謡界の大御所的存在だった普久原朝喜もいた。いま、関西には古典音楽で野村流古典音楽保存会関西支部と野村流音楽協会関西支部がある。いずれも又吉嘉昭、又吉栄義の指導と努力によるものであり、歴史も古い。民謡の方では琉球民謡協会関西本部がある。(略)県人会活動と文化運動が新たな接点をつくり出していく時期に来たようである。
1985年2月 雑誌『青い海』№140<21世紀への要石・国際センター>□「新刊案内ー『沖縄の遊廓ー新聞資料集成』、『文人・末吉麦門冬』」



大城豊子師匠
1997年10月 大正区役所ホール「雅びの舞い/八重山民謡・沖縄民謡の集い」大城豊子琉舞研究所
2000年3月12日ーアゼリア大正ホール「第七回 琉球古典舞踊の夕べ」(主催・大城豊子琉舞研究所)
 1980年の『沖縄商工名鑑』は沖縄興信所の発行である。「本土在住沖縄県人有志名簿」のところの沖縄県大阪事務所の広告に、前田朝助所長、當間成一次長の名前が見える。前田さんは1924年の大宜味生まれ、當間さんは1937年の豊見城生まれと、名鑑にある。また発行人の田中久雄のところには田中町子(1917年の宮古生まれ)、夫久雄(本書著者)とある。名鑑の序文に「名鑑は昭和26年8月に沖縄興信所の調査資料を基礎に第1版を発行以来、28版を迎えることになりま愛した」とあり、また「永年の高血圧で入院し本書の出版も遅くなりました」とする田中久雄の挨拶がある。
 発行人が尼崎在住なので関西の県人広告が多い。昭和食品(安里嗣福)、宮城清市、山端立昌、大都設備工業(名嘉正成)、上進商会(上間平進)、屋良運送(屋良朝光)、丸一食品(仲間宗一)、琉球銀行大阪支店(山里正雄)、沖縄銀行大阪支店(嘉陽宗清)、有村産業大阪支店、諸喜田精肉店(諸喜田太栄)などがある。沖縄県大阪事務所は前田所長、當間次長のとき島根県ビルから大阪駅前第3ビルに移転してきた。1980年であった。同年3月発行の『青い海』は特集「ドギュメント琉球大学」で広告に県事務所から當間次長(第8期)、武島第二課長(第7期)がある。


2001年4月29日の儀間さんのFAX


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前列左から當間次長、前田所長、兵庫県人会婦人部ー大城一史の作品を背景にして/1980年8月、沖縄県大阪事務所で「第1回観光フェア」、黒メガネが大城一史氏


1993年「エイサー」/1978年7月 『七がつエイサー』福音館書店



1997年11月 宜保榮治郎『エイサー 沖縄の盆踊り』那覇出版社/1998年3月 沖縄市企画部平和文化振興課『エイサー360°ー歴史と現在ー』沖縄全島エイサーまつり実行委員会

伊良波尹吉
2000年7月9日『琉球新報』新城栄徳(書評)ー新里堅進『奥山の牡丹』与那原町教育委員会/私と芝居との付き合いは粟国島で生まれた時からで、私の実家の近隣は首里士族の末裔だと称し集まり実家の隣に「首里福原」という集会所を造った。そこでは毎年旧正月に村芝居が上演され、私の父(新城三郎)も一度だけ「金細工」のモーサー役と二才踊りで出演、母方の伯父(玉寄貞夫)は「伊江島ハンドーグヮー」のカナーヒー役で二度も出演したと当時の記録にある。私の9歳のときには伯父が照屋林助、嘉手苅林昌を粟国に連れてきて民謡ショーを開いたという。

私は家族と11歳のとき、那覇に移り住んだ。那覇劇場、テレビの郷土劇場、沖映演劇と沖縄芝居や舞踊、特に歌劇をよく見るようになった。その間には伊良波冴子の歌劇「泊阿嘉」での思鶴役の美声は歌劇の世界を十分に楽しませてもらった。その兄の伊良波晃は一度だけ沖映近くの銭湯で一緒になった。本書の主人公の伊良波尹吉の息子と娘である。1979年3月、私たち親子は大阪御堂会館で青い海出版社主催の歌劇「伊江島ハンドーグヮー」を見た。ハンドーグヮー役は兼城道子、マチグヮーに伊良波冴子、カナーヒーに伊良波晃、船頭主に真喜志康忠、村頭が大宜見小太郎であった。

前出の歌劇と我如古弥栄作「泊阿嘉」と、尹吉作「奥山の牡丹」「薬師堂」は沖縄の四大歌劇として燦然と輝いている。人生には光があれば影もある。特に芸能はさまざまなヒダがある情念の世界で倫理だけでは捕えにくい文学・芸術と共通するものがある。本書は尹吉の沖縄に生まれたがゆえに歩んだ光と影の人生を鬼才・新里堅進を得て見事に描ききっており、中でも日本帝国の超国家主義への歩みから沖縄戦へのさりげない描写は新里でなくては描けぬものである。

本書は文字通りに与那原が生んだ「沖縄歌劇の巨星・伊良波尹吉物語」で、尹吉の足跡と沖縄演劇界の動きを網羅した詳細な年表、変遷図、関係者の証言とともに21世紀沖縄への贈り物である。
私は「むんじゅる節歌碑建立期成会」で碑文検討委員、記念誌編集委員を担当した。沖縄芸能研究家の宜保栄治郎氏、當間一郎氏、仲宗根幸市氏に原稿を依頼、記念誌に華を添えてもらった。無論、私もコラムを書いた。

2002年5月19日ー大阪厚生年金会館大ホール「沖縄本土復帰三十周年記念・大芸能祭」(主催・大阪沖縄県人会連合会)



2003年10月18日『沖縄タイムス』新城栄徳(書評)宮城正雄『舞台ー関西沖縄芸能とのふれあい』」
 ○ご存知の方も多いと思われるが、関西を代表する県人会に「沖縄県人会兵庫県本部」がある。その機関紙『榕樹』に連載した「関西沖縄芸能とのふれあいー私のかかわった芸能公演メモ」をまとめたのが本書である。私は連載中から機関紙担当の永峰眞名さんに「本になったら貴重な資料になる」と言ったことがある。最近、本書が郵送されてきた。
著者の宮城正雄氏は石川市出身で戦後、すぐ県人会運動に参加、兵庫県本部の経営する「うるま保育園」に労務管理能力を買われて園長。県人会の支部長、兵庫県本部の会長を歴任し、傍ら沖縄芸能公演の演出、舞台監督を務めたことが本書を生んだ。掲載した119件の沖縄芸能公演のうち113件が直接にかかわったものというから驚く。
著者の盟友・諸喜田達雄氏(大阪沖縄県人会連合会会長)は序文で「古里を遠く離れ、住みなれない都会生活を営む沖縄県人の上には、大きな壁がありました。(略)職業のちがい貧富の差を越えて郷土を愛する同志が集まり、お互いに同胞意識を高めてきました。連帯感を深めて行くテレパシーの電流が通じ、今日では世界に類のない沖縄芸能が関西の地にも根強く発展・継承されて来ました」と記し著者の功績を称えている。
木津川が見える京都の飯岡に沖縄のエイサーの元祖とされる袋中上人の墓があり京都三条大橋のたもとには上人が開山した檀王法林寺がある。今でも県人が多い大阪の木津川周辺はヤマトとの芸能交流もした「江戸上り」の通路であった。廃藩置県後、1893年に沖縄の俳優、囃子方で構成する琉球芸能が大阪角座、京都祇園座、名古屋千歳座で公演された。これがきっかけで1919年、京都の「都踊」で琉球の太鼓踊りが人気となった。
県人の側では音楽家・又吉栄義、普久原朝喜、興業の金城南邦、大宜見小太郎らが戦前の関西芸能界で活躍した。本書を基にヤマト、世界との芸能交流史にまで発展することを期待したい。



諸喜田達雄大阪沖縄県人会連合会会長/喜納兼一沖縄県人会兵庫本部会長
2003年11月16日 尼崎アルカイック大ホール「野村流古典音楽保存会創立30周年記念公演」
2004年10月24日ー守口市市民会館「八重山ふるさと芸能祭」(主催・近畿八重山郷友会)

2006年5月14日ー高槻現代劇場大ホール「うりずんの風に舞う」(東京・沖縄芸能保存会・児玉ひろ子琉球舞踊研究所)
 
2008年11月30日ー尼崎アルカイックホール「野村流古典音楽保存会関西支部創立35周年記念公演」

2009年10月9日、みどり印刷(〒903-0823 那覇市首里大中町1-36 ☎FAX098-884-3702)の石川和男氏を訪ねると、「琉球舞踊阿波連本流関東啓扇会・阿波連とも子琉舞研究所」の新教師免状披露公演のポスターとチラシがあった。みどり印刷で印刷したものだ。沖縄の人が多い川崎市の琉舞公演のポスターを古都・首里、つまり本場で印刷するというのは理にかなっている。新教師の當山薫と米須さやかの披露公演は今年の12月13日(日)の午後1時30分よりJR川崎駅近くの川崎能楽堂で行われる。問い合わせ・予約は090-2646-0256(阿波連)・044-233-2556(米須)まで。
2014年2月 2009年10月14日の琉球新報を見る永峰眞名通信員が兵庫県立歴史博物館で10日から特別展「国宝沖縄・琉球王国の美」が始まったことを紹介している。10日午後には那覇市歴史博物館の仲嶺絵里奈学芸員が「琉球王国尚家関係資料と伝来衣装について」と題し講演した。仲嶺さんは琉球舞踊を阿波連本流啓扇会の阿波連ミネ子師匠に学び、姉とともに西原町で「仲嶺麗子・絵里奈琉舞研究所」(☎098-946-1269)を開いている。

島尾伸三氏から沖縄文化の杜の金城美奈子さん宛に展覧会チラシが送られてきた。
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2012年4月28日~8月26日 神戸文学館「神戸の作家たちと沖縄」展


2014年2月26日 『沖縄タイムス』謝花直美「尼崎ぬ琉歌ー沖縄人の経験 宮城正雄さん」   

2016年4月3日 人形劇団かじまやぁ「なにわ人形芝居フェスティバル」にチョンダラーで参加
かじまやぁ美術館情報 ここをクリック「http://kuwa.ti-da.net/


2018年12月 『焦土に咲いた花 戦争と沖縄芸能』琉球新報社