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2018年8月11日ー11月4日 東京都写真美術館「夢のかけら」〇山田實作品も展示されている。
 TOP コレクションは、東京都写真美術館の収蔵作品を紹介する展覧会です。今年のテーマは「たのしむ、まなぶ」。この展覧会は、大人と子供、さまざまな立場の人たちが見たものや感じたことを自由に語りあって、作品の見方を深めていく、そんな光景が自然と生まれてくることを目指しています。本展では、「大人+ 子供×アソビ」、「なにかをみている」、「人と人をつなぐ」、「わからないことの楽しさ」、「時間を分割する/積み重ねる」、「ものがたる」、「シンプル・イズ・ビューティフル」、「時間の円環」という8 つのセクションに分けて34,000点以上におよぶコレクションの中から選りすぐった古今東西の名品をご紹介していきます。
出展アーティスト: ジャック・アンリ・ラルティーグ、林ナツミ、井上孝治、ロベール・ドアノー、山田實、井手傳次郎、 W.ユージン・スミス、本城直季、フェリーチェ・ベアト、ナダール、岩合徳光、ハロルド・ユージン・エジャートン、石田尚志、瑛九、竹村嘉夫、今道子、篠山紀信、川田喜久治、宮崎学 ほか→東京都写真美術館は、1995年、目黒区三田一丁目にある恵比寿ガーデンプレイス内に総合開館した、国内唯一の写真と映像専門の公立美術館。改修による2年間の休館の後、2016年秋にリニューアル・オープンした。
 
 山田實は2年の浪人生活をへて、1938年4月、晴れて明治大学専門部商科に入学。明治大学新聞『駿台新報』編集委員を3年間つとめた。新聞を編集するときは、日本橋にあった中外商業新報(『日本経済新聞』の前身)の建物の3階、編集室の一部を借りて作業した。第一回芥川賞の石川達三、評論家の長谷川如是閑、中島健蔵、明大校歌作詞者の児玉花外たちにも会った。築地小劇場の芝居も何度も招待され見に行った。
 山田實は1947年8月、シベリアに抑留され辛酸をなめた絶望の淵から生還。9月に舞鶴から汽車で一晩乗り朝東京駅に着いた。山手線に乗り換えて、叔父の山田有慶と兄貴の山田有勝の家がある目黒へ向かった。空襲の被害を受けた目黒だったが、駅周辺はわりと焼けずに残っていた。行人坂という急な坂を下った先に叔父は住んでいた。叔父は目黒雅叙園で支配人として働いていた。叔父の家を訪ねると、叔母が兄貴の家に電話を入れてくれた。→2012年6月『山田實が見た沖縄』琉球新報社

平姓山田家5世・山田有度の3男有登が山田實の父。叔父・山田有慶は4男/→1937年9月 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社。ちなみに長男は山田有晋、戦死したため有登が沖縄に呼戻され有晋の跡を継ぐ。

山田有晋(那覇での日露戦争・名誉の戦死者第一号)/2009年9月11日『琉球新報』
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山田有登、郁子夫妻(写真家・山田實さん両親)、山元恵一宅を訪ねる




詩人・山田有勝

山田有勝は同人誌『カルト・ブランシュ』を1938年に創刊した。稲垣足穂はその第14号に「あべこべになった世界に就いて」を書いた。足穂に原稿を依頼したのが編集発行人の山田有勝である。有勝は詩集『残照』で「我が家の明治大正期の古い本は既に色あせ 古い辞書の皮革はボロボロとなる/岩本修蔵さんのロイドメガネ イナガキタルホさんの鼻メガネ」と足穂が出てくる。また過ぎた日と題し「六十三年前の思い出 阪神電車の鳴尾駅を降りて 右へつきあたり 左へ折れて 一町先の左側 白壁の四軒長屋 その端のガチョウが二羽いた家」が写真家の山田實さんの出生地である。


1955年7月22日『琉球新報』山田有勝「桑江良行先生を追悼」

写真家の山田實さんの長兄・山田有勝は東京丸ビルのバトラー歯科院の歯科医であった。また詩人でもあった。『紙碑』(紙碑之会)に発表した名古屋の星たちと題する詩には「小谷剛さんは診療所を開業しながら/作家活動を続けていた/そして 文芸誌『作家』を編輯発行し/多くの作家詩人を育てた/晩年の稲垣足穂さんの作品も数多く掲載された/晩年のタルホさんは/夫人や折目博子さん/萩原幸子さんに見守られて/酒を飲み 創作に専念し/安らかに昇天した/そして 小谷剛さんも/今は この世にいない/亀山巌さんは/名古屋の新聞社の社長をしながら/独自の詩の世界を展開し/楽しい名古屋豆本を出版したー」と書かれている。

1982年2月 山田有勝『詩集カオス』□山田實「ある日のこと真栄田義見先生に『山田君、東京のアリカツから難しい詩集が贈られてきたよ』と笑っておられた。」
1986年3月 『薔薇園傳説ーカルト・ブランシュ コント集』デカドクラブ(山田有勝)刊
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□山田さんは西脇順三郎を師と仰ぎ、稲垣足穂らと「同じ釜(かま)のメシを喰った」詩人でもある。数年前に作った詩は「水原茂さん去り 三原脩さん逝く」で始まっている。二人の