前は沖縄県立博物館は歩いては行けなかったが、今は歩いて直ぐである。少し前までは沖縄県立図書館も歩いて行ったが、数え70になると東陽バスで行くのが増えた。平成30年12月15日(土)午後2時に図書館はモノレール旭橋駅と直結して開館するという。私にとって都合は良いが、旧図書館近くに住んでいた國吉さんは不便になるという。

ma2018-12-14-辺野古んかい ちゅー んじゃびたん。埋め立て承認さる 仲井真とぅ 高良ぬ 腐りウチナー。くねーだ タイムスぬ文化欄かい 高良が 書ちょーたしが、タイムスぬ記者ん うぬ あたいるやさやー。護国神社ぬ ちゅん タイムスんかい 書ちょーたしが、うりがどぅ 図書館じ 講演すんなー? 


1983年 『琉球新報』新城栄徳「落ち穂ー幻の県立図書館蔵書」


2000年10月 「沖縄の図書館」編集委員会(代表・伊藤松彦、喜納勝代、国吉綾子、島袋正敏、玉寄長信、中村誠司、本郷清次郎、森田牧子、山田勉)『沖縄の図書館 戦後55年の軌跡』教育史料出版会
沖縄の図書館【目次】
栗原均「戦後沖縄図書館人の澎湃たる熱い志を学びたい」3/大田昌秀「21世紀にむけて知の大道を拓くー沖縄の図書館の歩みに寄せて」7/伊藤松彦「序 知の自立へー戦後沖縄の図書館55年の軌跡を求めて」17
【1】占領下の図書館
山田勉「衣食の飢えと心の飢えと」32/伊藤松彦「琉米文化会館の光と影」39/漢那憲治「米軍占領下の沖縄からの一米国留学生の”個人的な回想〟」46/玉城盛松「琉球政府立図書館ー中央図書館を中心として」57/宮城剛助「琉球政府立立法院図書館の沿革ーその果たした役割」76/本郷清次郎「沖縄の大学図書館ー琉球大学附属図書館を中心に」84/平良朝子「回想の琉球政府立医学図書館」99/島元巌「不死鳥のごとく蘇るー沖縄の戦後教育と学校図書館」106/山田勉「沖縄へ本を贈る運動」110/山田勉「沖縄図書館協会結成へ」117/外間米子「コラム・初めての子ども文庫ー松尾児童文庫」122/伊藤松彦「コラム・知る人ぞ知る那覇の私立図書館ー沖縄人文図書館(喜久川宏)」123
【Ⅱ】復帰で拓く文化の回路
佐久本全「公共図書館にみる本土格差への挑戦」128/伊藝弘子「市立那覇文化センターのこと」134/喜納勝代「まち・むらに広がる文庫と図書館活動」136/松島弘明「『まちの文庫 むらの図書室』の三カ年」143/山城光重「沖縄県立図書館新館のビジョン」145/名護正輝「浦添市立図書館登場のインパクト」152/平湯文夫「沖縄の図書館人たちとの20年ーその極めて私的なかかわりの一端をそのままに」161
【Ⅲ】平和の樹を植え育てる図書館
<北部>大城道子「名護の『こんな図書館をつくろうよ会』から『<図書館友の会>をつくろうよ会』まで」176/<中部>玉寄長信「具志川市の図書館活動」190/金城清子「コザ市琉米親善センターは沖縄市立図書館の先駆け」203/山川裕美子「サークル活動の拠点としての宜野湾市民図書館」207/生沢淳子「石川市における公共図書館の歩み」210/親田浩美「勝連町立図書館」217/饒平名洋子「学校図書館情報化へのスタート」221/<南部>山内一美「豊見城村立図書館中央図書館の歩み」230/儀間良子「心地よい図書館を目指してー知念村立図書館」235/<宮古>砂川幸夫「県立図書館宮古分館など」240/東風平紀子「平良市立図書館のあゆみ」247/上原みち子「平良市に新しい図書館をつくろう会」249/宮里トヨ子・高江洲洋子「宮古の学校図書館」251/<八重山>潮平俊「石垣市立図書館づくりにかかわってーバス文庫からの出発」257/与儀文子「竹富町学校図書館の現状と課題」263
【Ⅳ】文化を束ね広げる
上間常道「戦後沖縄の出版事情」268/武石和実「復帰以降の古書業界と古本屋私史」293
【資料】
新城安善「沖縄の書誌(解題)」303、「沖縄県図書館年表」317、「沖縄県の図書館等一覧」307
伊藤松彦「あとがき」325/「執筆者一覧」331


写真右からー大城宗清氏、伊藤松彦氏、新城栄徳/2000年11月5日『沖縄タイムス』新城栄徳「書評/『沖縄の図書館』戦後55年の状況をパック」
〇私が沖縄図書館協会に特別会員B「沖縄関係資料室(大阪)」として入会したのが1974年であった。そのころは大城宗清氏と山田勉氏が囲碁を打っておられた中に割り込んでも大阪から来たということで歓迎してもらったもので、大城氏にはその編著『戦後沖縄の文献解題』に署名してもらったりさまざま面倒をおかけしたと思うが記憶にない。
 山田氏には琉大図書館の郷土資料を職員並みに扱わせてもらったり、同志・伊佐眞一を引き合わせてもらった。この図書館人脈の延長で新城安善、宮城剛助、仲西盛秀、富島壮英らの諸氏を知った。
 復帰のころ、私は大城精徳氏の『琉球の文化』誌を手伝っていた。大城氏は首里高の社会科の教師も務められ、雑誌『青い海』を創刊した津野創一氏も教え子であった。琉球政府立博物館にもながく居られ、私はその博物館人脈の延長で宮城篤正氏を知ることになる。宮城氏が博物館を辞められて浦添市で図書館設立準備の忙しい中を訪ねると、わざわざ図書館敷地に案内され構想を語ってくれた。


 前述の交流の結果として、大阪に居ながら沖縄資料がどこにあるかが分かるように手元には県内の図書館の資料案内や目録類がそろった。古本屋からは上野図書館『琉球文献目録稿』、成城大学民俗学『南島文献資料目録』などを入手し補強もしている。県立図書館の展示目録『沖縄学の萌芽展』『八十年の歩み展』には資料協力者として私の名前も出ている。本書も居ながらにして沖縄図書館界とそれを取り巻く戦後五十五年の状況が分かるようにパックされ活用しがいがある。
 昨今、手軽に「知」を連発する痴の中にあって、大田昌秀氏の本書に寄せた「21世紀にむけて知の大道を拓く」は、コピー機がない時代に新聞を一枚一枚めくって記事をノ⋯トに写し沖縄の新聞史をまとめた大田氏の体験で、本書に花を添えるとともに依頼した編集委員会(図書館人)の見識をも示している。


写真左から大城宗清氏、新城栄徳、漢那憲治氏(梅花女子大学教授)
□大城宗清ー1932年1月生まれ。1958年ー琉球政府立法院事務局図書室。1967年ー琉球政府厚生局医学図書室。1972年ー沖縄県立図書館、73年に同館長。86年ー沖縄県立博物館長~1992年定年退職。昭和51年12月 大城宗清『歌集 古里の土』新星図書


写真中央が山田勉氏、後列左から3人目が新城栄徳
1990年8月24日 ゆうな荘「山田勉『沖縄の図書館と図書館人』出版祝賀会」
○昭和60年4月より、図書館に部課長制が敷かれ、組織の強化とサービス体制の改善・整備が一段と進められた。それと共に業務の省力化、合理化に向けて見直しを図り、今日に至っている。初代事務部長に九大から前田正三氏、整理課長に尾崎一雄氏が阪大から着任、閲覧課長に当館の山田勉氏が昇任し、業務の電算化を推進することになった。又、昭和60年9月に閲覧課に図書館専門員が認められ、医学部分館に配置された。昭和61年1月より東京大学文献情報センター(現学術情報センター)と接続、これまでのカード目録作成に終止符が打たれ、目録業務の省力化が飛躍的に進み、本学図書館の電算化時代の幕開けとなった。→琉球大学附属図書館のあゆみ