1985年8月 『素晴らしきかな人生ー翁長君代自伝』同自伝刊行会(若夏社)

 数十年前、沖縄の新聞で翁長君代(琉大家政学科教授)さんの何かのパーティでの発言「夏目漱石の娘は沖縄出身の貿易商に嫁いでいる」との囲み記事を見たことがある。それで下記の雑誌記事を見つけた。翁長君代さんの夫君は翁長俊郎琉大英文科教授で、その娘・斎藤陽子さんはアメリカ在住である。

 1966年5月『婦人公論』仲地愛子「末娘からみた父漱石の素顔ー家庭における漱石については誤り伝えられている点がある。それはどういうことなのか。第四女が綴る父との楽しかった日々の思い出」
○・・・父が死んだのは数え年で五十、今流に言えば満四十九歳であった。私は十か十一になるかならないかであった。母と子供六人は父の枕辺に座って父を見守っていた。その頬には白い鬚が延び、枕の上の父のしなびた顔はひどく黄ばんで、なぜかその憐れな様子が私に晩秋のすすきを思わせた。私はあたりの様子にひどく胸打たれ、悲しさがこみ上げて来て泣きじゃくった。・・・ 

○最近のネットに「仲地漱祐 鎌倉民主商工会長 アクセサリー・輸入雑貨販売業/」妹・吉田一恵  東京都大田区出身で、1972年に鎌倉に移り住み、店舗を営む。2005年10月鎌倉市長選に立候補するも落選」とある。
 
1969年12月 翁長君代『琉球料理と沖縄の食生活』績文堂(東京 新宿)
はじめにー沖縄の食生活と琉球料理
1 琉球料理をかたちづくったもの 辻と琉球料理ー今日の琉球料理の発達と、昔の辻遊廓の関係も見のがすことはできません。/主食としての芋/昆布ー元来、昆布は琉球の近海では採取ができないのに、古くから琉球料理のいろいろのものにつかわれてきたのは、昆布が貿易品として扱われてきたことを物語るものです。
2 琉球料理 肉の料理ー血炒ちー(豚の血の炒めもの)琉球料理は、豚一頭分をあますところなくつかって料理するのが特長ですが、これは
豚の血をつかった独特なものです。昔は法事に用いられたようです。お年寄りはよくなさったようですが、ちょっとグロテスクなので、最近の若い方たちはあまりいただきません。
3 沖縄の食品 沖縄のそばーむかしから沖縄で庶民の味として親しまれているものにそばがあります。そばといってもそば粉がつかわれているわけでもなく、中華そばに類するそばです。
4 沖縄の栄養
付1 沖縄の食品衛生
付2 家計経済からみた沖縄の食生活
付3 おもな食品の栄養成分表



1968年2月 嶋袋盛敏・翁長俊郎『標音評釈 琉歌全集』武蔵野書院

 斎藤 陽子 (Walnut, California)2019-11-28真和志が市だった時の真和志市長 翁長助静氏とは門中で一緒です。亡くなった翁長雄志県知事の10歳の頃は私は高校生でしたが雄志県知事をよく覚えています。父は私の長男が米国で生まれた前日に、心臓麻痺で亡くなり、私は父の葬儀にも行けませんでした。久志芙沙子さんにお会いしたのは彼女が69歳頃ですが、老いてもまだ文学少女でした。なお私の父の父、つまり私の父方の祖父は大仲(首里)に居て、首里城で漢学の仕事をしていて廃藩置県に遭い、八重山に行ったようです。


斎藤 陽子(Walnut, California)ー11-18
11月も後半に向かった週明けの、月曜日がやって来ました。
南カリフォルニアは秋晴れ、日中は25℃明け方は10℃と、少々肌寒い夜です。
ロスアンゼルスから東に190キロ行くと、東部ニューヨークなどの富裕層が冬の越冬として利用する保養避寒地パームスプリング(Palm Springs)の、街中に入る手前の砂漠地帯には、数えきれないほどの、見渡す限りの沢山の風力発電機の発電群ウィンド・ファーム(Wind Farm)を見ることができます。
高さ60m~100mの風車ウィンド・ミル(Wind Mill)の一基あたりの設備容量は、約160KWの電気を作ると言われています。
この風力発電がこの地帯に敷設され始めたのは既に30年ほど前えからで、最初はポツリポツと建っていたのが、最近では3万基近くなり、その風車の林立風景は壮観です。最近ではドイツ製、デンマーク製や日本の三菱重工製など競い合っているといいます。

この写真はほんの一部ですが、プロペラの林が地平線の彼方まで埋め尽くされていて、全体の写真が撮れないのが残念です。
なぜこの地に風力発電が盛んになったかというと、この地帯は広大な砂漠地帯で、年中砂漠の気温が上がり上昇気流が発生し、この上昇する気流が太平洋側からの風を引き込み風洞を作るため、風力発電に好条件を満たすと言われています。
加えて、原子力発電離れもある昨今、オバマ大統領は太陽光発電や風力発電を奨励していましたので、その時代に加速してこの地帯に発電用風車が増えました。
この風力発電の周りは砂漠地帯なので、敷地的にはまだまだ余裕がりますので、今後もこの地帯にウィンド・ミルが拡大されるように思われます。
1年の内300日は太陽光線に恵まれている南カリフォルニアでもあり、カリフォルニア州は2020年以降から建設する新規家屋には、必ず屋根に太陽光発電パネルを付ける様に義務付けられています。
太陽光パネルは有り余る太陽光線と台風や竜巻なども無い、カリフォルニアには最適な再生エネルギーかと思います。
アメリカ全土の中でも、カリフォルニア州は再生可能エネルギー(太陽光線 風力など)に寄せる関心は最も大きな州です。

 斎藤 陽子(Walnut, California)ー2019年11月17日 
 毎年同じ投稿をするようですが、この時期の名物カリフォルニアのレモン収穫風景の話題はアップを逃せません。
わが家も週末の今日はレモンの木から落果しだしたレモンの収穫です。

輸出用や市売品は幾らか黄色が差した、あおいレモンを出荷しますが、この様な完熟の黄色のレモンは加工工場行きですから、積み上げて雑に扱っても構わないようです。
いまこのシーズンはロスアンゼルス郊外からサンフランシスコへ向かう幹線道路 国道5号線では、写真のような収穫したレモンを出荷場へ運んで行くトラックの運搬車が行き交うのを何台も見かけますが、これもカリフォルニアらしい初冬の情景です。
トゲのあるレモンの収穫は過酷で苦労の多い作業で、大半がメキシコからの季節労働者が従事していて、カリフォルニアの農業はメキシコからの低賃金労働者に、頼っていなければ成り立ちません。
毎年一年に一度のレモンを収穫する頃は一年の終わりが近い今ごろで、歳を取るとこれから生きている間に何回レモンを収穫するのかと思うものです。
今年も放っておいたら落下して廃棄品になってしまう、レモンを10分の1ほど収穫してみました。家で使用するレモンも使用に限度がありますので、収穫したものはまず会社に持って行き、庭のない社員に持ち帰ってもらい、来週の収穫分は友人知人にお裾分け作戦です。
南カリフォルニア・ロスアンゼルス近郊の持ち家では、ほとんどの人は庭にレモンの木を1、2本は植えているものです。
燦々と溢れる太陽の恵みを受けた、南カリフォルニアからサンフランシスコにかけての広大なレモン生産地は、世界的にも有数のレモン産地として有名です。
最近では広島・尾道や愛媛などでも、レモン生産もちらほら始まったようですが、カリフォルニアの広大なレモン畑は圧巻な広さで、日本で使用するレモンは1964年にアメリカから輸入開始され、カリフォルニアから97%の輸入量を占めてるといいます。レモンの原産はインド・ヒマラヤ山麓と言われていますが、その後アラブ諸国を経て、地中海沿岸へと行きわったたようです。太陽光線が豊富に年間を通してあり、乾燥した土地を好むレモンは水さえ与えれば沢山の実を付けてくれますのでカリフォルニアの名産となっています。高村光太郎の詩集『智恵子抄』の「レモン哀歌」を読むたびに、明治の頃には珍しいレモンは日本で高価なものだったのでしょう。光太郎は智恵子のためにレモンを幾らの価格で買ったのか気になります。

斎藤陽子(Walnut, California)ー2019年11月14日
昨夜のカリフォルニアの月も見事な満月でした。
昨日は30℃だった南カリフォルニアは今日はアラスカからの寒波が押しよせ23℃になるとのこと、朝は深い霧で大変ロマンチックな景色でした。
裏庭では3年ものの河津桜が葉が散る前に花を咲かせていて、今頃咲く桜を「10月桜」「冬桜」と言う様です。
さて、世界各地の海外に散って住んでいる、沖縄県系人口を試算すると、各種統計を基にしたあくまでも推計値としてはじき出した結果の、現在数は約42万人とのことです。
日本全国の都道府県の中で、沖縄県が最も多くの海外への進出移住者を排出している県かとも思われます。
中でも最も多い進出国が、戦前戦後と農業移民として新天地を求めて行った1位のブラジルで約16万人。
なかでも北アメリカには1900年最初の移民地ハワイは約4.5万人だったと言いますが、戦後から日本復帰前までの米国民政府統治下時代は地元の琉球大学を終えて、ガリオア留学制度などや他の奨学金を得て、アメリカへ大学院留学したのちにアメリカに定住した人や、その他に沖縄は米軍基地を抱えているだけに、米国軍人と結婚してアメリカで家庭を持った女性なども多いようです。
1950年代のアメリカ文化の影響を大きく受けて育った、59年前に首里高校を卒業した我が同期350人のうち、11人もがアメリカに住んで居るのも頷けます。
現在アメリカには沖縄県系が約11万人居ると言われています。
その他にペルー約7万人、アルゼンチン約2万人、ボリビア約7千人、カナダ約2千人、フィリピン約1.8千人と続くようです。
私のFB友に遠くノールウェーに住んで居る沖縄女性もいます。
沖縄県では1990年よりほぼ5年に一度4日間に渡って「世界のウチナーンチュ(沖縄人)大会」のイベントが沖縄県主催で開催され、世界各地から沖縄県に縁のある人々が、ふる里沖縄に集まります。
1990年に第1回が開催され、その後ほぼ5年ごとに沖縄県の主催のもと、継続して開催されている大会です。
目的は沖縄にゆかりのある人々を結びつけた、国際交流ネットワークを作り上げることにあるといわれます。
この期間は現代沖縄音楽や沖縄現代舞台劇、琉球舞踊やエイサーなどの伝統的なものや、日系人社会や沖縄と海外の関係についての学術シンポジウム、海外の日系人の居住地の物産展など多岐に渡って催されます。

斎藤陽子(Walnut, California)ー2019年11月11日
南カリフォルニアは相変わらずの秋晴れの今日、11月11日はベテランズ・デー(Veterans Day)。
ベテランズ・デーはアメリカ合衆国のために戦争で戦った退役軍人の方たちに対して感謝、敬意を表する日で、全米各地でパレードや式典が開催されたり、アメリカ合衆国国旗が半旗で掲げられます。
午前11時には2分間の黙とうがあり、この日に開催されるワシントンDCのアーリントン墓地の、無名戦士の墓では記念式典が開催されます。
ニューヨークの5番街では、アメリカンズ・パレードという、恒例の大規模なパレードが開催され、毎年2万人以上の参加者が行進し、観光客も50万人以上いますが、近年は爆破事件などが有り警備体制も厳重のようです。
アメリカには公休日と准公休日があり、公休日はすべての国民がお休みですが、准公休日は学校、銀行、郵便局、公務員のみがお休みで、チマタの会社は稼働しており、今年のベテランス・デーは日曜日だったので、きょう月曜日が准公休日となります。
アメリカの戦争の歴史は南北戦争に始まり、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク・アフガニスタン戦争と多数の命が散ってゆき、今なおシリアなどでの紛争が続いています。
これまでの多くの戦いの後に、兵士の母が妻が子がそして恋人たちが涙を流し、いったい戦争は何を残したのでしょうか。
私の沖縄出身の友人はミシガン州の在郷軍人病院精神科病棟で、40数年前のベトナム戦線帰還兵のPTSD(心的外傷後ストレス障害)により、精神を病んだ人々のお世話をしている人がいますが、ベトナム復員の療養兵には、まだベトナム戦争は終わってはいないのです。
写真は家の近くの広大な墓地の一角には「カヨーテ、ガラガラヘビ、ワイルド・キャット」などが出没すると、警告が出されていました。
広大な墓地の一角の、軍人専用の墓地では今日は一人一人の墓碑銘に星条旗が捧げられています。