「日本経済新聞」2020年7月30日 午前9時36分ごろ、東京・鳥島近海を震源とする地震があった。気象庁は同38分ごろ、関東や甲信、東海などに緊急地震速報を発表したが、震源地や地震の規模を誤ったと明らかにした。/コロナ禍のさなかテレビ各局が海岸を中継していたが誤報と分かった。

 2018年7月5日前後のウェザーニュースを見ると、今夜は京都など近畿で1時間に100mmに達する大雨のおそれ 、兵庫県・加古川支流で氾濫危険水位超える 。北海道で再び大雨 土砂災害や河川氾濫に警戒 とか、週末にかけて歴史的大雨の恐れ多発的な土砂災害・河川氾濫に警戒、 沖縄・宮古島で1時間100mmの猛烈な雨の ニュース。改めて、東京オリンピックや大阪万博・カジノ、辺野古核基地より、今、目前の自然大災害に備えよを強調したい。台風8号も接近中だ。

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木村 政昭(きむら まさあき、1940年11月6日 - )は、日本の海洋地質学者、地震学者。琉球大学名誉教授、理学博士(東京大学)(1968年)。

 2018年6月18日 午前8時前、関西で震度6弱の強い地震があった。とテレビ各社が報じていた。また、関西電力(9503.T)は、美浜・高浜・大飯の3原発で異常はない。NHKは、福井県の敦賀原発1号機、2号機についても、異常は感知されなかった、とも。連れ合いが東大阪の息子夫婦にメールを送ろうとしたら、息子の妻から「地震がありましたが、二人とも影響ないですので安心を」とのメール。ネットでは「さきほど、アベ氏はTV画面にでてきて 意味判らんことムニャムニャ言ってましたが‥肝心要の大阪府知事に大阪市長は出てこない。せめて、ひと言、コメントなり出してみたらいかがですかぁ~。まだ、寝てんのかい? 」などなど大阪チジや市長の地震対応の批判が飛び交っている。→7月1日『産経新聞』松井一郎知事も、地震発生から約1時間半後に開かれた第1回災害対策本部会議には渋滞の影響で間に合わず、午前10時10分ごろ府庁に到着。

  2011年3月19日ー東北・関東大地震・大津波・原発大事故
 3月18日ーアメリカ政府は福島第一原発から80キロ以内のアメリカ人に対し避難を改めて勧告したという。先日のカン総理」とアメリカ大統領の電話会談は「どうしょうも無い」ということだったのか
3月19日ー『沖縄タイムス』「震災死者6911人ー『阪神』超え戦後最悪」「原発事故レベル5 福島第一 スリーマイル級」、『琉球新報』「犠牲者6911人」「評価『レベル5』スリーマイル同水準」。テレビでは特にNНKが相変わらずネクタイを締め身だしなみを整えたアナウンサーやコメンティタ―が冷静沈着に発言し全く危機感は感じられない。まあ見ていて楽観的になり精神衛生的には良いかもしれない。民放は日常の番組となりコマーシャルも多い。
 テレビ放送は原発大事故は東京消防庁が目立ち自衛隊が印象は薄い。自衛隊員の安全確保優先で救助作業を行っているらしい。しかしこれで核戦争が起こったとき、どう対処するか心配になる。ここはやはり国民の安全を優先にすべきである。国民」は兵器の所持は禁止されているのだから。カン総理はアメリカの黒人大統領と電話で会見したそうだが「思いやり予算」(1995年ー2714億円、・・・2010年ー1881億円)は要らないという話なのか。今も沖縄上空を飛ぶ軍用機の燃料もただちに被災者に回すべきだ。
 3月20日ー那覇は今日も暑く汗ばんでいる。市内は車で溢れかえって、スーパーは商品であふれている。こういう亜熱帯の島に無機的な軍事基地が一等地を占めている沖縄島!。何時まで基地は居るつもりなのか。新聞も評論家もガス抜きばかりせず真摯に取り組んでほしいものだ。東北・関東大震災は地震だけでなく大津波、人災の原発大事故。加えて、無情にも雪が降る。原発の大事故では自衛隊は核戦争では役に立たないのが明確になった。テレビや本で稼いでいる田母神とかいう自衛隊幹部は後輩にどういう教育をしたのか問われる。カン総理が自民党総裁に入閣を要望したが断られたようである。原発は元々は自民党時代から進められたもので自民党総裁も結果責任を取るべきだ。

 1995年2月6日『朝日新聞』「窓ー中国の人々にとっても、今度の地震はひとごとではない。神戸には多くの華僑や留学生らが住んでいる。そのうえ、今から19年前、河北省唐山を襲った大地震の記憶がまだ生々しいからである。唐山地震は午前3時すぎに起こった。石や煉瓦を積んだだけの民家は全滅し、死者24万人、重傷者8万人を出した。・・阪神と唐山。この二つの大地震から、日本も中国も、それぞれに教訓を引き出すことができないだろうか。」

□2003年1月1日『日本経済新聞』「失くしたものはー街は『無』があふれていた。無気力、無反応、無関心、無目的、無作法、無表情、無常識、無責任、無自覚、無自己、無抵抗、無意識、無批判、無能力、無学力、無教養、無節制、無定見、無思想、無プロセス」

 2005年1月7日『琉球新報』の社説に「スマトラ沖地震・津波被災は死者15万人以上という未曽有の自然災害となった。負傷者は50万人、被災者は5百万人にも達する。米軍の津波救援は被災国のすきを利用し、軍備強化を狙う。これでは『火事場泥棒』と同じではないか。」とある。今回例のメアもドサクサにまぎれ日本担当に戻ったようだ。
 2011年3月18日ー『琉球新報』社説
 効果的な人道支援を行うのに、国境や官民、軍の立場の違いなど言っている場合ではない。しかし、ここぞとばかりに軍の貢献を宣伝するとは、どういう神経なのか。東日本大震災への米軍の災害支援に絡めて、在日米軍が普天間飛行場の「地理的優位性」や在沖海兵隊の存在意義などをアピールしている。強い違和感を覚える。在沖米総領事館は、沖縄から基地従業員を含む海兵隊所属の約480人や普天間、嘉手納両基地所属ヘリ、第31海兵遠征部隊の兵員2200人が災害支援で被災地へ向け派遣されたと発表した。
 未曽有の大震災に伴う死者や行方不明者の捜索、被災者救援は急務だ。原発事故に伴う放射能への被ばくリスクがある地域で救援に取り組む人々には敬意を払いたい。しかし、災害支援は売名行為ではない。人道上の見地から本来、見返りを期待しない、崇高な精神でなされるべきものだろう。在沖米海兵隊は「普天間基地の位置が、第3海兵遠征軍の災害活動に極めて重要であることが証明された」「普天間基地が本土に近いことは極めて重要」と普天間飛行場の地理的優位性を強調する。悲しみに打ちひしがれる死者・行方不明者の家族や被災者への配慮はないのか。そもそも近傍の基地ではなく、被災地から遠く離れた普天間基地がなぜ重要なのか。地震発生から3日経ての出動なのに「即応」でもあるまい。
 米軍の説明は、独り善がりで筋が通らない。政治的打算に基づく言動は、県民、国民の米外交に対する信頼回復にとって、かえってマイナスだろう。「沖縄はごまかしとゆすりの名人」などと差別発言をして更迭された米国務省のケビン・メア前日本部長を東日本大震災の日米間の調整担当に充てたのも不可解だ。メア氏は発言発覚後も学生が作成した発言録について「正確でも完全でもない」と非を認めず、今もって県民に謝罪をしていない。日本の「和」の文化を「ゆすり」と同一視する差別発言をしながらこれも撤回せず、災害支援で復権を目指すつもりか。発言の撤回も反省もない人種差別主義者の復権など願い下げだ。はっきりさせよう。米軍がどのようなレトリックを使おうとも、県民を危険にさらす普天間飛行場やその代替施設は沖縄にいらない。

大阪/1973年11月『大阪春秋』1号の特集は「大阪の災害いまむかし」であった
 1973年11月『大阪春秋』1号の特集は「大阪の災害いまむかし」であった。①寛文の大暴風雨と龍渓禅師②享保2年の大洪水③明治42年の北の大火④享保2年の大洪水④南の大火とその余聞⑤昭和の災害(米軍機の大阪大空襲)⑥天変地異・日本列島の危機ー今年の夏、近畿の水がめ、琵琶湖の水位がピンチになった。絶対危険水位、マイナス50センチを突破してしまった。この記録は昭和14年のマイナス71センチ、大正13年のマイナス51センチにつぐ史上3番目の記録を、更に更新しそうな気配のなかで、世界的異常気象がともなって、日本列島の危機感をこれほど身近に深め、予想される天変地異説が、今日ほど真剣に人々の話題の中心になったことも珍しい。(略)以上、今後起こり得るであろう天変地異に対処して、いまむかしの記録を記してみた。(藤原)

今の「悪夢内閣」(命名・佐高信)には何も期待出来ない。政府と東電は原発事故が起きたときの手順書は目次から黒塗りで国会に提出、また原発被害者に送りつけた損害賠償の請求書類は読むのも疲れる200余ページ、国民を愚弄するのも大概にしてほしい。『大阪春秋』のように歴史の中から問題点を見つけどう対処の糸口を探ろうかとしているとき、歴代の内閣は莫大な税金や学校教科書を使い「安保神話」「原発神話」のようなものの宣伝にはこれ勤しむ。が、クルマ社会のための「高速道路」はせっせと作る。肝心要の見えない国土の管理には見ての通り、台風や地震が来る度、無策が証明される。

□台風15号の日本列島縦断を受け、政府は21日、土砂災害などへの警戒を呼びかけるとともに情報収集に追われた。 とはいえ各省庁を機動的に運用するための関係省庁連絡会議は20日夜に初会合を開いたきり。 21日は夜までに死者・行方不明者が計13人確認されたにもかかわらず 「大きな被害が認められない」(内閣府)として連絡会議は開かれなかった。 紀伊半島を襲った台風12号に続き、政府の危機管理意識の希薄さがまた浮き彫りになった。
 
21日夕には台風が首都圏を直撃し、JRをはじめ交通網がマヒ状態に陥ったが、 首相官邸は関係閣僚らが出入りすることもなく閑散としたまま。 甚大な被害が生じた場合、政府は災害対策基本法に基づき、 連絡会議を非常災害対策本部に格上げすることになっているが、その動きもみられず、 平野達男防災担当相は政府の震災復興対策本部に籠もったままだった。( MSN産経 2011.9.22 )

過去の日本政府の危機管理意識の低さは自衛隊にも反映される。

全日空機雫石衝突事故
1971年7月30日。全日空58便ボーイング727-200(JA8329)が岩手県雫石町上空で、航空自衛隊松島基地(宮城県)所属のF-86F戦闘機と衝突し墜落した。乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。自衛隊機の乗員は脱出して無事であった。 刑事裁判では、双方に見張り不足があったが、自衛隊機側の責任がより重かったと判断された。事故現場は民間機進入禁止の自衛隊の訓練空域であり、戦闘機に全日空機が追突したとの考察もある。

2008年2月19日千葉県沖でー当時最新鋭であったイージス護衛艦「あたご」と千葉県勝浦市漁協所属の漁船「清徳丸(せいとくまる)」が衝突。清徳丸は船体が2つに裂け大破・沈没。乗員であった船主(58歳男性)と船主の長男(23歳男性)の2名が行方不明となった。数十日間におよぶ漁協関係者・海上保安庁・海上自衛隊3者が懸命の捜索をおこなったが発見できず、2人は同年5月20日に認定死亡とされた。
上記の自衛隊の戦闘機と護衛艦が民間の飛行機、船舶に衝突するということは万が一にもあってはならない。もし敵国の戦闘機や潜水艦であったら、気がつかなかったでは絶対に済まない。危機感を持たず訓練しているから守るべき国民も死に至らしめる。絶えず危機感(敵の攻撃)を持ってほしいものだ。同時に自衛隊は国民を守るのために存在しているので、下記のような国民無視な態度は国民に対する反逆罪に値する。

□航空自衛隊那覇基地 墜落後F15の訓練再開航空自衛隊那覇基地は、墜落事故で中断していたF15戦闘機の訓練を20日から再開しました。那覇基地所属のF15戦闘機が墜落事故を起こしたのは7月5日。尾翼の一部は回収されたものの、機体と操縦士はまだ見つかっていません。
訓練は事故後、中断されていましたが、基地司令は19日に機体の点検を終えたとして、20日からの訓練再開を発表していました。F15戦闘機の訓練は20日午前9時すぎに4機が離陸して再開されました。訓練は2週間ほどは基本訓練を行い、その後は通常訓練に移行するということです。しかし事故原因が判明されないままの訓練再開に、自治体や市民団体から反発の声が上がっています。
 航空自衛隊那覇基地 あすからF15戦闘機の訓練を再開那覇基地所属のF15戦闘機が墜落事故を起こしたのは7月5日。尾翼の一部は回収されたものの、機体と操縦士はまだ見つかっていません。訓練は事故後、中断されていましたが、基地司令は19日に機体の点検を終えたとして、20日からの訓練再開を発表していました。
F15戦闘機の訓練は20日午前9時すぎに4機が離陸して再開されました。訓練は2週間ほどは基本訓練を行い、その後は通常訓練に移行するということです。しかし事故原因が判明されないままの訓練再開に、自治体や市民団体から反発の声が上がっています。(2011年2011年7月20日 「琉球朝日放送」)  <2011年9月記>



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1999年3月27日夜・末吉宮遷座祭/左ー新城栄徳、石川和男氏、末吉安允氏

 識名宮は琉球八社と呼ばれた由緒ある社の一つです。社号は琉球神道記(一六〇八年)には「尸棄那権現」、琉球国由来記(一七一三年)には「姑射山権現」と記されています。尚、前者には「縁起亦明ナラズ。熊野神ト見ヘタリ。石窟惟霊地也」と祭神のことが記されています。さらに近世沖縄における熊野三山、いわゆる権現信仰としては末吉宮は熊野新宮に、普天満宮は熊野那智(飛龍)に、識名宮は熊野本宮に見立てて信仰されていました。→識名宮





 園比屋武御嶽石門

沖縄県那覇市にある拝所(うがんじゅ)の石門。首里城の守礼門と歓会門の中間にあり、石門と後方の山地を総称して園比屋武御岳という。石門は永正16年(1519)に建立。昭和8年(1933)国宝に指定されたが、沖縄戦の戦禍を被り大破した。戦後、修復され、昭和47年(1972)重要文化財。平成12年(2000)「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。→g辞書
 戦後最初は山田真山により修復されたが、後に西村貞雄によって修復された









識名宮の西村貞雄氏の作品を見る。


 龍脈ー地中を流れる気のルートのこと。大地の気は山の尾根伝いに流れると考えられており、その流れが龍のように見えることから「龍脈」と呼ばれる。風水では、この「龍脈」の気が噴き出すポイントである「龍穴」に住むと、一族は永きに渡って繁栄できると考えられている。 →コトバンク

 鎌倉芳太郎は那覇の若狭についてその著『沖縄文化の遺宝』の中で古事集を引いて「思うに若狭(北陸)はその地勢、畿内に接して摂津と表裏し、小浜①は日本海の港津として難波の津に比扁する位置にあり、古来日本海における外国貿易の起点となっていたが、15世紀の初頭以来南蛮船も着船し、この地の代官も書をもって朝鮮国と通交しており、小浜から出て東シナ海に向かい、琉球に新しく出来た那覇港に、貿易物資生産のための若狭の居留地が造成されてとする推定も可能」という。
①小浜市には【オバマを勝手に応援する会】がある。

□「最古の琉球絵図」には那覇の浮島のところに日本人・江南人・琉球人が居住とある。北陸の若狭湾に突き出た常神半島の先端に樹齢1300年といわれるソテツがある。半島には対馬暖流の影響か暖地性植物が多いという

1998年10月 目崎茂和『図説風水学』東京書籍
○風水の考え方の一つに、龍脈説がある。気の湧き出るところが龍源で、そこから川筋や山並みがつくる龍脈に沿って気が流れていく。○人の気が集まった状態を「人気がある」と言う。人の気を得るためには、気の流れをつかまなければならない。

荒俣説(荒俣宏・南方熊楠記念館名誉館長)