ニュージーランド地震も治まらないうちに今日も那覇市歴史博物館のテレビ(16時半)で津波警報のテロップが流れていた。続いて東北大地震のニュース。博物館を出ると『沖縄タイムス』『琉球新報』の大地震の号外が配られている。

11日、文化の杜に行くと、金城さんが岡本太郎の件で今日東京に出張しているという(結局用事は出来なかった)。テレビでは東京の大混乱状況を報じた。午後2時20分に石原慎太郎東京都知事が知事選に出馬すると云った30分後に東北・関東大地震が発生している。現実の大問題で歴史的文化的な「琉球学」は暫し休止しないといけなくなった。かわり中古古書店で科学雑誌を買い「地球学」を総括する

12日、『沖縄タイムス』『琉球新報』も全紙面的に「震度7 大津波」「宮城震度7 大津波」を報じていた。那覇市歴史博物館で輝広志氏が渡辺美季さんは元気という。町や村が壊滅したところもある。今日の5時ごろのNHK、民放の記者会見で枝野官房長官が福島第一原発の放射能漏れにかなり割いて事務的に話し、被害状況については少なかった。あろうことか国民・マスコミには文句をつけていた。続いて原子力安全・保安院という者が「あのあのー、えー」とか奥歯に物が挟まった言い方で、放射能漏れを枝野長官とは食い違う会見をしていた。またカン首相がヘリコプターで被災地と福島原発も視察している状況をテレビで流れていた。事は緊急を要する、呑気に党首会談をする暇など無いはずだ。直ちに被災地の現場近くで臨時の総理官邸を設け被災者救援の陣頭指揮に立ちリーダーシップを発揮すると思ったが所詮無理な注文であった。

13日、『沖縄タイムス』は「死者・不明1800人ー宮城1万人安否つかめず」「福島原発炉心溶解ー避難した3人被ばく」、『琉球新報』は「死亡・不明1800人超ー1万人連絡取れず」「福島原発の建屋爆発」と大きな見出し。この沖縄の新聞は東日本の地元紙と間違うほど今日も全紙面的に東日本大震災の記事で埋め尽くされていた。テレビも全局が1日中大震災のニュース。問題はテレビが全局が同時にカン内閣の政府発表を垂れ流していることだ。

14日、昨晩からのテレビを見ると、被災者情報より東電原発のニュースばかりが目立った。思うのはカン内閣の総理以下、枝野官房長官、原子力安全・保安院も東電の代弁ばかりで使い走り役に終始、テレビの評論家も原子力発電肯定者ばかりであった。先日のカン総理の被災地視察には原発事故も態態見ていた。本日は内閣と一体で、いきなり停電だという。避難所の被災者は「隣町のパチンコやのネオンはこうこうとしているのに何故わたしたちが停電で不安な目に会わなければならないのか」と発言。この停電の責任は誰が取るのか。例のタカ派石原東京知事も影が薄いがどうしているか。翌日の『沖縄タイムス』『琉球新報』にタカ派石原都知事が「『津波は天罰だ』」と発言したとある。テレビは本日からコマーシャルが流れている。

15日、『沖縄タイムス』は「核燃料が全露出」、『琉球新報』は「核燃料が完全露出」。新報・タイムスによれば、佐藤雄平・福島県知事が「東電・国は責任を持て」と強く要望したという。福島原発のメンテナンス会社社長の名嘉幸輝氏は伊是名村出身で「社員の疲労は限界だ」という。福島第一原発協力会社の社員・安田慶人氏も沖縄出身で地震のときは作業中で辛うじて非難したという。地震・津波から5日目だというのに食料、毛布、飲料水が届かない。届けるための車両のガソリンが無い。無い無いづくしでカン内閣の危機管理の無さここ極まるであった。そのくせ東電原発本社の対策本部は政治主導にしたという。

参考資料

スリーマイル島原子力発電所事故 
 最も技術の進んだ、情報公開先進国ともいわれるアメリカで発生し、大量の放射能を撒き散らすことになった重大な原子力事故です。1979 年3 月28 日、東部ペンシルバニア州にあるスリーマイル島(TMI)の原子力発所で事故がおきました。原子炉の核心部ともい える炉心部分が冷却水不足のために溶けてしまうという大変な事故でした。始めは原子炉の本体からは遠く離れた小さなトラブルをきっかけとして蒸気発生器の給水が止まってしまい、本来原子炉に冷却水を入れなければならないのに、ランプの表示が不適切であったことと炉心の 
 水位を外から見られない構造のため、運転員はそれと気付かず、かえって緊急冷却装置を絞ってしまいました。そのため、原子炉容器の圧力が上昇、圧力をにがすために開いた加圧器逃がし弁が開きっ放しになり、原子炉の冷却水が漏れて、原子炉の空焚き、燃料の溶融・崩壊に  至りました。

世界を震撼させた、チェルノブイリ原発事故
 1986年4月26日未明、ウクライナ共和国にあるチェルノブイリ原子力発電所(原発)の4号炉で、大きな爆発事故が起こりました。
 この爆発により一瞬のうちに原子炉が破壊され、火災が発生しました。火災を消火するために、ヘリコプターから原子炉の炉心めがけて総計5,000トンにおよぶ砂や鉛などが投下されました。火災は爆発から10日後の5月6日にようやく収まりました。
 被害は世界各地へ広がった
 この原発事故により、原子炉内にあった大量の放射能(※)が大気中へ放出されました。放射能は風にのり、世界各地に広がりました。チェルノブイリから約8,000キロ離れたここ日本でも、野菜・水・母乳などから放射能が検出されました。

東海村JCO臨界事故
1999年9月30日、茨城県那珂郡東海村で、JCO(株式会社ジェー・シー・オー)(住友金属鉱山の子会社)の核燃料加工施設が起こした臨界事故。666人の被曝者と死者2名を出した、日本最悪の原子力事故である。
 JCOの核燃料加工施設内で核燃料サイクル開発機構の高速増殖実験炉「常陽」向けの燃料加工の工程中に、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生。この反応は約20時間持続した。これにより、至近距離で致死量の中性子線を浴びた作業員3人中、2人が死亡した。
 事故は、製品であるウラン溶液(硝酸ウラニル)を均質化する工程で発生した。溶液は本来、中性子が外に抜けやすいよう細長く作られた(形状制限された)「貯塔」で均質化を行う事になっていた。しかし、実際には「沈殿槽」と呼ばれる、ずんぐりした形状で、周囲を冷却水のジャケットに包まれた装置を使用したために、発生した中性子による反応の確率が高くなり、臨界状態に至った。

東京電力
1951年5月1日 - 松永安左エ門(電気事業再編成審議会委員長)のGHQへの説得による、国会決議より効力が強いGHQポツダム政令を元に、戦時統合によって発足した関東配電と日本発送電を再編して、東京電力創立
1951年8月24日 - 東証1部に上場
1965年12月10日 - 東京電力初の揚水発電所・矢木沢発電所2号機が運転開始。
1971年3月26日 - 東京電力初の福島第一原子力発電所1号機が運転開始。
1987年10月 - CI導入。設立時から使われていた社章「かみなりマーク」を廃止し、新しいコーポレートシンボルマーク「TEPCO」を使用(作者・永井一正)。同時に社章も、丸を並べ重ねてアルファベットの「T」を表す、現在のものとなった。
1997年7月2日 - 柏崎刈羽原子力発電所7号機が運転開始。全号機が完成。発電出力で世界最大の原子力発電所となる。
2000年3月 - 改正電気事業法が施行され、電力小売自由化スタート。
2002年8月29日 - 原子力発電所における過去の点検記録に改竄等があったことを公表。これが契機となって原子力発電所における設備の維持基準が制定されることとなった。
2004年4月 - オール電化住宅の普及促進に向け、Switch!キャンペーンを開始。
2007年7月16日 - 新潟県中越沖地震により柏崎刈羽原子力発電所の運転を停止。
これに伴い9月中旬まで節電の要請活動をビル、工場、一般顧客等に展開。
8月22日に最大電力が6,147万kWを記録するも他電力会社からの応援融通、緊急時調整契約の発動、塩原発電所の緊急稼動等により停電を回避。
2008年7月末 - サービスエリア内のオール電化住宅の採用戸数が累計50万戸を突破。
2010年8月末 - サービスエリア内のオール電化住宅の採用戸数が累計80万戸を突破。

□さて沖縄の地元の新聞を見ると(自らのオタクは棚に上げ少しウチアタイするが)相変わらず同人雑誌に載るべきオタク的な政治論が載っている中で、2009年11月の『沖縄タイムス』に与那嶺功(沖縄タイムス整理部)氏が「複眼・危険性の情報開示望む」は未来の沖縄の危機管理を提起しているが、この問題は沖縄に限らず普遍的な問題提起である。こういう問題を考えるのが真の国防というものだ。

小鳩・国民連立政権は「負担軽減」といいつつ「地位協定の見直し」もやらず、「密約」がバレても現状は前の政権と変わらない。米軍の「抑止力」といいつつ竹島問題や尖閣問題に何らクソの役にもなっていない。私は陰謀史観は持っていないが、陰謀史観の本は好きである。その発想からすると竹島問題や尖閣問題が解決されると、在日米軍の存在する意義が失われアメリカにとっては都合が悪いことになる。