孫以上に接した島袋慶福翁
有力な一門の後に「家譜」記録の無い百姓(無系)のわが門中についてふれるのは気が引けるが、先の戦争で士族の「家譜」資料も大方消滅したので事情は同じだ。わが門中のことは『沖縄を深く知る事典』にも書いてあるので簡単にふれる。中学生のころ、近所に島袋慶福翁が居られ会話した。

島袋翁は1900年に沖縄県中学校を卒業、同窓に東恩納寛惇、漢那憲英などが居た。翁が1953年、神御清明祭の墓前で曹氏門中総代として読み上げた祭文の中に「曹氏4代、前平敷親雲上慶隆様が24歳の時検地のため粟国島に御出張になり同地御滞在中(約半年)に粟国にも御子供が出来て現在でも大へん子孫繁盛しておるように聞きます」とある。

島袋翁は私がその同門だと分かると孫以上に親しく接してくれた。私の祖父蒲はヤンバル船の船頭で那覇港から山原へ日用品を運び、帰りは材木やタムンを積んできた。父三郎は三重城近くで生まれた。55年前の今日、私は粟国島でゲンカラーオバーによって取り上げられこの世に出た。『沖縄タイムス』と同じ年になった。